――漫画「中華一番!」では、四川の天才料理人マオが広州随一の老舗で修業するストーリーになっています。どうして、このような設定にしたのですか?
じつは個人的に辛い料理が大好きで、それでまず四川料理を思いつきました。あと、当時(連載が始まった1995年ごろ)、テレビ番組で「料理の鉄人」が流行っていて、中華の鉄人が四川の料理人だったんですね、それでピンときて主人公の出身地にしたというのもあります。
ただ、今ほど辛いものブームが来ていなかったし、四川料理はまだ日本では中華料理の中でもメジャーと言える存在ではありませんでした。そんな四川生まれの主人公が、「食の都」と言われる広州で技を磨いて故郷の店を継ぐ、そういうストーリーにしようと思いました。作品の中で、主人公が広州で修業する店に「陽泉酒家」というのが出てきますが、これは広州に実在する「南園酒家」という有名な老舗をモデルにしています。
――もともと中華料理に興味があったのですね?
じつは、そうじゃないんです。新人時代に中国を舞台にした漫画を描きたいと希望を出したら、週刊少年マガジン編集部から、じゃあ、中華料理でやってみないかと提案を受けました。いまでこそ料理漫画はたくさんありますが、当時はまだ少なくて、まったく考えていなかったので意表を突かれました。でも、中華料理は好きだったし、興味もありました。勉強にもなると思ってお引き受けしました。とはいえ、中国にも行ったことありませんでしたし、知識はまったくありません。そこで編集者の方から、これで勉強しなさいと、料理関係の分厚い本を渡されまして、1週間かけて読破しました。
――『中華一番!』、その続編『真・中華一番!』ともに日本で大ヒットしましたが、本場の中国や台湾ですごく読まれているそうですね。2018年には小川さんが台湾でファンと交流したと聞きました。反応はどうでしたか?
日本の読者とは違った視点で、非常に変わったところを掘り下げて台湾独自のマニアックな楽しみ方をしているのが、とくに面白かったです。たとえば、作品中に仮面料理人という変わったキャラが出てくるのですが、主人公たちと仮面料理人の間のやりとりで、「で、そのタレは?」というセリフがあります。台湾ではなぜかその部分がウケたようで、ネット上で流行語となっているそうです。
――中華圏以外でも出版されているそうですね。
フランスやドイツ、東南アジアのいくつかの国でも海外版が出版されています。食のテーマは世界共通ですし、アジア圏はとくに食文化がグラデーションでつながっていますから、受け入れやすかったのかもしれませんね。
――中国や台湾の読者の目には、日本発の中華料理漫画はどんなイメージに映るんでしょうか?
台湾に行くとき、私自身は正直、恐縮していました。日本から来た、それこそ海外の人間が恐れ多くも中華圏の料理を漫画の題材に扱っているのはどうなのかなって。現地の人にしたら、だいぶ文化的に違うものを描いてしまったかな、と不安もありました。でも、実際に台湾のファンに話を聞いてみると、そこはとても温かく見守って下さっていて、キャラも愛してくださって、本当にうれしかったです。
いま日本で「町中華」がブームですけど、ラーメンなんかは本場よりも日本の方がバリエーションに富んでいるように思います。台湾の方に聞くと、あれは中国料理ではなく、日本の料理だと言っていたのが印象的でした。じつは連載を始めるときに、「中華料理」と「中国料理」という言い方について、編集者の方といろいろ議論しました。「中華料理」と日本ではひとくくりに言いますが、これは中国の料理を日本風にアレンジしたものであり、もともと「中国料理」なわけです。漫画ではあえて、そこはごっちゃにしています。まず日本人が読む漫画である以上、「中華」でないと分からない。もし中国の人が読んだとしても、それは分かってくれるのではないか、と。例えば、「青椒肉絲」という料理は日本では有名ですが、中国人の方に聞けば、そんなの聞いたことがないと多くの人が言います。「麻婆茄子」も日本にしかない料理です。「回鍋肉」も日本ではキャベツを使いますが、中国では別の野菜です。中華圏の人たちも、日本の中華は「違うもの」と理解してくれています。
最近では、日本の中華料理が逆輸入されるという現象も起きていて、本場でも「日本の中華は美味い」という評価を得ています。そういう意味で、作品に出てくる料理は、「中国料理」ではなく、「中華料理」に寄っているんですね。今でもときどき、中国料理しか知らない読者から、これ何の料理ですか、という質問をいただくんですよ。
――物語の舞台は19世紀の清朝末期。作品には当時の料理だけでなく、広州の街並みや社会背景、文化、風俗などの描写もたくさん出てきますね。
インターネットもない時代ですので、とにかく料理関連、広州の話であれば、広東料理の文献をいろいろ読みあさりました。作品の中に、最高位の料理人を決める「特級厨師試験」というのが出てきますが、あれも実際にあった制度です。もちろん、現実は漫画のような試験ではないのですが、文献を調べていて、中国ではこの資格を持っていると一生食べるのに困らないぐらいの特別な資格であるというのを知って、作品に使わせていただきました。
『中華一番!』が連載デビュー作です。本当にたまたまなんですが、私はアシスタント経験がないままに漫画の世界に入ってしまいました。本来なら師匠の漫画家に技法を指導いただくものですが、私の場合はベテランのアシスタントさんに来てもらって、教えてもらいながら覚えていくという感じで。アイデアも最初は、私ひとりでなにもかもというわけにはいきません。編集者の方からたくさん知恵やヒントをもらって、それが化学反応といいますか、面白く転がってさらに良いアイデアにつながるという感じですね。それでも、最終的にネームという漫画の設計図にする段階で、どんな料理にするか詰め切れず、悪戦苦闘しました。そんなとき、広東料理の場合はよく横浜の中華街に行きました。あそこは広東料理の流れをくむ料理人たちが作った街ですよね。食べ歩きしたり、実際に料理人の方に話を聞いたりして、想像を膨らませました。
――作品では、物語が進むうちに、奇抜な調理法も出てきます。川を丸ごと燃やし、そこで鎖につないだ魚を振り回して焼くとか、万里の長城で具材を転がしてチャーハンを作るとか。どんどん、ダイナミックな発想になっていきます。
漫画における、よくある現象の一つですね。格闘漫画でも、最強の敵キャラが出てきたと思ったら、さらに強いキャラが出てきて倒されちゃって、どんどん敵が「インフレーション」していく感じ。料理漫画でも同じです。最も派手な調理法だったつもりが、連載が進むうちに、もっともっと絵的に派手なのを求められてしまう。それが少年漫画の常で、もうどれだけ派手にやるか、という感じなっていって。清朝末期を舞台に設定したのも、その辺りを考えてのことでした。現代にも通じる料理がそろっていて、しかも、漫画的な荒唐無稽になってしまっても、それがぎりぎり通用する最後の時代。その両方を満たすところを、私なりに選びました。
あと、これは余談ですが、作品に登場する料理人が筋肉質のスゴ技を持つ人が多いとよく言われます。これは高校時代に読んだ漫画の『北斗の拳』の影響を非常に強く受けていますね。ちょうど、少年漫画の流れがマッチョになっていた頃です。
――広東料理と言えば、「食在広州(食は広州に在り)」という言葉が有名ですが、小川さんは『中華一番!』の中でも、この言葉を使っていますね。
作品づくりのために調べたことと想像が混ざっていますが、広州の土地柄や歴史と関係が深い言葉なんだろうなと思います。広州は清朝時代、日本の江戸時代における長崎のような位置づけだったと聞いています。鎖国の中でも広州は外国に開かれていて、そこから海外の文化が入ってきた。いろんな人や物が集まり、散っていく拠点の国際都市でした。もともと温暖な気候で食材も豊富でしたし、広州人気質のようなものも食文化に大きく影響していたと思います。好奇心が旺盛で、何でもかんでも食べてやろう、そこにやってくる人たちの舌に合わせて料理も柔軟に変えていこう、そういう流れが長年積み重なって、他の中国の都市とは違った食文化の広がりを見せたのではないでしょうか。
とはいえ、本当にお恥ずかしい話なんですが、実は僕は広州には行ったことがないんです。いちばん近くでも、(広州がある広東省の隣の広西チワン族自治区の)桂林まで。それも漫画の連載が終了したちょっと後で、答え合わせみたいな感じで、ツアーで立ち寄りました。その時、面白いなと思ったのがジビエですね。広州と同じく桂林でも「野味」が盛んで、市場に猫や犬、カエルとか、日本人だったらぎょっとするような食材が積まれていて、とても印象に残っています。
――2017年から週刊少年マガジンの無料漫画アプリ『マガポケ』で、『真・中華一番!』の続編となる『中華一番!極』を連載していますね。
前作『真・中華一番!』では、中国大陸を舞台になるべく多くの場所を使いたかったんですが、回りきれませんでした。今回は当時舞台にできなかったところを巡って、各地の料理をマオたちの独自の視点で料理したらどうなるかな、というのが書きたいと思っています。中国以外の国に飛び出すようなもし機会もあれば、そういう舞台も面白いですね。
■小川悦司さん略歴
1969年、東京生まれ。1995年『KING OF TOWER』で、週刊少年マガジン増刊『マガジン FRESH』にデビュー。代表作に『中華一番!』『真・中華一番!』『ジパング宝王伝』など。『天使のフライパン』は、2007年第31回講談社漫画賞児童部門受賞。