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「食は広州にあり」は本当か 食べ歩いたら、この地の人柄が見えてきた

Re:search 歩く・考える 更新日: 公開日:
さすが広州。高速道路の料金所に、「食在広州」の巨大な文字が

5月下旬の早朝、広州中心街にほど近い広東料理の老舗「広州酒家」本店を訪れた。新型コロナウイルスの感染拡大に伴う禁止を終え、ほぼ通常営業に戻っていた。店の前で密集し待ち構えていた数十人の常連客が、午前8時の開店と同時になだれ込む。

広東料理といえば、お茶を飲みながら熱々の点心をいただく飲茶が有名だ。とりわけ早朝の飲茶を「早茶」という。

「食は広州にあり」と日本語で書かれた広州酒家本店の入り口

早茶とおしゃべりを楽しむお年寄りの笑い声が、店のあちこちから聞こえてくる。春巻きとピータン入りのおかゆを注文した馮少蓮さんは、もう70年以上、近所から通い続けている名物おばあちゃんだ。御年93歳。健康の秘訣を尋ねると、「深く考えたことないけど、毎朝、飲茶の後、マージャンを楽しんだり、公園に行ったりすることかな」。そう笑って、豪快に春巻きにかじりついた。

広州の広州酒家でお茶を飲む馮少蓮さん

厨房をのぞくと、何段にも積み重ねた蒸籠(せいろ)から白い湯気がもくもくと上がっていた。できたての点心が冷めないよう店員がふたをかぶせ、急いで配膳する。饅頭(マントウ)や包子(パオツー)、小籠包(ショウロンポウ)、餅(ピン)、餃子(ギョーザ)など、点心の種類は1000を超えるという。

■ニワトリの頭が……

蒸籠(せいろ)から湯気がもくもくと上がる広州酒家の厨房

あー、腹減った。まずは、お店の定番である中華肉まん「叉焼包(チャーシャオパオ)」を注文する。皮はフワフワ。かじりつくと、オイスターソースをベースにしたタレを絡めたチャーシューの味わいが、口いっぱいに広がった。

早茶では、二つの料理を頼むのが基本なのだが、量は意外と少なめ。食欲旺盛な人には少々、足りないかもしれない。

個人的に気に入ったのが、スズキの一種である白身魚の蒸し料理だ。一つ一つの身が肉厚でプリプリ。小骨もなくて食べやすい。一緒に盛り付けてあるキクラゲはコリコリ。四川料理のような辛みはないけれど、やみつきになりそうだ。

特色蒸桂花魚=広州の広州酒家

美味にうっとりしていると、突然ニワトリの頭がそのまま出てきて、ぎょっとする。チキンライスで有名な中国海南島のブランド地鶏「文昌鶏」を、ニンニクやショウガなどで味付けして調理した料理だ。皮が黄色なので油っぽく見えるが、ワイルドな見た目と違い、味はあっさりしていた。

経典文昌鶏=広州の広州酒家

広東料理は一般的に大皿に盛り付けられ、各自が直箸で取り合う。「大皿文化」は中国全土に共通するが、今年に入り新型コロナの感染予防のため、小皿に分けたり、取り箸を使ったりするよう衛生当局などが呼びかけている。

ただ、あまり守られてはいないようだ。中国では、みんなで大皿をつつき合って親しみを確認する習慣が定着していて、私も慣れてしまった。日本に帰国後も直箸をやって、妻に怒られないか心配になる。

大皿から取り分けた料理はお椀の中に入れ、平皿には置かないのがマナー。小さなお椀の中でいろんな料理が混じるが、胃の中に入れば、同じだと思って目をつぶる。お椀の汚れが気になったら、店員に頼むと、すぐに交換してくれる。平皿には魚や肉の骨、口を拭いたティッシュなどを置く。

広州酒家が客に推薦する広東料理=広州の広州酒家

■最大の特徴は「柔軟さ」

広州酒家で腕をふるうのは、コックの麦展飛さん(50)。国内外の料理のコンテストで多くの受賞歴があるベテランだ。

中国全土が荒廃した文化大革命のさなかの1969年に生まれ、両親がプラスチック工場で働く貧しい家庭で育った彼にとって、近所にあった広州酒家のコックは憧れだった。当時、工場労働者の月給が、広州酒家の1回の食事代とほぼ同じ。高級店のコックになって、おいしい料理をつくりたい。必死の思いで見習いから始めた。

夢を実現して30年余り。中国は世界2位の経済大国にのぼりつめ、人々の生活水準も向上。高級店は庶民の手が届くところに近づいた。一方、街には日本や欧米のレストランがあふれ、老舗の看板にあぐらをかいていては厳しい競争を勝ち抜けない。

「本場の広東料理の味をしっかり守りつつも、国内外の新しい調理法や食材も積極的に取り入れ、多様化していきたい」。それが、麦さんの次の目標だ。

広州酒家のコック、麦展飛さん

広東料理の解説本などの著作がある中国人作家・鐘潔玲は、「柔軟な発想こそ広東料理の最大の特徴だ」と言う。

南シナ海に面する広東省は古くから海の幸に恵まれてきた。気候は温暖で、農産物も豊富。古くから外国との交易も盛んだった。「異文化を受け入れる南方独特の開放的な土地柄が豊かな食文化を育んだ」と、鐘は指摘する。

世界3大料理のうち、フランスとトルコは宮廷料理と関わりが深いとされるが、広東料理はどうなのか。鐘によると、南宋の最後の皇帝が1279年、元の軍に追われ、広東省に逃げ込んだ際に、連れてきた大勢の料理人が新たな技術を持ち込み、広東料理の発展を後押ししたという。少しは宮廷料理と接点があると言えるかもしれない。

「食は広州に在り」という言葉の由来も、その辺にあるのだろうか?

日本で知名度が高いのは、直木賞作家、邱永漢(故人)の同名の随筆集の影響だが、中国でその由来は100年以上前にさかのぼる可能性がある、と鐘は指摘する。

ただ、中国では「生在蘇州、長(住・穿という場合も)在杭州、食在広州、死在柳州」という表現の中に組み込まれて使われることが少なくない。風光明媚な蘇州で生まれ、シルク製品で有名な杭州で成長し、広州でおいしい食事を食べ、柳州の名木で作られたひつぎに入れられ、生を全うする。中国人にとって最も理想的な人生だという意味だ。広州人が食べ物の話になると、誇らしげになるのも分かる気がする。

中国の八大中華

■広東料理を支える二つの市場

「広東料理の台所」が夜空を煌々と照らしていた。午前3時、広州酒家の近くにある黄沙水産交易市場を訪ねた。

年間の取扱量は約27万トンと、東京の築地から移転した豊洲市場の約8割に相当する。中国各地で水揚げされた新鮮な魚やエビ、貝などの海産物に加え、カエルやウナギまで、今が旬の水産物がひしめく水槽が、各店舗に所狭しと並ぶ。まるで小さな水族館のようだ。

広州の黄沙水産交易市場

この市場の特徴は魚が生きた状態、つまり活魚で取引されるということ。氷の上に陳列された魚は見当たらない。

アワビなど高級食材を専門に取り扱う卸業者の梁玉霞さん(46)は自信ありげに言う。「新鮮な食材があってこそ、すばらしい広東料理ができる」

広東料理に欠かせないのが、スープだ。豚や鶏などの肉類や魚と、漢方薬の生薬などにも使われる様々な薬材を煮込むので、健康や美容に良いと信じられている。薬膳スープと言えば分かりやすいかもしれない。

中国では、スープは食事の最後に出されるのが一般的だが、広東料理では最初に飲む。この街が長い時をかけ育んできた食文化や歴史が煮込まれ、薬材のエキスが全身の隅々に染み渡る。そんなスープを支えてきたのが広州清平中薬卸売市場。足を踏み入れると、充満する薬材のにおいが南国の熱気に溶け込んで、濃厚さを増す。

市場の薬材店の一つ、廖穂菁さん(35)が営む「順昌薬材」を訪ねた。アワビやナマコ、ツバメの巣、冬虫夏草など100種類の商品を取り扱う。高価な薬材は偽物や粗悪品の流通が問題になる。「人をだましてはいけない。もうけは二の次でよい」。約40年前、露天販売から苦労して店を立ち上げた祖母と母の教えを忠実に守る。

店を大きくして、金もうけしたくないの?

廖に将来の目標を尋ねると「お客さんの健康に役立てれば、私はそれだけで十分なんです」と控えめに言う。

ツバメの巣を手にする廖穂菁さん=広州の清平薬材市場

ふと思った。相手に無理強いしないのが、広州人の気質である。例えば、私は広州の宴会で酒を強要されたことは一度もない。

中国人といえば、押しが強いというイメージを持つ日本の読者もいるかもしれない。だが、地元の知り合いが「広州は商人の町だから、相手を気遣う傾向が強い。そうじゃなきゃ、金もうけなんてできません」と解説してくれて、妙に納得した覚えがある。

あっさり味の広州のスープ。薄味の土地柄も、にじみ出ているのかもしれない。

■胃腸が弱かった孫文

著名な広東省出身の人物といえば、孫文(1866~1925年)だ。清朝を倒し中華民国を成立させた辛亥革命の指導者の故郷は、広州の南の旧香山県にある。中国では「孫中山」という呼称が一般的で、香山県も後に中山市と改称された。

さて、孫文のお気に入りの広東料理は何だったのか。作家の鐘が執筆した広東料理の解説本を繰ってみると、四つの具を煮込んだ自家製のスープを好んだ、とある。

四つの具とは、キクラゲ、黄花菜、豆腐、もやし。これらの食材には胃や腸を整える作用などがあるとされ、簡単に手に入るが、孫文は煮る順番にこだわりがあったそうだ。

広州にたつ孫文の銅像

鐘の解説本によると、胃腸が弱かったという孫文は、若いときに学んだ西洋医学の知識を生かして治療を試みる。消化の良い軟らかいものを食べるようにしたが、胃の痛みはひどくなるばかり。亡命先の日本で、医師の高野太吉から提案された食事療法が、繊維の多い野菜や果物、硬めに炊きあげた白飯に少量の魚を食べ、胃や腸の消化機能を覚醒させるというもので、実際に快方に向かったという。

西欧列強が進出し、国内が混乱を深めるなか、先を見通す洞察力と抜群の行動力で活躍した孫文。「開放的で包容力のある広東料理と、偉大な革命家の気質は通じている」と、鐘は指摘する。没後100年近くになる今も、孫文は地元の誇りだ。

孫文の胃腸が悪かった理由はよくわからないけれど、人生をかけて中国の夜明けを目指したプレッシャーと関係があるのではないか。それに比べ私はまだまだ。たかが記事の締めきりに追われ、胃が痛むぐらいだ。近所の広東料理店で、英雄の心中に思いをはせると、気が少し楽になったように思えた。(つづく)