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素顔を隠したヒーローに魅せられる私たち、なぜ 「仮面結社」に入った博物館長に聞いた

World Now
©川内康範・宣弘社

ーー国立民族学博物館では世界の仮面を6500点以上収蔵し、博物館では大英博物館に次いで世界で2番目に多いそうですね。たくさん仮面がありますが、仮面文化は世界中どこにでもあるわけではないとか。

仮面は決して人類にとって普遍的な存在ではありません。日本でも秋田のなまはげなどが有名ですが、すべてのコミュニティーに仮面芸能があるわけではない。ただ、仮面の芸能を持っている社会やグループを見ると、やっていることはほとんど同じで、人類の普遍性とか共通性みたいなものが見えてくる。それが私がずっと仮面に関心をもっている大きい理由だと思います。

例えば、お正月に日本でよく見られた獅子舞。頭をかんでもらうと無病息災になるとか、夜泣きしている子の夜泣きが直ると言われます。私がずっと調査に訪れているザンビア共和国のチェワの人々の間にも、葬送儀礼の場で仮面舞踊を演じる仮面結社「ニャウ」の者に抱いてもらうと、子どもが言うことを聞くようになると言われる。とてもよく似ています。

国立民族学博物館の吉田憲司館長。展示の始まる箇所には、日本の獅子頭と類似する様々な国の仮面が展示されている=大阪府吹田市、鈴木暁子撮影

ーー仮面の役割って何なのでしょうか。

仮面の一番の共通性は「異界を目に見える形にする」ということです。(仮面をつけた)対象とかかわることで、人は異界の力を自分に取り込み、そしてまた異界に帰ってもらう。異界のものは、だいたい森とか海からやってくるんです。人々の生活圏があって、その外が異界になる。

■仮面文化がない国もある

ーー仮面を着けるのは異界のものなのですね。人間が彼らから力を取り込もうとするのはなぜなのですか?

自分たちでコントロールできない状況が起こるからでしょう。例えば現代でいえばコロナもそうなのでは。(海から現れる妖怪とされる)「アマビエ」みたいなものが注目されましたよね。

ーーなるほど。仮面文化の分布に地域性はあるのでしょうか、例えば持たないのはどんな人たちですか。

例えばモンゴルなどの遊牧の人々は持たないと思います。遊牧をする人たちはある意味で、どこにでも行ける状態であり、地上空間としての『異界』が想定しづらい。モンゴルは広大なユーラシアを全部移動して牧畜するわけですから。論理的には証明しづらいことですが、チベット仏教の影響を受けた人たち以外には仮面文化が見られない。

ポリネシア、ミクロネシアにもほとんど仮面文化が見られません。憑依(ひょうい)はほぼ人類社会に普遍的に見られることですが、それで事足りていれば、異界との交渉に仮面をわざわざ導入する意味がないのかもしれない。日本でも各地にある仮面の芸能は、山伏が伝えるなどして、江戸期に導入されたものが多いのではないでしょうか。中世以前には、そこらじゅうの村にあるというものではなかったと思います。

国立民族学博物館に展示された、王の仮面「アトゥア・コム」と呼ばれるカメルーンの仮面と吉田館長。なんと重さ33キロもあるという=鈴木暁子撮影

ーー仮面文化のある地域で、仮面はどんな時に出てくるのですか。

時間の境界に出てくるという共通性があります。例えば年がかわるとき、新しい年を持ってきてくれる年神様として仮面のものが出てくる。昔は小正月(旧暦の正月14日)の夜、今では大みそかにやってくる秋田のなまはげのような仮面の来訪者は、岩手県のスネカ、石川県のアマメハギ、鹿児島県のトシドンなど日本の各地に見られる。四季の変遷がはっきりしている高緯度の地域では季節の変わり目や農事暦の境目に。四季が明瞭でない地域では雨期と乾期となりますが、それに加えて人が亡くなった時や成人する局面にも仮面のものが出てきます。

■漫画・アニメに託す「仮面」の力

ーー仮面は「異界」を見える化するものなのだと気づいたのは、チェワ族の「仮面結社」のメンバーになり、仮面文化の研究をしていた時だそうですね。

1992年にニャウの葬儀に参加したときでした。喪明けの儀式に「森から来た野生動物」とされる仮面が出てきます。儀式後に火をかけて燃やし、煙が空に消えたとき、死者の霊も祖先の世界に行くのだといわれる。その儀式に、車とか家畜の牛だとか、ヘリコプターの仮面が出てきたのです。不思議だったので、なぜヘリコプターが出てくるのかと聞いたら、「みんな村にはなかったものだから」と。それを聞いたとき、自分たちが暮らす村と区別した「森のかなたからやってくるもの」が仮面の特徴なのか、とはたと気がついたんです。そう思って世界中の仮面の儀礼を見たら、基本的にみな森や海からくると考えられていた。

ーー現代の日本では、仮面と縁がないと感じている人も多いと思います。吉田さんはアニメなどテレビに登場するヒーローと、仮面文化の関連性を指摘していますね。

仮面とは縁のない、特に今の日本の人たちが仮面と触れるのは漫画やアニメなどでだと思います。いまも仮面のヒーローは次々に生み出されている。例えば月光仮面は月からの使者と言われる。ウルトラマンは厳密には仮面ではないといいますが、M78星雲からやって来て人を助けてくれる。そしてまた「異界」に去っていく存在です。

秋田・男鹿市の「なまはげ館」に展示された様々ななまはげ面=鈴木暁子撮影

ーー山から来るなまはげのように、異界からやってきては帰っていく仮面の来訪者となんだか似ています。

月光仮面の場合、自分たちの世界は地球で月が『異界』ということになる。アポロが月面着陸した後、月の異界性はなくなりましたが、何十年たってセーラームーンが出てきて、月が異界性を取り戻したと感じました。ウルトラマンの場合、銀河系が自分たちの場所で異界はM78星雲という別の星雲ですね。村に対する森という区別で人々は異界を設定していましたが、それが町と村、地球と月になり、銀河系と他の星雲と。だんだん境界は遠くなるけれど、仮面に仮託する力というのかな、仮面とかかわろうとする人間の思いというのは全然変わっていないんです。

異界がなくなることはあり得ない。異界って自分たちの力や知識が届かない世界です。それはこれからどれほど科学が発展しても絶対に残る。残らなかったらそれは人間が神になるときでしょう。それがあり得ないとしたら、ずっとこういう存在というのは祭りやバーチャルな世界のゲームやアニメなどの形で残る、これは間違いないと思いますね。

■オンライン会議は人類初の「異体験」

砂漠のくらしと題した国立民族学博物館の展示には、装飾のついた覆面を着けた女性の姿も=鈴木暁子撮影

ーー大変なことを乗り越えるために、異界の力を求める私たちの気持ちの表れといえるのですね。ところで、人はなぜ顔に仮面を着けるのでしょうか。

やはり他者の認識は顔に集中しているからじゃないでしょうか。誰かを思い浮かべる時に、その後ろ姿だけでということはまずない。やはり顔とワンセットで思い浮かべると思うんですね。それから、会ったことのない人と電話で話をしていても、顔を知らないけど、何らかの顔をイメージして話しているのではないでしょうか、声から判断してね。まったく想像せずにしゃべるっていうのはなかなか難しい。それだけ我々の他者の認識というのは顔に集中しているということなんだと思うんです。

ただ、やっかいなのはそれだけ個人の認識の要になっている顔というものを、自分では一生見ることができないということです。鏡で見えるけれど、それはすでに鏡像ですし。いまちょっと面白い現象だなと思うのは、オンライン会議をするときに、自分の顔がどこかに表示されているでしょう。あれは対面会議では絶対にあり得ない、人類初めての経験だと思います。バーチャルだから最終的にはそんなに大きな影響を人間には及ぼさないとは思いますが、初めての異様な経験ですね。とはいえ、やはり自分の顔そのものを認識できているわけではない。ただ、仮面は自分の目で見ることができるのです。自分の目で見た仮面を顔につけることで、自分と世界の関係が初めて固定されるということが起きる。

ーーつまり、私はこの顔(仮面)をつけている、あなたもこの顔をつけている私を見ている、という共通認識を持てるということですね。

まったく他者も自分も同じ認識を共有できるというのかな。それは生身の顔を出しているときは起こらない現象でしょう。その結果、自分と外界の関係が固定される。仮面をかぶると今までできなかったことができるようになったとか、がらっと人格が変わったみたいに動けるという話をよく聞きますが、それは初めて自分と世界の関係が固定されたという、その驚きによるものだと思います。自分の認識とはきわめてあいまいなものです。自分の顔は一生、自分で見ることができないのですから。

よく仮面と化粧が同列で扱われることがありますが、私はやはり違うと思います。京劇の化粧にしても歌舞伎の縁取りにしても、仮面と同じぐらい塗りたくってあるけれど、絶対に自分では見られないですからね。コスプレの場合、顔はそのままだけれど、それ以外の部分は自分で確認できる。衣装が持っている役割や社会的機能は自分で認識できるので、化粧よりもむしろコスプレの方が仮面に近いと思います。

■中東女性に学ぶ「覆面」の力学

ーー中東の女性の中には、目だけ隠して覆面をする人たちがいますが、この作用についてはどんなことをお考えになりますか。

国立民族学博物館では2019年に、サウジアラビア、オアシスに生きる女性たちの装飾を施した覆面や民族衣装などをもとに、生活世界の変遷に関する企画展をしましたが、その副題は「〈みられる私〉より〈みる私〉」というものでした。覆面というのはまさにそういうものですよね、顔を隠して人に見られる存在でなくなる一方で、相手から見られずに自分だけが見ることができる。相手はこちらが見えないから同定できないけれど、こっちはすべて見ているという。覆面をすることで力関係が変わるのだと思う。覆面をする側の力関係が一気に有利になり、視線の力学が変わる。見られていたものが見る主体になれる。

仮面をかぶったらなんでもできる、ということのもう一つの側面は、「一方的に見ることができるから」ということもあると思っています。見られる存在から一方的に見る存在になるという力関係の有意に立ったということ。一見抑圧されているようにも見えますが、覆面の女性たちが夫以外の男性には顔を見せないことで、「見る私」に変わっているのは確かですね。

ーー覆面をすることで中東の女性たちが力を得ている面もあると。

覆い隠すことで一方的な視線の力を得たという意味ではそうでしょう。機能が違うので仮面で説明した異界とは関係がありませんが。表面で何かをかたどり、仮の別の顔になるのが仮面。覆面は一つの顔を覆い隠している。キャッチフレーズに使えるかもしれませんね、男たちは仮面で力を得て、女たちは覆面で力を得ると。

■「仮面結社」は男のあがき

国立民族学博物館館長の吉田憲司さん=鈴木暁子撮影

ーー秋田のなまはげもそうですが、仮面を着ける文化は男性中心に営まれることが多いようですね。ジェンダーの視点もありそうです。

ザンビア・チェワの人々の仮面結社ニャウでも女性は仮面を作りません。男性は仮面結社に入って一人前の男になり、そこで見聞きすることは秘密にし、女性や子どもには話さない。ニャウに入ることが成人儀礼なのですが、女性は女性で成人儀礼を持っていて、そこで教えられることは女性だけの秘密にして男性には明かしません。男たちは「女たちが出産を秘密にするから、俺たちは死を秘密にするんだ」と、そういう言い方をして死者の葬送にかかわる仮面を作るのです。女性のもつ出産の能力には絶対に太刀打ちできない。そういう中で少なくとも見ている限り、チェワの男たちがこの世に存在する理由って言うのかな、それを作るために仮面結社をつくったということになる。よく考えるとなぜ男性中心社会ができてしまうのかというと、男のあがきのような気がしますね。少なくとも種の存続という点で考えた場合には、男性の関与というのは非常にあいまいですから。

ーー人間の様々な思いが仮面で浮かび上がりますね。日本の面(おもて)のように、仮面という言葉は多くの国で「顔」という意味の言葉が使われると聞きます。

マスクもおもても顔の意味ですね。チェワの人たちはわざわざわからないように秘密の言葉を女たちの前では使いますが、中では『顔』って言っていますね。西洋の強い個人意識に近いものが常識化してくると、わざわざ「仮の」面(顔)という言い方が一般化される。個人のアイデンティティーというのは揺らがないものだというかのように。それは多分幻想だと思うんですけれどね。固定されたアイデンティティーというものはなく、一瞬一瞬変わって、流動しているもの。名前を登録する戸籍制度も含め、社会の制度として個人の同定をしていく中で、写真付きので固定したものとして扱っていきますよね。そういうシステムの中で生きているからそれが当然だと思うようになっている。

それでは、自分らしくもないことをしてしまった、という状況は一体何なのでしょうね。すでにそこで、唯一無二の個人のアイデンティティーは揺らいでいるということでしょう。「今日は競馬でついてた」といいますが、それは別の力が自分に憑(つ)いているということ。固定した人格ではないということを許容しているんです。固定したアイデンティティーはないということを、日常的にはいろんなところで経験しているのではないでしょうか。近代がつくってきた社会制度が、瞳孔も指紋認証もすべて、一対一対応で同定できるようなシステムで、個人を一つのものにしておかないとコントロールできないというだけなのですが。

ーー仮面というものを通して、「わたし」とは一つではないという、アイデンティティーまで考えさせられます。

コロナ禍が続いていますが、感染症の万延は文明の転換期に起こります。まさにヨーロッパ中世が終わって近代が始まっていくという境目にペストが広がったように。マスクをして毎日暮らすなんて初めての経験です。世界中がほぼ同時にマスクするなんて、これまでになかったことです。その中で個人のあり方というものを、特に接触っていうのが制限されるだけに、もう一度、考え直さざるを得ない状況というのが起こっているかなと思います。(聞き手・鈴木暁子)