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マスク着けてても顔認証OK 進む技術、プライバシーとの兼ね合いは

World Now 更新日: 公開日:
マスクを着けても顔認証できるシステムを投入するグローリーの越智康雄さん(左)と柴田佑馬さん

早速「渋谷書店万引対策共同プロジェクト」(渋谷プロジェクト)の事務局を訪ねた。東京都渋谷区内の大規模3書店がタイアップし、いずれかの店で万引きや器物損壊などの犯罪に関わったことが間違いない人物の画像データを共有。防犯カメラの画像から顔認証システムがそれらしい人物の来店を検知すると、担当者が画像を確認したうえで声掛けや注視で犯罪を予防しようというものだ。

2020年12月、開始から1年間のまとめを公表した事務局長、阿部信行さんは「現場で万引きを見つけて警察に通報したり、万引きの一部始終を映像にとらえたりした40人、53件の画像を登録しました。つまり、13件は同じ人物が1年のうちに3書店のいずれかで複数回万引きをしていたことが間違いないだろうということです。同じ店に再来したり、近隣の店に行ったりしている実態がシステム的に初めて確認されました。システム任せにせず、人が確認して慎重を期すことで、予防対策の際に別人を誤認することがなかったことが何よりの収穫です」と話す。

まとめには「コロナ禍以降、マスク着用による非検知が数件あった」とあるが?

「事実です。マスクのかけ方次第ですが。マスクをしていても認証できるシステムに近く更新するので期待しています。試験運用では誤発報が多く、調整に時間をかけました。誤認なんかしたら大変なことになりますから、機械力だけではダメ。人間力が欠かせません」

コロナの第1波が一段落した20年初夏、顔認証システム各社に、防犯目的に使っている顧客から「マスクで使い物にならない」という声が相次いだという。渋谷プロジェクトのシステムを担うグローリー(兵庫県姫路市)も例外ではなかった。通貨処理で培った認識・識別技術を顔認証の分野に展開して20年以上。2010年ごろからは歩く姿からでも顔認証できるシステムを開発してきた。

部長の越智康雄さんは「他社よりマスク顔を認識すると言われたうちのシステムでも、150サンプルのうち認識したのは20サンプルほど。残りは顔とさえ認識しませんでした。毎年、花粉症の季節になると『また来たか』と思っていましたが、コロナ禍でみんながマスクを着けるようになり、対応しないわけにいかなくなりました」という。

渋谷プロジェクトではコロナ禍の前から、万引き行為をカメラがとらえていてもマスクやサングラスで顔認証が難しいケースが技術課題になっていた。このため、グローリーはコロナ禍に先立って2年ほど研究してきた成果を急きょ新製品に載せることができた。認証に使う範囲をほぼ顔全体に広げ、マスクなどを除いた部分の凹凸の特徴を細かくとらえることで認証精度を上げたという。それでも明るさやカメラの位置などに応じた調整が欠かせない。

「全身の映像から顔を切り出して登録データと照合するのが当社の特長です。担当者は所持品や動きなど顔以外の映像も見て、最終的な判断を下すことができます。人は歩き方などにも特徴が出ます。いずれは『全身認証』に発展していくでしょう」と越智さんは予想する。

プロジェクトの運用検証委員で、プライバシーと技術の問題に詳しい弁護士の板倉陽一郎さんは「全部オープンにした結果、苦情は来ていません。法人の枠を超えて地域の3書店が顔認証データを共有することが許されるのは、実際に地域の複数の店で万引きをして警察に通報されるなどした人がいたから。そうした事実なしに広域に広げることは個人情報保護法に触れます」という。

■「犯罪防止のため」拡大解釈の懸念も

アメリカの独立を訴えたパトリック・ヘンリーの名言とされる「自由を与えよ。しからずんば死を」と書かれたメッセージを掲げるデモ参加者=2019年9月15日、香港、益満雄一郎撮影

「犯罪防止」の厄介な問題は、時として「犯罪」の範囲が為政者・権力者に都合よく解釈されたり拡大されたりすることだ。

中国が統制を強める香港では19年10月、民主化デモが燃えさかる中で、「覆面禁止法」が議会の審議なしに施行された。「非合法・無許可の集会やデモ活動で、個人の識別ができなくなるよう顔を覆うものの使用を禁ずる」といった内容だ。覆面によって個人の特定を逃れようとする市民を狙った法律であることは明白だった。

反発する市民がデモを繰り返し、香港高等法院(高裁に相当)もいったんは、覆面禁止法は香港の「憲法」に当たる香港基本法に違反するとの判断を示した。だが、中国政府がこの判断を覆す姿勢を示し、高等法院は覆面禁止法による取り締まり再開を容認。20年暮れ、香港終審法院(最高裁)は覆面禁止法が「基本法に違反しない」との判断を下した。

香港と状況は違う日本でも技術を使って、例えば犯罪防止を名目に、街頭の防犯カメラが個人の行動を逐一監視するといった監視社会のディストピアが出現することはないのだろうか?

弁護士の板倉さんは「国家の行為となると予算が伴うから、こっそりというわけにはいきません。やるとすれば正面からやるしかないですが、人権侵害にあたることであれば当然何重ものチェックが入ることになる。盗聴でも国会への報告義務があり、過去の立法例から言えば同程度には重くなるでしょう」と見ている。ふう、今のところ日本では大丈夫そうだ。

ただ、個人認証に限らないが、技術が歩みを止めるとは思えない。グローリーの越智さんの予想する「全身認証技術」などが実用化されれば、覆面も個人識別の敵ではなくなり、覆面禁止法のような露骨な法律は必要なくなるだろう。「日本企業がこうした技術を海外に売り込んでいこうとする場合、技術や営業の観点だけでは不十分です。不慣れですが軍事関連技術並みに、トップマネジメントに近いところで、人権やプライバシーをめぐる現地の状況を含めて検討していくことが欠かせません」と板倉さんは話す。

科学技術と社会の制度・システムは、お互いの様子をうかがいながら、絡み合いつつ進化を続ける。二重のらせん階段のような構造にあるのかもしれない。