――1979年放送開始の『機動戦士ガンダム』でキャラクターデザインを担当されましたが、その後にアニメを引退されて漫画家になられました。それが2015年からの『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』(ジ・オリジン)で25年ぶりにアニメ制作に復帰された。引退は撤回されたという受け止めでいいですか。
いいえ、引退したままで、アニメはやめています。ジ・オリジンは自分が描いた漫画のアニメ化だから限定的にやっただけで、その世界に復帰したわけではない。肩書は漫画家のままです。
――漫画とアニメでは思いが異なると言うことなのでしょうか。
異なりますね。私は、世間で漫画の受け止め方が変わってきた時代に大学生をやっていて、漫画に憧れを抱いた最初の世代です。漫画に対する魅力を感じつつ、心ならずもアニメの世界に入った人間なんです。当時、「月刊漫画ガロ」という漫画雑誌に自分の作品を1度持ち込みましたが、掲載にはならなかった。食べるためにアニメの仕事をしました。
――ただ、『宇宙戦艦ヤマト』やガンダムなど多くテレビアニメ作品に関わられています。アニメ制作の面白さを発見したということはなかったのですか。
もし、ガロに持ち込んだ作品が採用されていたら、アニメは辞めていたでしょう。ヤマトはお手伝いのバイトだったのですが、なかなか辞めさせてくれなかった。ガンダムの制作が始まってもそうだったので、結局は電話でけんか別れしたほどです。制作するうえでヤマトとガンダムでは、財力もマンパワーも異なっていたけど、貧乏でお金はなくても、ビジョンや創作の方向性でヤマトに勝てると思っていました。
ただ、方法論はヤマトに教わったんですよ。それまでアニメの客層は主に子どもだったわけですが、子どもではない別の客層がいて、そこを対象に作品をちゃんとつくれば応えてくれる。それを教えてくれたのがヤマトです。
――日本アニメは今、世界的に「大人アニメ」として認知されていますが、その走りがヤマトだったということですか。
当時のアニメは、独自の表現エリアではなかったんです。それをなかなか分かってもらえないので、マスコミがアニメ特集をすると、『巨人の星』や『あしたのジョー』などの作品がでてきます。私が(手塚治虫がつくったスタジオの)虫プロに入社した70年ごろ、同社の主力も、あしたのジョーをやっていました。当時、視聴率で20~30%をとっていたメジャー作品ですが、全て漫画原作です。でも、ヤマトやガンダムは、アニメ制作の人間がオリジナルで作ったテレビ作品です。それが当たり、独自の反応を引き出した。これはヤマトが最初なんですね。
それよりも前から、大人ターゲットということで言えば、手塚治虫さんは「子ども番組はいいから大人にも見てもらおう」として、映画シリーズの『アニメラマ』をやりました。お色気や政治的要素などを入れて映画を作ったのですが、結局その方向は違っていたんですね。子ども、大人という分け方をしたのですが、実際にヤマトやガンダムが獲得したのは、子どもと大人の間の人たち、ハイティーンエイジャーだったんです。
■複雑さが生んだガンダムの魅力
――私はまだハイティーンにもなっていませんでしたが、ヤマトよりもガンダムに熱狂しました。この違いはなんだったんだろうと考えてしまいます。
違いで言うと、ヤマトは物語がシンプルなんです。ひねりは入っているんだけど、基本的には勧善懲悪で、善と悪の二項対立です。それに対して、(ガンダムの総監督の)富野由悠季氏が書いてきた企画書は、一見なにが書いてあるのか分からないほどの複雑さで、逆にそれがよかった。混沌の中に放り込まれるようで、簡単には話が見えないんです。
それは、もう子どもではなくて、ハイティーンの好みなわけです。勧善懲悪では飽き足らなくなり、ひとひねりを求めてきた世代が飛びついてくれた。それまでの価値観がひっくり返されたのです。そうなると、子ども向けならいい、視聴率を稼げばいいなどと言っていたクリエーター側も、あなたはどういう作品を作るのか、本気で描きたいことがあるのかなどと逆に問われ始めた。その時に、やりたいことがあると名乗りを上げた筆頭が、ガンダムの富野氏でした。
富野氏が書いたガンダムの企画書を見た時、これは面白いと思いました。それまで僕はアニメを食べるためにやっていただけで、楽しくもなんともなかったのですが、オリジナルの企画書でアニメが作れるのだったら、案外この世界も捨てたもんじゃないと思ったものです。この世界で本当のクリエーターになれる、作家になれるという可能性を教えてくれたのが、僕の場合はヤマトだったし、実際にできると確信をもったのがガンダムでした。
また、登場人物の年齢も重要な要素でした。それまでの作品では、主人公は17~18歳のヒーローか、思いっきり元気のいい子どもが望ましかった。そのどちらかでした。ガンダムの主役のアムロ・レイは15歳の少年ですから、その間なんです。(艦長の)ブライト・ノアは19歳、(操舵士の)ミライ・ヤシマは18歳。ハイティーン設定になっています。当時は20歳を超えると「おじさん、おばさん」だったんです。ただ、ヤマトの登場人物は20歳を過ぎた設定でした。
――世界には、日本アニメのキャラクターに魅惑されたファンが多くいいます。私個人としては、いまだにガンダムに出てくる赤い彗星シャアの大ファンです。
キャラクターで言うと、誰が名付けたかは知りませんが、「美形キャラ」が流行しました。僕が描いたキャラクターでは、『勇者ライディーン』の悪役だったプリンス・シャーキン。主人公でもないのに、若い子たちから人気がでるんです。ちょっと影があるんですね。本来は憎たらしい悪役として出てくるはずなのに、なんか見栄えがいいというので、美形キャラという言葉が生まれたようです。これは漫画でも使われた言葉ですが、もともとはアニメに特化して出てきた言葉です。
ガンダムのころには、いい加減、美形という言葉にも辟易としていたのですが、結局、シャアもその流れで出てきたんです。美形にしてくれという注文があったので、はいはいって生返事して、マスクで顔を隠しちゃいましたけど、その下にあるのは美形だとしてね。
■スピルバーグもガンダムファン
――今のアニメ作品にも脈々とつながっている様々な要素の始まりの話を聞いているようで非常に興味深いです。ガンダムは米ハリウッドのスティーブン・スピルバーグ監督もファンで、自身の映画にも登場させてしまうくらいです。
スピルバーグ監督が、ガンダムの何を見てくれたのかは気になりますね。ガンダムシリーズの中で、一番最初のガンダムを見たのだとすると、ぞっとします。あのひどい映像を、非常に割り引いて見てくれているとすれば、ありがたい。
――ひどい映像?もちろん今の時代と比べたら画質は劣るでしょうけど、当時は相当なものだったんじゃないですか。
いやいや全然ダメです。これはかなりアニメ業界的な話になるのですが、ヤマトがテレビ放送開始された74年というのは画期的だったんです。この年、『アルプスの少女ハイジ』の放送も始まりました。このハイジとヤマトは、アニメを変えた象徴だと思っています。それ以前と、それ以後はアニメが全く違う。ヤマトの功績については色々と話しましたが、ハイジの功績はなんだか分かりますか?ヤマトはガンダムと比べてお金もマンパワーもあったと言いましたが、ハイジと比べると、クオリティーは全くよくないんです。
僕が評価しているのは、ハイジと『母をたずねて三千里』。この二つは素晴らしくて、ショックを受けました。これは簡単に言えば、高畑勲、宮崎駿コンビなんです。二人をよいしょする気持ちはさらさらないのですが、この2作品には大変な衝撃を受けた。僕は、高畑監督の最高傑作は母をたずねて三千里だと思っています。
――クオリティーが違うというのは、画質のことですか。
アニメそのものでしょうね。今のアニメの創生期を語る時、よく出てくるのが東映動画と虫プロです。東映動画は、ディズニーと張り合う劇場アニメとして『白蛇伝』を作る時、東京芸術大学を出た人などハイクオリティーな人材を集め、必然的にエリート集団ができました。一方で、僕が勤めていた虫プロは、最初から吹きだまりでしたから(笑)。東映から虫プロに来た人が、あまりにめちゃくちゃなことをやっているとして途方に暮れたほどです。僕は虫プロに拾われた人間ですが、よく分かるんです。虫プロでアニメーティングを教わり、こうやれば僕でもできると高をくくっていたのですが、それがぶん殴られてショックを受けたのがハイジとマルコだった。とてもかなわないと思い、私がアニメを引退することにもつながりました。
これは一般の人には分かりづらい話かもしれませんが、虫プロの作品は、最初から紙芝居なんです。いわゆるリミテッド・アニメーション。東映で高畑さんや宮崎さんがやっていたのは、フル・アニメーションから来ているんです。
――日本でフルアニメをやるのは予算的にもマンパワー的にも不可能だと聞いています。
日本でフルアニメを作るのは夢物語なのですが、フルアニメから中抜きしながら、フルに近づこうとしたのが高畑さんや宮崎さんです。最初から、ちょっと手の込んだ紙芝居のようなリミテッドを作るのとは、クオリティーの差に大きな違いがでます。もっと業界的に言い分けると、フルは送り描き、リミテッドの紙芝居は中割りのアニメなんです。だからどちらかと言えば、送り描きアニメでないとダメなのに、それがなかなかできないアニメーターが今も多くいます。
--使用する絵の枚数の違いと、表現方法の違いがハイジとガンダムのクオリティーの違いということなのでしょうか。
アニメの場合は枚数でクオリティーを表現することが多いんですが、ガンダムをつくっていた当時の常識で言うと、3000枚台の絵で30分枠の1話を作っていたんです。もちろん、時には4000枚近くになることもありました。ところが、ハイジやマルコはおそらく4500~5000弱で作っていたと推測します。たかだか1000枚の違いなのですが、この1000枚をどのように使うかでクオリティーが変わる。
今の時代は贅沢になり数万の枚数をかけるようになりましたが、何枚かけようが使い方が下手ならば中割りアニメのままなんです。動きがね、中割りアニメは折れ線グラフのようにカクカクしている。これが送り描きアニメでは、滑らかな曲線カーブのようなきれいな動きになる。作品を見れば、それは分かります。カクカクしているのに何万枚も使っているという作品は、恥ずかしいから枚数を言わない方がいいくらいです。
1000枚の違いだと言いましたが、高畑さんや宮崎さんは、この1000枚を非常に上手に使うんです。例えば、キャラクターが振り向いて手を挙げるという場面を描くとき、まずは最初に動くのは眼球です。目の動きを顔が追い、髪が長ければ、それにつられてなびく。そして身体全体も反応しながら手も挙がっていく。こうしたリアルな動きを頭の中で思い描き、それをとても滑らかに描いていく。一連の動作をたどっていく送り描きのフル・アニメ的な描き方なので、動きのクオリティーが優れている。
ところが、中割りアニメは、振り向く前の絵と、振り向いた後の絵、手を挙げたあとの絵の3コマになる。これでは紙芝居です。もちろん枚数を増やしても、結局カクカクとした動きにしかならないのであれば、意味がない。日本では完全なフルアニメを作る環境はないので、高畑さんも宮崎さんも枚数は抑えざるを得ないわけですが、送り描きをしながら、どこを抜いて、どこを増やすかというところにセンスが出るんです。
■ディズニーは「永遠に追い抜けない」
――今も日本はリミテッド・アニメが主流です。それでも世界で人気を集め、ディズニーやピクサーに並ぶ存在となったと言えるんじゃないですか。
ディズニーとは、やろうとしていることが違うから、永遠に追い抜けないですよ。東映動画はディズニーに対抗して『白蛇伝』を作りましたが、その一発で、勝負にならないと降りたわけです。資金が全く違いますからね。クオリティーでは、比較の対象じゃないでしょうね。だから、クオリティーでは勝負できない。
ジ・オリジンで25年ぶりにアニメの現場に戻り、アニメーターの仕事を見ましたが、送り描きと中割りという問題が、いまだににあるのに驚きました。その決定的な違いを、多くのアニメーターがほとんど気づいていない。中割りではなく、送り描きでないとダメなんだと何度も言いました。25年たってデジタル化しても、基本的なアニメーティングに対する考え方は旧態依然です。これは個人的な資質の問題、感性の問題だと思うんだけど、リミテッドアニメが何なのかということが実際にアニメーターに分かられていない。演出家にも分かられていないのであれば危機的なことだと思いました。
ただ、当事者たちが変わっていないのに周辺環境が変わって、評価ががらりと変わった。それが世界的な評価とか、非常に大げさな形で言われて、本人たちもその気になってしまうというのは、恐ろしいことですよ。世界の人たちが日本のアニメを見てくれるようになったことはいいことですが、世界で日本アニメは素晴らしいと言われて、特にアニメ業界の当事者たちが、クオリティーでも勝っていると勘違いしてはいけません。そのうちしっぺ返しを受けることになりかねません。そうならないことを願っています。
やすひこ・よしかず 1947年、北海道出身。70年に虫プロ養成所に入りアニメーターになる。監督をした『クラッシャージョウ』や『巨神ゴーグ』など多くのアニメ作品に携わるが、最も注目を集めたのがキャラクターデザインと作画監督を務めた『機動戦士ガンダム』。90年以降、アニメを離れて専業漫画家となり、『ナムジ』で日本漫画家協会賞優秀賞、『王道の狗』で文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞。漫画雑誌に連載した『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』がヒットし、そのアニメ化で25年ぶりにアニメの世界に一時的に復帰した。現在は漫画『乾と巽ザバイカル戦記』を執筆中。