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イスラエルで見つけた日本の食堂の味 世界に広がった餃子の奥深さ

中東を丸かじり 更新日: 公開日:
自宅でつくったマンティ

ヨーグルト・スープに浮かぶ餃子

旅は何と言っても新たな出会いが楽しみだ。ヨルダン川西岸のパレスチナ自治区ナブルスに長期滞在していたところ、旧市街で女性向けのアクセサリーを扱う商店を営む青年実業家のサーミさんと知り合った。

2000年代前半のナブルスは、第2次インティファーダ(対イスラエル抵抗闘争)の中心地で、特に旧市街はイスラエル軍戦車や走行車両の侵入を阻む狭い路地が迷路のように張り巡らされ、パレスチナ武装勢力の拠点となっていた。

今は、イスラエル軍が侵攻することもほぼなく、平穏な日常が戻っている。父親から旧市街の店舗を受け継いだサーミさんによると、紛争が激化した旧市街では商売を営んだり、住むこと自体が困難になったりしたため、古くからの住民の多くが去り、新たな人々が移り住んできた。サーミさんは「古き良き人間関係が失われてしまった」と嘆く。

それでも旧市街は狭く、店で雑談していると、サーミさんは通り過ぎていく人々と挨拶をかわしている。「今通ったのはアルアクサ殉教者旅団(パレスチナ武装組織)の元メンバーだよ。今のは(イスラム組織)ハマスだ。近くの店で杖を付いているのは、アルアクサの元幹部でイスラエル軍に撃たれて大怪我したんだ」と教えてくれた。

ナブルス旧市街の狭い路地

雑談している際も、サーミさんの携帯にはSNSのメッセージがひっきりなしに入ってくる。数カ月前に結婚したばかりの妻からだ。「嫁さんにはいつ連絡した」と聞かれたので、「4日前」と答えると、「俺は4分前に連絡を返したばかりだ。せめて40分前と答えないと」と軽口をたたいた。こんな感じで、アラブの男性は愛妻家が多い。

サーミさんの奥さんは、料理が得意というので、どんな料理をよく食べているのか聞いたところ、シシュバラクという餃子に似た料理があるという。エルサレムには4年も住み、ナブルスには何度も通ったが、この料理は初耳だった。「何か食べたい料理があるか」と聞かれたので、このシシュバラクを奥様に作ってもらうことにした。

サーミさんは、なかなかの敬虔なイスラム教徒。自宅にお邪魔したところ、台所で料理する奥様は引っ込んだまま顔も見せてくれない。聞けば、親族以外の男性には接しないようにしているのだとか。こうした性別による空間の分離は、聖典コーランの記述に基づくもので、その解釈によってはサーミさんのような生活様式を取る信徒もいる。もちろん、柔軟に解釈して奥様と普通に接することができる場合も多い。サーミさんの奥様にとっては窮屈な生活ではないだろうかと異国から来た者としては心配してしまうが、これも敬虔なイスラム信徒にとっては当たり前のことなのだろう。

そんな文化的な違いを反映するかのように、ナブルスの「餃子」も異国を感じさせる味わいだった。羊のひき肉がワンタンのような皮に包まれ、ヨーグルトを使ったスープに浮かんでいた。これにバターで炊き込んだライスとともにいただく。通常のヨーグルトに加えて、乾燥させたヨーグルトを加えることでスープに独特の香味とコクを出しているという。なかなかに濃厚な味わいだ。餃子が中東に伝播すると、こうも違った料理になるのかと感慨深い。

ナブルスで食べたシシュバラク

モンゴル帝国がルーツか

このシシュバラクは、地中海東部沿岸の歴史的呼称であるレバント地方に属すシリアやレバノン、パレスチナ、ヨルダンなどで食べられている。トルコにも有名な餃子料理のマンティがある。首都アンカラのレストランで初めて食べた時には、その美味しさに衝撃を受けた。冬のアンカラはマイナス10度にも迫り、底冷えがする。そんな中、茹で上げられたばかりのマンティに、ニンニクを加えたヨーグルトのソース、赤唐辛子やパプリカで色付けされたオリーブオイルが食欲をそそる。

このマンティは、極小のワンタンのような形。小さければ小さいほど美味とされ、訪問客に対する敬意や好意を示すものという。もちろん、時代の波はトルコにも押し寄せており、冷凍になって袋詰めされたマンティがスーパーマーケットで売られている。

マンティのルーツは、13〜14世紀のモンゴル帝国が起源とされる。それがシルクロードを伝ってトルコ語を話す人々が現在のトルコが位置するアナトリア高原に移り住んだことで、伝わってきたとみられている。ただ、小麦粉の皮に具を包んだような食べ物が古代メソポタミア文明の遺跡から見つかっており、中東地域からシルクロードを通って東方に伝わったとの説もある。

トルコ南東部ディアルバクルの市場

イスラエルには日本的な味覚が存在

シシュバラクやマンティは、美味しいものの、日本の餃子とは程遠い。ところが、イスラエルには、日本の味覚に近いものが存在するという。イスラエルの事情に詳しい友人の中東料理研究家からの情報を頼りに、商都テルアビブ南東部の庶民が暮らす地域にあるレストランに足を運んだ。世界各地に散らばったユダヤ人たちで形成されたイスラエルらしく、その地域には、ウズベキスタンやタジキスタンに暮らす、古典ペルシャ語とヘブライ語が入り混じったブハラ語を話すブハラ・ユダヤ人が多く住む。現地の伝統的な料理が今も受け継がれており、デュシュペラと呼ばれる水餃子のような食べ物がある。

このデュシュペラは、日本の中華食堂のワンタンのような味覚。具やスープの出汁こそ羊肉だが、醤油ベースで中東らしからぬアジア的な味わい。モンゴルや中央アジアでは、もともとこんな料理だったものが、トルコやシリアなどの中東地域に伝わり、現地で多用されていたヨーグルトと合わさった料理に転じていったのではないか。シルクロードを通じて日本と中東のつながりを感じる旅となった。

テルアビブで食べたデシュペラ