1. HOME
  2. LifeStyle
  3. 中東を越えて広がった料理「ドルマ」 グローバル化の歴史を物語る

中東を越えて広がった料理「ドルマ」 グローバル化の歴史を物語る

中東を丸かじり 更新日: 公開日:
自宅で作ったドルマ

ロールキャベツの起源にも

中東地域やその周辺に広がるその料理は、「ドルマ」や「ワラカ・イナブ」「ドルマダキア」などと呼ばれる。ご飯や肉をスパイスや香草で味付けしてブドウの葉で巻いた同じ料理だ。春から初夏にかけ、市場には束ねられたブドウの葉が積み上げられ、家庭では買い込んだ大量のブドウの葉が冷凍保存される。スパイスの種類や、乾燥フルーツを使うなど具材に変化形は存在するものの、歴史的に各地に伝播していったとみられている。

ヨルダン川西岸ラマッラの市場で売られていたブドウの若葉

そのお味はどうか。この料理ほど作り手の思いが味に出るものはないだろう。新鮮で柔らかいブドウの若葉を選び、破れやすい葉っぱで丁寧に手でご飯や肉を巻き上げる手間のかかる料理だ。各地の家庭やレストランで味わったが、やはり家庭の味に軍配が上がる。牛の首肉を使って4時間も煮込み味が染み込んだも濃厚な味わいや、パセリやミント、フェンネルなど大量の香草を使ったベジタリアン・バージョンの爽やかな香りが記憶に残る。

中東には、ヒヨコ豆のペースト「フムス」や、ヒヨコ豆のコロッケ「ファラフェル」など料理を共有する国や地域が存在する。しかし、このドルマの広がりは他に類例を見ないほど大きい。 ドルマは、トルコやエジプト、パレスチナなどの中東諸国・地域のほか、東はウズベキスタンやアゼルバイジャン、西はギリシャやアルバニア、コソボなどのバルカン半島の諸国にも存在する。今や、移民として多くのイスラム教徒らが渡った欧州にも広がる。

出来上がったドルマ

貿易活動でインドに移住したアルメニア人が作っていたドルマが、現地のウリ科の野菜をブドウの葉の代用にし、詰め物にはエビを使うベンガル料理に発展したケースもある。イタリアにもリピエネという詰め物料理がある。欧州各地にあるロールキャベツは、ドルマが中東から伝わり、ブドウの葉の代わりにキャベツを使って広がったと言われている。

オスマン帝国時代に各地に拡散か

ドルマは、トルコ語で「詰められたもの」を意味する。 オスマン帝国時代には、能力によって官僚機構に登用され、各地への道路網も整備されて物流や人の往来が活発化。大勢の宮廷料理人も存在し、料理が広がる条件が整えられた。ただ、ドルマの起源は定かではない。「料理の三日月地帯−中東料理の歴史」(ピーター・ハイネ著)によると、既にアッバース朝時代のメソポタミアで野菜の詰め物料理は盛んだったとの説もあるという。

ブドウの葉を使ったドルマ

パレスチナやイスラエルから地中海を渡ってギリシャ、そしてバルカン半島のアルバニアへと旅をしたことがある。旅の期間中、ドルマはいつも存在した。ブドウの葉を使うドルマは、ブドウ栽培に適した比較的乾燥して温暖な気候を共有しているからこそ広がったが、その語源から判断して、オスマン帝国の宮廷料理となり、当時、世界各地に広がったと考えるのが妥当だろう。イスラエルには、桑の葉を使うバージョンも存在する。

ギリシャには、小規模な料理店を意味するタベルナが小さな村にも存在する。地元産の新鮮な野菜や肉、チーズを使った地産地消の豊かな料理の世界が展開されている。

イスラエルから空路到着した地中海に浮かぶクレタ島のタベルナにも、ドルマがあったので食べてみた。

ギリシャでは、ドルマデスと呼ばれ、小振りなのはドルマダキァと区別される。その味は、中東で食べたものとなんら変わらない。そこでは、肉を主体にしたドルマではなく、ご飯と香草を主体にしたもので、前菜として冷やして出されてきた。肉なしのドルマはヤランジの呼称を与えられている。ドルマをめぐっては、トルコとギリシャの間で本家争いの声も聞かれる。各地で似たような料理がそれぞれ進化したということも考えられなくはないが、やはりトルコ語が語源ということで、トルコがその伝播に役割を果たしたと考えるのが自然だろう。

ヨルダン川西岸のタイベ村の民家に植えられたブドウの樹

宗教は形骸化、残った食文化

北上してギリシャを抜け出し、かつては「鎖国国家」だったアルバニアへと旅は続いた。最初に訪れたアルバニアの町ジロカストラは、「石の街」と呼ばれ、数百年前のトルコの街に迷い込んでしまったかのようだ。それもそのはず、オスマン帝国統治時代が約500年も続いたという。

ジロカストラには、パシャズキュフテといういかにもトルコ的なネーミングの肉料理や、バクラワといったオスマン帝国統治時代を彷彿とさせる料理があった。各家庭の庭にブドウやインゲン豆などの野菜が植えられ、食事に彩りを添えていた。

アルバニア・ジロカストラに建つモスク

ジロカストラの街を案内してくれたエニさんは、イスラム教徒だ。国民の57%がモスレムとされる。中東からギリシャを経てアルバニアにやってきて、イスラム教徒に出会うと、なんとなく親近感が湧く。ところが、聞いてみると、「(イスラム教徒にとってのタブーである)豚は食べるし、モスクにもいかないし、礼拝もしない。時々、教会に行くよ」と苦笑い。

エニさんは次のように解説してくれた。 「アルバニアの人たちは、オスマン帝国時代にしぶしぶ改宗した人たちが多く、社会主義政権下では無神論国家だった。父親の名前はトルコ系だよ。オスマン帝国時代に先祖は改宗を迫られたのだと思う。だから、アルバニア人は、宗教を熱烈に信じている人は少ない。それが最近になって外部勢力の介入によって宗教が復活する動きも見られる。政治は嫌だね」

オスマン帝国時代を彷彿とさせるジロカストラの町並み

オスマン帝国統治時代が終わり、宗教は形骸化したが、ドルマという料理はそのまま残った。グローバル化は何も今に始まったわけではないことをドルマは物語っている。