◉15でお嫁に来たアンネ。200のレシピが頭の中に
さて、ホームステイの初日から、贅沢なマンツーマンの料理教室が始まりました。毎日、キッチンにこもって、写真を撮りながら、メモをとりながら、アンネ(お母さん)の横にぴったりとついて料理を習いました。
トルコの人々に限らず、家庭料理はレシピがあってないようなものです。材料があればあるだけ作りますし、なければないでなんとかします。伺ったレシピはなんと200種類ほど。15歳でお嫁に来て以来、何十年もご飯作りをしているのです。家族のために料理を作り、キッチンも掃除が行き届いていて、主婦の鏡のような方でした。
まずは朝食づくりから。トルコ風スクランブルエッグ「メネメン」は、野菜をバターで炒め、卵やチーズを加えてトロトロに仕上げます。なんて美味しいんでしょう!そこに、朝食に欠かせない白チーズ、オリーブの実、トマトやきゅうり、ししとうなどの生野菜を並べます。それから、なすとぶどうの汁を黒蜜のようなもので煮詰めたジャム。トルコは小麦の原産地でもあるので、 「エキメキ(パン)」もお手製です。中でも、天然酵母で発酵させた、バタールのような「フランジャラ」は、外がパリパリで中がフワフワ。
チャイグラスには、「もういいです」というまで、後から後から紅茶を注ぎます。チャイグラスの上にスプーンを置くと「もう結構です」というサイン。朝食以外のティータイムでは、常に、ドライフルーツやナッツ、ロクム(求肥)なども合わせて常に用意していました。食材がとにかく豊かなことに加え、イスラム教徒はお酒を飲まないことから、甘いものを好む人が多いのです。
◉料理は、手が込んでいるほど美味しいのよ
トルコ料理が世界3大料理と呼ばれる所以は、オスマントルコ時代の宮廷料理に由来しています。
食いしん坊だったスルタンが宮殿に雇ったコックの数は1000人とも言われます。オスマントルコは、東はアフガニスタンやインド、西はイタリアをはじめとする地中海地方、南は北アフリカや、アラビア半島に位置するイエメン、北はバルカン半島からオーストラリア、ハンガリー、ウクライナまでを制覇していました。そのため、世界各国の食材や調理法を手に入れることができたのです。そうして、帝国の解体、宮殿の崩壊後に故郷に散った料理人たちが店を始めたことが、今のトルコ料理のルーツと言われているのです。
はじめはスープ。そのあとに前菜(メゼ)。冷たいメゼと温かいメゼとがあります。メインは基本的に肉が多く、たまに魚を食べる。そのあとにサラダ、ピラフと続きます。そのほかエキメキ(パン)、お茶と果物、デザート、お茶といった流れです。宮廷料理の流れを汲んでいるので、どれも手が込んでいます。
アンネの料理も、大変手の込んだ丁寧なものでした。私が、「もっと簡単なものを教えてください」というと、「料理は、手が込んでいるほど美味しいのよ。だから時間がかかるのは仕方がないですよ」、という返事が返ってきます。例えば、「チョルバス(スープ)」なら、素材を煮る、かくはんする、テルビア(仕上げのソース)を作り、風味を添える、と言った具合。作業工程も多いのです。
とはいえ、コース料理としていただくのは、ほとんどがお客様のある時だけで、普段はスープとメインだけ、メゼとメイン、ピラフだけなど、家庭の場合には臨機応変。私たちがお茶漬けで済ませるときがあるのと同じような感覚ですね。
私は、アンネに料理を教わる前に、レストランでハシムさんに教えていただいていましたので、微妙な違いを感じることができました。例えば、私がセルダルさんと以前作った水餃子、「マントゥ」などは、家庭ではとても小さく作りますが、レストランではラビオリのように大きく作るということもわかりました。確かに、レストランで小さく作っていたら、時間がかかって大変。そこで大きく作るようになったのでしょう。よく似ているようで、小さな部分が違っているのがとても勉強になりました。
ほかにも、ビスケットの原型とも言われる「ウン・ヘルヴァス」をはじめ、「バラクラヴァ」、「アシュレ」ほか、伝統的なお菓子もたくさん伺いました。
夏の終わりに1年分仕込む、保存食も一緒に仕込みました。前回までお話ししてきたロシアには、厳しい冬に備えて保存食を作る文化が根付いていましたが、食材豊富なトルコの場合は、旬のものは旬の時期に堪能し、旬が終わる時期には名残のように保存食にして、長く楽しむ感覚です。この違いも新鮮なものでした(保存食については改めて、連載の第18回目でお話ししたいと思っています)。
◉大陸で暮らす人たちの耳がいいのにはわけがある?
実は滞在中、セルダルさんが通訳をしてくれる予定だったのですが、久々に地元に戻ったせいで、毎日留守がちに(笑)。アンネはトルコ語しかわからないし、毎日2人きり。仕方がないので辞書を見ながら、「お母さん、今日もお客様がいらっしゃる?」と聞くと、「荻野さんが大変でしたら呼びませんよ」という感じで、辞書で会話を続けていました。私に料理を教えているせいで、日々、たくさんの料理ができあがり、お客様を呼ばなければならなくなっていたのです。それに加えて、日本人である私を珍しくて、たくさんの人が見に来ていたのだと思います。
大陸育ちの人たちは、耳がとてもいいのね。1回言えば復唱できるんです。例えば「マイドノス(=パセリ)」の意味を、私が「ああ、パセリね」と一度言うと、次からは復唱できるの。次からは「パセリ」っていうの。「サルムサク(=にんにく)」も一回で復唱。羨ましいですね(笑)。
世界をあちこち巡っていると、複数の言語を操れる人々に時折出会いますが、私がそれを「何ヶ国語もできるって素晴らしいことですね」というと「いえ、それはね、悲しいことなのですよ」と返されたことがあります。「他の言語を覚えなかったら生きてゆけなかったのですよ」と。
大陸に行くとわかるのですが、昔は常に戦争をしていて、自分が食われないためには相手の言葉を覚える。そうしないと食われてしまう。だから、耳にあらゆる言語が入りやすくなっているのでしょうか。大陸で生きるということはそういうことなのですね。びっくりしましたし、考えさせられました。日本など島国の人は耳が閉ざされていると、常に感じます。複雑な感覚です。
「ウン・ヘルヴァス」の材料と作り方(4人分)
1 フライパンにバター150gを熱して小麦200gを入れ、茶色っぽくなるまで弱火で練る。
2 小鍋に牛乳1カップ、砂糖150〜200gを加えて火にかけ、砂糖を溶かす。
3 2をを1に加え、弱火で5分ほど練る。蓋をして火を止め、そのま10分ほど蒸らす。保存容器やバットなどに流し入れて表面を平らにし、適当な大きさにカットしてローストしたピスタチオを飾る。