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トランプ和平案で春の味覚に暗雲 パレスチナの食卓を脅かすユダヤ人入植地

中東を丸かじり 更新日: 公開日:
アックーブが生えるヨルダン川西岸の大地

入植地の存続を容認

ヨルダン川西岸にあるイスラエルの大半の入植地の存続を容認したり、パレスチナ難民の帰還権を否定したりするトランプ大統領の和平案は、イスラエルの右派勢力の要求を満たす内容だ。和平案をうたいながらも、11月の米大統領選に向け、キリスト教福音派やユダヤ票の積み増しを狙った政治的意図を隠せない不公平極まりない代物。和平機運は盛り上がらず、逆にイスラエルとパレスチナの衝突が激化している。

1967年の第3次中東戦争に勝利したイスラエルは、ヨルダン川西岸を占領した。戦略的な高地にユダヤ人入植地を次々に建設し、ヨルダン川西岸のパレスチナ人居住地域は、分断されてきた。和平案では、居住地域を橋やトンネルで結ぶことで一体的な国家とするというが、そもそも国際社会は占領地での入植は違法との立場だ。和平案では、仲介者であるはずの米国が一方的にイスラエル寄りの立場で入植地存続を認めている。

ヨルダン川西岸は、イスラエルの東側に位置し、敵対するイランやイラクなどの攻撃を想定するイスラエルにとっては「防波堤」の役割を果たしている。パレスチナが将来的に国家として独立した場合も、ヨルダン川西岸という高地からイスラエル本土を攻撃されれば、防衛は難しい。要衝に入植地を維持することで安全保障を確保しようとの思惑がある。

春には緑に覆われるヨルダン川西岸

パレスチナにも季節の山菜

ヨルダン川西岸の見晴らしの良い高地の多くには、ユダヤ人入植地があり、その周辺も治安を理由にパレスチナ人たちは立ち入りを禁じられている。そんな場所に多く自生するのが、今回紹介する食材だ。日本で言えば、フキノトウやタラの芽、ウドなどの山菜に相当するようなパレスチナ人にとっての季節の味覚である。

春の山菜は、ほろ苦さやえぐみ、アクが持ち味だ。いずれも人間が自然の野草を改良してきた栽培物の野菜からは失われてしまった太古の味覚である。祖先の記憶を辿るように、春になると、無性に山菜が食べたくなる。パレスチナ人たちもそんな山菜を待ち焦がれている。春になると市場に出回る刺々しい山菜は、アックーブと呼ばれている。ところが、入植地の拡大により天然物は貴重品となり、力強い味わいや香りに欠ける栽培物が市場では増えている。

ヨルダン川西岸に自生するアックーブ

あるパレスチナ人は「母親が作る料理の中でアックーブを使ったものが一番の好み。でも、最近は天然物も少なく、値段が高くてなかなか食卓に上らない」とぼやく。筆者もアックーブ料理の手ほどきを受けようと市場で買ったが、「これは栽培物だ」と言われてがっくり。栽培物は、幾つものつぼみを付けるため、小さくて料理に手間がかかる。

イエスが被った「茨の冠」説も

アックーブは、キク科に属し、和名はグンデリアアザミ。花が咲く前のやわらかいつぼみを食用にする。3〜4センチほどの球状もしくは円錐状のつぼみには、棘が密生しており、皮手袋を着けて採取しないと怪我をしてしまう。人里離れたヨルダン川西岸の大地のごつごつとした岩が点在するような過酷な環境に多く自生している。

グンデリアアザミはトルコやアルメニア、イラン、シリア、レバノンなど周辺地域にもあり、モーセが伝えた口伝律法の文書であるタルムードや聖書にも記述があることから、昔から人々とのかかわりがあるようだ。食べ物としてはもとより、イエス・キリストがエルサレムで十字架に張り付けられる前、「ユダヤの王」と蔑まれてローマ兵たちに被せられた「茨の冠」の材料になったとの説もある。

イタリア北部の都市トリノに、イエスが死んだ後にその遺体を包んだとされる聖なる遺物がある。「トリノの聖骸布」と呼ばれ、信徒の間ではイエスの遺骸を包んだ布であると信じられてきた。ただ、1988年に英オックスフォード大学などが実施した放射性炭素年代測定では13世紀から14世紀につくられた布であるとの結果が出た。一方で、1世紀ごろの年代のものではないかとの調査結果もあり、聖骸布をめぐる真偽論争は今も続いている。

この聖骸布からはグンデリアアザミの花粉が大量に検出された。「茨の冠」の材料はグンデリアアザミだったと指摘する研究者が存在するのはこのためだ。イエス・キリストもアックーブを味わい、そのトゲに苦悶の表情を浮かべたのかもしれない。

ヨーグルト煮込みが人気

かつてヨルダン川西岸を散策中、アックーブなどの山菜を採るパレスチナの青年に出会ったことがある。どんな場所にアックーブが生えているのか山を登ったところ、岩と岩の間の厳しい土地に点々とアックーブは生えていた。青年は「入植地の拡大で近づけない場所も増え、収穫量は減っている」と嘆いていた。

ヨルダン川西岸でアックーブを採っていたパレスチナ人の青年

グンデリアアザミは、秋になって全体が乾燥すると、丸まって風に流されて大地を転がっていく。転がっている間に実から種をまき散らし、その種がたまたま岩と岩の間のような湿った土地に落ちれば、発芽するのだろう。

アックーブは、日本の山菜なら苦味を和らげたフキノトウに近い味わいだ。パレスチナ人たちには、棘をはさみで切り落として、油で揚げ、鶏肉とともにヨーグルトのスープで煮込んで食べる料理法がポピュラーだ。その際には、コクを出すために乾燥ヨーグルトも使われる。日本ではタラの芽で代用して通常のヨーグルトを使えば、少しは近い味が出るだろう。

市場で売られていた乾燥ヨーグルト。ナイフで削り、一晩水に浸して柔らかくなったものを料理の材料として使う

アックーブ本来の味を味わいたいなら、オリーブオイルで素揚げし、塩少々を振りかけ、レモンを絞って食べるのがいい。淡い苦味が感じられ、春の味覚が口中に広がる。てんぷらにして塩やしょうゆでシンプルに味わうのも捨てがたい。