いい加減座っているのがつらくなってきた。イスラエル・テルアビブを出発して、計4時間も車に揺られている。荒涼とした土の砂漠にすっかり飽きてしまった頃、突如、天にそびえる数千本のナツメヤシの林が見えてきた。ヨルダンとの国境に近いアラバ渓谷のクトラにある集団農場(キブツ)だ。
米カリフォルニア生まれで約40年前に移り住んだという土の研究者、エレーン・ソロウィ(66)が迎えてくれた。「ここに来たときには、ナツメヤシも何も生えていなかった。私たちは一つの作物だけに頼るわけにはいかない。だから500もの植物を試し、失敗を繰り返してきた」。当時の人口は研究者など50人ほど。今では200人以上が暮らし、乾燥地の農業を学ぶ学生も世界各地から集まってくる。
80ヘクタールの農地では、オリーブやメロン、野菜などを育て、ビニールハウスでは乾燥に強い品種を研究・開発していた。ナツメヤシの実は、干し柿のように巨大で、味が濃かった。モロッコが原産で油に美肌効果があるとされるアルガンの実も、山積みされていた。
ナツメヤシやアルガンの木が並ぶ足元には、さらさらした砂漠の土。栽培に必要な水と養分を与えるのに、「点滴灌漑」と呼ばれる技術を使っていた。
樹木に沿って地中に埋めたり地表に設置したりしたパイプから、必要な水と肥料を点滴のように直接根の周辺に届けるのだ。パイプには等間隔に小さな穴が開き、ドリッパーでどの場所にも均等に落ちるようになっている。
この灌漑システムを提供しているのが、点滴灌水装置を世界で初めて開発して今では世界的シェアを誇る企業ネタフィム。世界約20カ所に工場を持ち、100を超える国に機器を輸出している。1965年に南部のキブツで創業したときにはニッチな産業だったが、今ではエチオピアやタンザニアなどの砂漠地帯だけでなく、中国やインドなどの大規模農場でも使われている。「点滴灌漑を使えば、土の種類は関係ない。砂漠の農業を世界中で展開している」と担当者は言う。
農業技術の専門家でベングリオン大学教授のシモン・ラフミレヴィッチ(48)も「砂漠では、植物は塩分、高温、水不足、窒素不足の4大ストレスを抱えるが、最新技術をもってすれば、育てられない植物はない」と話す。土の良しあしなどは、もはや関係ないというのだ。ただし「インフラにお金をかけさえすれば……」だが。
初代首相ベングリオンは「イスラエルの未来はネゲブ(砂漠)にあり」と語り、「砂漠を花開かせる」ことに重きを置いてきた。イスラエルは耕作地が国土の24%に過ぎず、砂漠が60%を占める。耕作地は北部に集中し、南部の砂漠地帯を農地に替えるのが悲願なのだ。
そのひとつの帰結としての、土に頼らない農業。究極の姿は水耕栽培だ。テルアビブ近郊で、水耕栽培でハーブなどを作って欧州に輸出する企業TAPの農園を訪ねると、「カブール」と呼ばれる土壌改良材と水で、ビニールハウス一面にレタスやパクチー、シソやパセリなどが育っていた。
だが問題は穀物だ。イスラエルの食料自給率は8割を超えるが、小麦や肉などは輸入に頼る。点滴灌漑などの技術は高額の設備投資が必要で、砂漠での大規模な穀物栽培は容易ではなく、当初目指したようには進んでいないようだ。農業は北部の豊かな土地に頼り、占領下に置くパレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区でも国際法に反して入植を続けている。
それでもイスラエルがあきらめることはない。砂漠地帯で農業が軌道に乗れば、南部にも人が移住できる。それは隣接するエジプトとヨルダンへの牽制にもつながる。豊かな土地が乏しいイスラエルにとって、土は農産物の生産手段というだけではなく、あこがれのようなものでもあるのかもしれない。農業省傘下のボルカニ・センター教授メニ・ベンハー(67)は「水耕栽培で人口を養うことはできない。土は『生』を意味する。人は土から生まれ、土に返る」と土へのこだわりを口にした。
そのイスラエルから、過去に何人もの研究者が訪れていた乾燥地の研究施設が日本にあると聞き、訪れた。(つづく)
■イスラエルから何人もの研究者が訪れていた日本の研究施設とは。次の記事を10日朝に配信します。