欧州最後の独裁国家、とよくいわれるベラルーシでの話。
同国内にあるオーストリアの会社でマネジャーをしている40歳のYury Lukasheniaは、休暇に家族を連れてスペインやギリシャといった陽光降り注ぐ国々で過ごすくらいのゆとりはある。
ところが毎年春の休暇シーズンになると、彼は自国ベラルーシのサリホルスクにある岩塩坑に2週間、運が良ければ3週間滞在するのを楽しみにしているのだ。
「もちろん、最初はちょっと怖かったよ」。彼は初めてサリホルスクに行った時のことをよく覚えている。ガタガタの、明かりもつかないエレベーターに揺られながら地下約420メートルまで降り、世界最大級の塩とカリウムの鉱床につながるトンネルや洞窟が張り巡らされた薄暗い回廊に入ったのだから。
以後、旧ソ連時代の「岩塩鉱業の宝」だったサリホルスクへの旅は今回で6回目となった。Lukasheniaは呼吸が困難になるアレルギーに苦しんでおり、毎年この地への旅を欠かしたくない、と言うのだった。
「ここに着くとすぐに気分が良くなる」と彼は言った。「ヨットに乗っているより、岩塩坑で2週間か3週間過ごす方がよっぽどいい」と。
彼は妻を誘ったことがある。だが彼女は閉所恐怖症で、暗い地下洞なんか興味がなく、太陽がいっぱいの海岸の方がよほど好きだ。それでは、と友人たちを誘ってみた。しかし誰一人行こうとしなかった。
「友人たちに岩塩坑に行く予定だと言うと、彼らは決まって聞くのだ。『いったい君はどんな悪いことをしたのだ?』って」とLukashenia。
ベラルーシでも旧ソ連邦の国々でも、岩塩坑に行くと言えば、捕虜収容所の不快な記憶を呼び起こすのが一般的だ。しかし今日では、ベラルーシの鉱床は健康と治療の場としてブランド再生されてきた。独裁的な指導者として長く政権を握ってきた大統領アレクサンドル・ルカシェンコもこのアイデアを支持している。
岩塩坑が治療に効果があるという説は、今始まったことではない。隣のポーランドでは19世紀の初めに、ヴィエリチカ岩塩抗(訳注=ユネスコの世界遺産)で治療の事象が出始め、今も保養施設がある。
サリホルスクはベラルーシの首都ミンスクの南約130キロ。ここにホテルのような国立洞窟療養所があり、そこには年間約4千人が訪れている。療養所の開設は1991年。ソ連崩壊のわずか数カ月前だった。それでも療養所は着実に発展している。
訪問者の半分はベラルーシ国内からで、滞在費用は同国の保健システムで賄われる。あとの半分は外国からの訪問客で、ほとんどはロシア人。外国人の場合、費用は自腹で、2週間滞在するとだいたい1千ドルかかる。
療養所以外にも、最近近くにオープンした温泉を含め、塩分をたっぷり含んだ空気が部屋に充満した施設がある。だが、今も採鉱作業が行われている地下の岩塩坑を日々訪問できるのはこの療養所だけだ、と副所長のNatalia Dubovikは話した。
療養所から鉱床の入り口までバスが往復している。分厚いコートと安全帽を身に着けた訪問客が地下で午後の6時間療養シフトに向かう。病状がなかなか改善しそうにない客はもっと長い深夜シフトになる。採鉱労働者と患者はエレベーターの待合場所と寝室に通じる道で顔を合わせることになる。
鉱床では午後10時に消灯、午前5時45分に再び明かりがつく。点灯時、岩塩坑の地下室は軽快なポルカ音楽でざわつく。少しでも心地よく目覚めるため、と誰かが考え出したアイデアだ。
余暇を過ごすのに役立てようと、あちこちに洞窟が掘られた地下通路には卓球台やバレーボールコート、それにジョギングトラックが設けられている。
テレビやインターネットはない。
「我々は、世界からの孤絶を提供しているのだ」とDubovik。「しかし、他の治療と同様、適量を守ることが不可欠。何事も過ぎたるは及ばざるがごとしだ」と言った。
療養所が使っている岩塩坑は国同最大の企業で世界最大のカリ肥料会社の一つである国営ベラルーシカリ社の所有地だ。カリ肥料はカリウムから作られる。サリホルスクは、山のように積み上げられた塩とカリウムで街全体が輪のように囲まれている。
うららかな春の日でも、サリホルスクは保養地というより旧ソ連の荒廃した工業地を思わせる。街路という街路は――ベラルーシではどこもそうだが――不気味なほど清掃されている。コンクリートのアパート群の壁には採鉱労働者を称賛する絵が描かれ、広告塔にあるのはセメントの宣伝だけだった。
そんな町であっても、ぜんそくやアレルギー、それにさまざまな呼吸器疾患に対する岩塩坑治療は人気があり、ベラルーシカリ社は最近、療養所の隣に営利目的のスパを開設した。
療養所を運営しているパベル・レフチェンコはミンスクの外科医。彼は、療養所はウスパやサナトリウムではなく、あくまで医療施設だと強調した。療養所のスタッフは医療用の白衣を身に着け、医師、看護師、その他医療従事者の資格を持っている。訪問客は客ではなく「患者」と呼ばれる。
「我々は観光客など来て欲しくない」とレフチェンコ。「ここに来る者には理由があってしかるべきだ。それは病人であることだ。健康な人間には来て欲しくない」と言った。
ミンスクからの常連であるLukasheniaは、その点、自分は適格者で、チェリーをおなかいっぱい食べて急激なアレルギー症状を発症したことがある、と説明した。フルーツを食べるのを止めなければならなくなり、それでもしばしば呼吸困難に陥って、眠れなくなることもよくあったという。
「ここにいると、僕はまるで赤ん坊になったように眠れる」とLukashenia。
太陽光から完全に遮断され、携帯電話もインターネットからも隔絶されているとストレスから解放されて体に良い、だが一番肝心なのはあの鼻をつくような空気だと、彼は言うのだった。
ここの空気は、塩分とカリウムがたっぷりしみ込んでいて、花粉など空気中の不純物を遮断している。長い、寒い冬が終わって、春は人びとが歓喜する季節だが、彼にとってはアレルギーに苦しむ惨めな時季なのだ。
「僕は春を憎んでいる」とLukasheniaは言った。
アレルギー症状を少しでも緩和しようと、彼はさまざまな薬を試し、冷たいシャワーや種々のインチキ療法までやってみた。それで、やけくそになって岩塩坑を訪れたのだった。
「もっと何か強烈な効き目があるものを探していた」とLukashenia。「この場所のことは、ベラルーシですら多くの人に知られていない」と説明した。最初は「非常に疑っていた」と彼自身認めたが、すぐに呼吸が正常に戻って、びっくりしたという。
岩塩坑療法に本当に効き目があるのかという科学的な判断は、下されていない。しかし、ベラルーシの保健当局は、時代に逆行した政治と抑圧体制への批判を浴びているにもかかわらず、同国が医療革新の最先端に立っていると確信している。
療養所のレフチェンコ自身も、最初は自分でも信じられなかったと打ち明けた。「こんなのはインチキだという多くの人に会う。最初は私自身、疑っていた」。だが「いかに効き目があるのか、私はこの目で見てきたのだ」と語った。彼は、岩塩坑で過ごすことは病気を治すのではなく「症状を緩和するのだ」とも説明した。
地下の鉱床で築かれた人々の友情はとても強固だと言ったのは、ベラルーシ・ピンスクから来たぜんそく患者のZhanya Sakanchukだった。2012年に大統領のルカシェンコが療養所を訪れたテレビ報道を見て以来、毎年訪れている。
わらにもすがる思いだった、と彼女は語る。たった1人の子どもを病気で亡くして絶望のどん底に突き落とされ、体を壊したのだという。
ベラルーシの岩塩坑の地下室でぐっすり眠れる喜びをみんなで分かち合っている中Sakanchukは言った。なぜこれほど気分が良くなるのか本当の理由は分からない、でも、もちろん何度でもここに戻ってくる、と。「たぶん、これはあくまでプラセボ効果(訳注=偽薬でも本物だと信じて飲めば効き目があること)でしょう。でも、岩塩坑は私の人生を救ってくれたのです」(抄訳)
(Andrew Higgins)©2019 The New York Times
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