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アトピーと生きるということ 「心の持ちよう」という薬

Re:search 歩く・考える 更新日: 公開日:
illustration:Nagasaki Kuniko

目を覚ますと、ベッドのシーツに一滴の血が付いていた。寝ている間にかきむしったのだろう。腕の周りには、ひっかき傷が所々にできていた。 「またやってしまった」。心の中でつぶやき、ため息をついた。

6月上旬。私は出張でシンガポールのホテルにいた。

深夜まで仕事が続き、知らぬ間に疲れやストレスがたまっていたのかもしれない。エアコンをつけたまま眠りに落ち、部屋が乾燥したのも失敗だった。少し多めにチップを残し、部屋をあとにした。

私は生後2カ月でアトピー性皮膚炎を発症した。かゆみで眠ることができず、肌の赤みやカサカサが目立つのは、案外しんどいものだ。

記憶はないが、幼少のころは炎症やかくのを抑えるために包帯で体をぐるぐる巻きにされ、「ミイラみたい」だったらしい。医者から「ひどくなるから、かかないで」と言われて我慢すると、ストレスがたまって余計にかきたくなった。

小学校に入ると、肌を人前でさらすのが嫌になった。「アトピー星人」とからかわれ、炎症がひどい腕の部分を隠そうと、半袖の体操着の袖を伸ばしたり、「前へならえ」で腕をわざと曲げてみたり。ほとんど無駄な抵抗だったと思うけど……。

アトピーは簡単に言うと、肌がかゆくてかきむしってしまう病気だ。古代ローマ帝国の皇帝アウグストゥスが同じような症状に悩まされていたという記録がある。「アトピー」という言葉は、「奇妙な」という意味のギリシャ語に由来し、20世紀に入って提唱された。「アトピー性皮膚炎治療ガイドライン2008」によると、生後4カ月から6歳では12%前後が、2030代でも9%前後が苦しんでいる。親や家族も患っている場合が多い。

原因はダニやほこり、気候、食事、ストレス、大気汚染など様々で、人によっても違う。いったん発症すると、食物アレルギーやぜんそく、花粉症といった他のアレルギーも現れやすくなる。

アトピーを含め食物アレルギーや花粉症などといったアレルギーに悩むのは、今や日本の人口のほぼ2人に1人。アトピーを患っていなくても、アレルギーなら他人事とは思えない人が多いはずだ。

アレルギーは「文明病」ともいわれる。アトピーの原因の一つである乾燥の変化からみても、それは分かる。

気象庁によると、1876年の東京の平均湿度は78%だったが、2000年代は60%前後が多い。

国立成育医療研究センターのアレルギー科医長、大矢幸弘(60)は言う。「急激な都市化で緑が減り、道路が舗装されてビルが立ち並ぶと、空気が乾燥する。それもアトピーの発症者が増えている理由の一つ。経済発展の代償のような病気です」

アレルギーのなかでもアトピーは文明化の影響を最も大きく受けているのではないか――。だとすれば、現代に生きる自分が深く探る必要があるのでは――。

そんな大それた思いを巡らせる私に、大矢が興味深いことを教えてくれた。

「アトピーは先進国病ではなく、新興国や発展途上国でも起きているんですよ」

こんなデータがあった。各国の医師や研究者が2000年代初めに有病率を調べたところ、1314歳の子どものうち、エチオピアで19%、モロッコで23%、チリで22%と、先進国と比べても高かった。

 新興国で何が起こっているのだろう? フィリピンに飛んだ。

〈フィリピン〉部屋とゴキブリと私

マニラの交通渋滞 photo:Ishihara Takashi

フィリピンを選んだのは、13年前に留学していたころ、周りでアトピー患者を見たことがなかったからだ。何人かにアトピーの知り合いがいるか聞いても、「タカシのほかには知らない」との答えが返ってきたぐらいだ。

当時は通っていた大学の寮に住んでいた。部屋では毎日のようにゴキブリやアリとご対面。外に出れば、排ガスで鼻の穴が真っ黒になった。

それでも肌の調子は人生で一番と言っていいほど良かった。日本から持参した塗り薬はタンスの奥にしまい込んだ。「このまま治るのかな」とさえ思った。

フィリピンも大矢が言う新興国だが、私の記憶に照らすとアトピー患者がいるなんて信じられなかった。

首都マニラの空港に着くと、タクシーを拾った。おしゃべりを始めた運転手の男性(39)に、私が記者でアトピーの取材に来たことを伝えると、思いがけない答えが返ってきた。

「俺の子どももアトピーだ。12歳の長女は治ったけど、5歳の長男は今もかゆがっている」

マニラのビジネス地区にある病院に勤める小児皮膚科医のマリアローデス・パルメロ(45)が運転手の言葉を裏書きした。「フィリピンにも、子どもから大人までアトピー患者はいますよ」

フィリピン皮膚科学会によると、マニラを中心とした11の医療機関のアトピー患者数は、11年の2468人から、15年には4698人に増えている。

わずかな間に急増した理由についてパルメロは「急速な経済成長や大気汚染が原因だと思います。医師の理解が進み、患者を特定できるようになったことも大きいでしょう」と語った。

フィリピンの国内総生産(GDP)は、私が留学していた04年は約10兆円。今年はその3倍以上と見込まれる。約8300万だった人口は、14年に1億を突破。通勤時間帯の朝や夕方になると、大通りには車の渋滞の長い列が続く。高層ビルも目立って増えた。

 かつて私が完治を夢見た国は、先進国を追いかけるように経済発展を遂げる一方、アトピー患者を増やしていた。じゃあ、この国で暮らす患者は、どう感じているのだろうか?

待ち合わせ場所に行くと、チョロ・フランシスコ(14)が母親と出迎えてくれた。汗ばむ陽気なのに、長袖で帽子を目深にかぶり、緊張気味だった。

チョロ・フランシスコさん photo:Ishihara Takashi

彼は9歳でアトピーを発症し、1週間に一度はかかりつけの医師に診てもらっている。12回のシャワー後に保湿剤などを塗り、それでもかゆくて眠れない時は自宅の周りを散歩して気を紛らわせる。症状が悪化し、昨年11月と今年3月に入院した。

学校の友達にからかわれたことはないが、「アトピーなのが恥ずかしい」とぼそっと漏らした。母親のモニック(46)は「もっと幼かった時は、ジョークを言ってよく笑う子だった」と振り返る。自身も高校生の時にアトピー症状があったと言う。「私が彼にアトピーの遺伝子を与えてしまったのね」

アトピーの特効薬の開発に期待しているか尋ねてみた。彼女はすかさず「毎日。毎日よ」と訴えた。母のストレートな思いが、胸に刺さった。

幼いころから私の夢の一つは「アトピーが治ること」だった。国が違っても、ほかの病気でも、患者の治りたいという気持ちに変わりはないと思う。

ただ、私の場合、35年生きてきて完治していないので、半ばあきらめている、というのも本音だ。

そんな気持ちを吹き飛ばすようなニュースを今年に入って相次いで目にした。

新薬が開発されたというのだ。

「完治の夢」は市場原理とともに

illustration:Nagasaki Kuniko

「米国で新薬が承認されたとニュースで知った。現地で治療を受けることも考えている」

 認定NPO法人「日本アレルギー友の会」が5月に東京都内で開いた、皮膚科医と患者が集まった会でのこと。患者の一人が真剣な表情で訴えていた。

この「デュピルマブ」という新薬は、米国では今春から治療に使われている。臨床試験(治験)では、中程度から重度の患者の約4割で、皮膚に出る症状が完全に消えるか、ほとんどなくなった。米当局が「画期的治療薬」と評価したほどだ。

順調にいけば、日本でも来年前半には承認される見通しだ。米国行きには航空券代がかかり、薬代には保険もきかないだろう。それでも今すぐにでも行きたいと考える気持ちは、私にも分かった。

注目を集めている新薬はほかにもある。日本の中外製薬などが開発を進める「ネモリズマブ」だ。

今年3月に発表された臨床試験の結果では、中程度から重度の大人のアトピー患者の6割で、かゆみの程度が50%以上改善した。患者が寝付くまでの時間が短くなり、睡眠の質の改善が確認できた。

アトピーの治療は、薬を肌に塗って症状を緩和させる方法が主だった。対してこの二つの新薬は注射で体の中に入れ、炎症やかゆみに関わるインターロイキンというたんぱく質の働きを妨げるとされる。肌の表面からではなく、内部からかゆみなどを抑える効果が期待できる。

国内外の製薬会社は、注射薬のほかにも、塗り薬や飲み薬などの新薬開発に取り組んでいる。いくつかは5年前後で治療に使われる見込みだ。新生児の全身に保湿剤を毎日塗ることで、発症を抑える効果が高いとする研究結果も出ている。

新薬や研究の進展に期待が高まっている背景には、代表的な塗り薬「ステロイド」への賛否もある。日本でも外国でも、副作用を過度に恐れてステロイドを避けたがる患者がいるからだ。

アトピーは慢性病なので、効果が高い新薬が開発されれば患者はそれを長期間使いつづけることになる。そして先ほどみたように、患者は先進国だけでなく、新興国にも広がりつつある。製薬会社にとっては、新薬を売り込む「市場」が広がっているのだ。

研究が進み、そこに市場原理が加わって「完治の夢」がかなうかもしれない。そんな現代の姿を垣間見たような気がした。

米国で「革命」が起きている

でも新薬は、本当に私を含めた患者や、その家族が求めていた「夢の治療薬」なのだろうか?

デュピルマブなら、すでに米国で実際に治療が始まっている。現場で確かめたい。

開発元の一つ、仏製薬大手サノフィの米国拠点で新薬の開発責任者を務めるジアンルーカ・ピロッツィ(40)に話を聞いた。

「中程度から重度のアトピー患者の治療がうまくいかない場合、適切な治療法がなかったのです」

彼はさらに続けた。

「この薬はアトピー治療におけるパラダイムシフト。革命的とも言える。患者の人生が変わると思います」

効果はどれほどのものなのか。実際に治療を受けている患者に話を聞こうと、西部のオレゴン州に向かった。

オレゴン州マウントフッド photo:Ishihara Takashi

ポートランドにあるオレゴン健康科学大学の診療施設では、平日の午前中にもかかわらず、大勢のアトピー患者らが待合室で静かに順番を待っていた。

リンジー・スチュワード(38)は、この1カ月余りで3回、デュピルマブを打った。肌に若干の赤みはあるが、ほとんど分からない。「かゆみは残っているけど、間違いなく効いています」

彼女の症状がひどくなったのは20代前半。「朝起きて顔を見ると、麻薬中毒者のように見えた時もあった。伝染病にかかったかのように見る人もいました。そんな時は誰にも会いたくなくなりました」

見た目のコンプレックスから「後ろ向き」になる気持ちは私にもよく分かる。思春期のころ、朝起きて肌の調子が悪いと他人の視線がすごく気になった。自意識過剰かもしれないが、肌をじろじろと見られていると思った。

そんなとき、分け隔てなく接してくれる同級生や家族の存在に救われた。アトピー患者に限らず、他人が自分の存在を認めてくれることは「心の安定剤」になると思う。

彼女は新薬で前向きになれている。この日は何度も笑顔を見せてくれた。

しかし、「夢の薬」も万能ではない、というのが現実のようだ。大学生のアレグザンダー・チャー(19)は計7回打ったが、効果はあまり出ていない。理由はよく分かっていない。

「新薬が出て完治することが私のゴール。本当に、それを願っている」

「心の持ちよう」という薬

完治の夢をかなえるためには「先立つもの」も必要になる。新薬の価格が高くなりそうだからだ。

塗り薬の場合は比較的安価に抑えられそうだが、注射薬の場合、保険が適用される日本で月に数回治療するとしても、数万円の自己負担が発生する可能性がある。長い間使うとなれば、患者の負担はさらに増していく。

仕事や学業に支障をきたしやすい重度の患者らにとって、新薬は確かに画期的だ。しかし、米国で見たように効きづらい人もいる。価格を考えれば、誰でも気軽に治療を受けられるものでもない。

アトピー研究で世界的に知られるオレゴン健康科学大学教授のジョン・ハニフィン(77)は「新薬は多くの人に奇跡をもたらすが、患者がゼロになることはないだろう」と言う。

なぜ、なくならないのか?

「現代に生きる人は忙しい。アトピーにはストレスが大きく影響するのです」

私も学生時代はテスト前に、今なら仕事が忙しいときに、悪くなりやすかった。

フィリピンで会った皮膚科学会会長のマリアアンジェラ・ラバディア(59)の言葉を思い出した。アトピー患者は増えてはいるが他の国より少ない理由について、湿気に加えて「心の持ちよう」もあると教えてくれた。彼女は「フィリピン人は人生に楽観的。自殺はほとんど聞きませんから」と言った。

湿気の問題は自分ではどうしようもない。でもストレスなら心の持ちようで何とかなる、かもしれない。

じゃあ「夢の薬」の一つは、実は自分の中に、すでにあるのだろうか?

「パッチ・アダムス」になれるか

米国で脱ストレスのアイデアを探ろうと、イリノイ州に住む医師に会いに行った。笑いを医療に採り入れ、世界の病院や難民キャンプなどを道化師として訪ねているパッチ・アダムス(72)だ。彼の半生は1998年にロビン・ウィリアムズ主演で映画化された。

パッチ・アダムス photo:Ishihara Takashi

彼は高校時代にいじめられ、自殺未遂や入院を繰り返した。病院の患者らとの出会いからユーモアや笑い、愛情が心と体を癒やすことを知り、医師を目指した。18歳で「悪い日はもうこない」と自分に言い聞かせたのだという。

私がストレスという言葉を何度も口にしたからか、彼は「君は本当にストレスが好きだね」と笑って見送ってくれた。

ハッとした。ストレスのことを考えすぎて、ストレスがたまっていた。

アダムスは私の肌を見て、こう語りかけた。「もし、あなたがアトピーを見せながら出歩き、幸せそうにしていたら、不幸だと思っている他のアトピー患者のためになるだろう」

彼の言葉は確かに心にしみた。でも、症状が重い患者にとっては、彼のように不安や悩みがないと自分に言い聞かせ、納得することは、そんなにたやすいことではない気もする。

この記事を書いていた時、上司から何度もダメ出しをくらった。その度に、「仕事って楽しいものなんだ」「そういう今が幸せだろう?」と自分に言い聞かせてみた。

だけど、肌は正直だ。朝起きると、ひっかき傷が増えていた。

ならば行動だ。大好きなラーメンを食べに行ったり、人気フォークデュオ「ゆず」の曲を聞いて励まされたり、1人で夕日をボーッと眺めたり。

考えすぎず、前向きに――。これからもアトピーとの付き合いが続くとしても、この気持ちは忘れないでいよう。そう思った。

 

イラストレーション

長崎訓子(ながさき・くにこ)

1970年生まれ。イラストレーター。書籍の装画や挿絵、映画に関するエッセーなど多方面で活動中。主な装画の仕事として『武士道シックスティーン』『億男』など。漫画の作品集に『MARBLE RAMBLE 名作文学漫画集』などがある。