チャン・チョーチュンは太いプラスチック製のストローを使い、薄黄色の粉末状の薬の原料をそっとすくって銀箔(ぎんぱく)にのせ、電子計量器にかけた。透明のカプセルに詰める前に、適量かどうか確かめるためだ。
抗がん剤を自宅で手づくりするには、計測は正確でなければならない。
チャンには医療の経験はなく、製薬の職歴もない。絶望の果ての自家製薬だ。母親が肺がんで、高価な薬が必要だったが、野心的ながら問題が多い中国の医療制度下では薬を調達できなかった。
自家製薬の危険性はわかっていた。チャンがつくっていたのは、中国でも米国でも当局が認可していない医薬である。原料はオンラインで買ったが、売り手が誰なのか確かではなかったし、本物かどうかもわからなかった。
「あれこれ言っていられない。えり好みできないのだ」とチャン。「売り手に良心があることを願うしかない」と言った。
必要に迫られてのことなのだ。中国の高齢者の間では、がんや糖尿病など命にかかわる病気を患う人が増えているが、多くは薬が見つからないか、高価で買えないのだ。中国の医療保険制度はまだ初期段階にあり、高騰する治療費や医薬費をカバーできていない。保険の適用範囲は被保険者がどこに住んでいるかによるし、一部の農村住民には依然として特定の医薬が手に入りにくい。
政府は高額な予算を投入して新たなセーフティーネットを設けてはいるものの、公式データによれば、疾病は家族の暮らしが貧困ライン以下に転落する主な要因なのだ。
中国が抱える問題も多くは、自らが招いたものだ。何百万人もが必要としている救命薬が、役所の規制で遠ざけられている。医薬品の認可審査のスピードは加速しているが、未処理分がたまっている。昨年10月まで、米国や欧州で認可された医薬品は中国で複雑な審査を経る必要があった。現在でも、保険会社が外国製の医薬費をカバー対象に含めるにはさらにもう一つ規制を乗り越えなければならない。
中国では生き延びるために、多くの病人は、そして彼らを愛する人たちは、法を犯す。ネット通販市場には、違法な医薬品があふれている。販売業者たちはヤミの薬局を営んでいる。場合によっては、がんの患者やその家族がオンラインで薬の成分や製薬法を検索し、自分で手づくりしているのだ。
中国が直面している問題は世界中で起きている。多くの同じ問題で、米大統領トランプら世界のリーダーは大手製薬会社と対峙(たいじ)している。製薬会社側は規制や認可の遅れに不満を抱いている。薬価が高い米国からは人びとが必要な医薬を求めて、カナダやメキシコへ行く。ロシアの患者たちは必死の思いで英国へと出向き、ジェネリック(後発医薬)のオンラインネットワーク、つまり「buyers' club(バイヤーズクラブ)」を通じて薬を探すのだ。
中国では、医薬へのアクセスに関する国民の懸念が高まっており、それが政権指導部にプレッシャーをかけている。この夏、中国で「我不是薬神(英語名=Dying to Survive)」という映画が大当たりした。自らバイヤーズクラブを運営し、自分自身や他の患者のためにインドからジェネリックを密輸する白血病を患った中国人の実話をもとにした映画だ。中国でがんの薬を入手することがいかに困難かという問題に光を当てたとして、広く国際的な称賛をあびた作品である。
この映画の人気は、中国首相の李克強(リー・コーチアン)に、速やかな医薬品の値下げを働きかけるよう促した。中国はますます豊かになってきており、それが人びとの期待感を高めているのだ。中国共産党の権力支配は、より良い健康管理など公共サービスをいかに向上させるかにかかっている。
「それができるのかどうか、私にはわからない」。北京にある米中間の医療協力関係の強化を目指す団体「美中医療衛生合作項目(HCP)」の事務局長チョウ・チュンは、そう述べ、「とても難しい課題だ」と語っていた(彼は、ニューヨーク・タイムズの取材に答えてから数カ月後、がんで死去した)。
昨年のこと。中国南西部にあるホン・ルーピンの質素なアパートを警察が急襲した。警察は、捜していたモノがテレビの下にあるのを突きとめた。慢性腎臓病の治療薬だ。
失業中で、週に3回、人工透析を受けているホンは、その薬は自分が使うもので、インドから入手した西欧の薬剤の模造品だと説明した。警察は、国が許可していない医薬だとして押収。その後、当局は彼を釈放した。
だが、ホンは急襲を受けた後も小包で毎月送られてくる医薬を受け取り続けた。薬は、自分のためだけのものではなかった。ホンは、薬の「代購(代理購入者)」として知られている。経済力がなかったり、入手できなかったりする人たちのために、怪しげな方法で医薬などを調達するのが代購だ。
食用の鳥の巣やスネイルスライム(訳注=カタツムリの一種が分泌する粘液)を使った韓国製のフェイシャルマスク、オーストラリアの幼児用調整乳などを買うために代購を利用している中国人が多い半面、一方には生命を維持するためにホンのような代購を頼りにしている人もいるのだ。
「私は病気を患っている。当局が私を有罪にする気なら、私にはどうすることもできない」とホンは言う。「牢屋にぶち込まれることと、病気になることとに違いがあるかって? どちらにしても自由はない」
中国はほぼ全国民を対象にした医療保険制度を導入したが、適用範囲は限られている。医療費の患者の負担率は、米国は平均10%ほどだが、中国では約30%だ。多くの医薬は保険がきかない。
保険の適用がごく限定的だから、何億人もの中国人たちが医療費の高騰にあえいでいる。中国政府のデータによると、昨年の3四半期は、1人あたりの可処分所得が9.1%増えたものの、医療支出は13.2%も増加した。このため、中国人は特にインドから医薬を密輸入するようになった。インドでは、多くの薬価に上限が設けられている。
ホンの薬代は年に4200ドル以上もかかる。インドの10倍も高い。
保健の専門家のなかには、当局が認可していない医薬を使うことを勧めるかどうか迷っている人もいる。「使うべきか、使わざるべきか、いちがいには言えない」とゴードン・リウは言っている。北京大学の中国衛生経済研究所長で、政府顧問でもある。
「インドから入ってくるジェネリックのいくつかは、中国の既存の薬よりも新しい治療に使える可能性がある」とリウは述べ、「非公認のルートで医薬を入手するということには、経済的なリスクだけでなく、技術的な不確実性もある」と付け加えた。
北京大学腫瘤(しゅりゅう)医院の消化器腫瘤内科長シェン・リンによると、彼女の患者で治療が長期化しているうちの何人かは薬代を払う余裕がなくなっており、インドのジェネリックを使えるかどうか聞いてくる。そうした場合、供給元が非公認の医薬は保証できないからとして、思いとどまるよう説得する。だが、「そのままだと、患者たちは(経済的に)立ち行かなくなる」とも彼女は言っている。(抄訳)
(Sui-Lee Wee)©2018 The New York Times
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