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4年で100倍、アメリカを目指す移民はなぜパナマのジャングルを目指すのか

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機動隊が撤退を告げると、移民たちは路上にひざまずき、歓喜の祈りを捧げた=メキシコ・タパチュラ郊外

©Kimura Design Office

5月14日、15日テレビ朝日系「報道ステーション」でも特集されました。以下リンクで取材映像をご覧いただけます。

テレビ朝日系「報道ステーション」より

【14日・報道ステーション】命懸けでアメリカを目指すキャラバン

テレビ朝日系「報道ステーション」より

【15日・報道ステーション】なぜ命懸け…移民が通る危険地帯の実態①

【15日・報道ステーション】なぜ命懸け…移民が通る危険地帯の実態②

 

■おもちゃ屋2階の安宿

「ホテル・グッドナイトに行け」

南米から北米を目指す移民が集まる中継地と聞き、コロンビア北部メデジンからバスで9時間かけて着いた港町トゥルボ。材木が積まれた船着き場で移民がいそうな場所を尋ねると、一言、そう言われた。

【シリーズの前2作を読む】

流れ作業で移民に有罪判決 壁が分かつ世界の現実

ギャングに追われて北を目指す移民たち 中米の小国、殺人発生率は「世界最悪」

「ダリエンギャップ」を越えて北米を目指す移民のルート

それは、移民局のそばのおもちゃ屋の上にある安宿だった。「Good Nigth」とつづりを間違えた看板を掲げた2階からフロントに入ると、受付の女性のポロシャツの胸には、今度は「Goog Night」の刺繍。案の定、スペイン語しか通じない。

つづりの間違った「ホテル・グッドナイト」の看板=コロンビア・トゥルボ

それでも、移民が集まる理由はこの宿の名にあった。宿帳にはインドやパキスタン、ガーナやエリトリアなどアジアやアフリカの国々の名が並ぶ。

ホテルの通路に、カメルーン人が集まっていた。同国では少数派の英語圏住民で、政府軍に家を焼かれ国を逃れたという。元大学生の男性(25)は「英語名のホテルだから言葉が通じるかも」と、ここを選んだ。同じ境遇の仲間を見つけ、ともにダリエンギャップを越えて北米を目指す。「家で兵士に射殺されるのを待つより、密林で死ぬ方を選ぶ。命がけです」

窓のない部屋の壁を見ると、「心配するな、神とともにある」と英語の小さな落書きがあった。

■「速度を落とせば転覆する」

「ダリエンギャップ」を越えて北米を目指す移民のルート

翌朝、郊外の波止場からダリエン湾を渡るボートに乗り込むと、すし詰めの乗客45人のうち、41人が移民で、中には子どもも10人いた。ビーチリゾートの町に向かう一般の定期便だが、オフシーズンのいまは、移民船のようになっていた。

出発するや小さなボートは荒波を猛スピードで進む。すぐに波しぶきで目を開けていられなくなった。10秒ごとに波がしらを越え、乗客の体がそろって宙に舞い、着水のたびに椅子に打ち付けられて悲鳴が上がる。歯を折りかねない。慌ててハンカチを口に含もうとしたが、手すりから手を離せなかった。着水したはずみで背もたれが外れ、前列のハイチ人の少年が床に崩れ落ちた。「ちょっと、止めてくれ!」と叫ぶと、後列のインド人から怒声が上がった。「だめだ。速度を落とせば転覆する」。近くの海域では1カ月前、夜陰に紛れた密航船が荒波で壊れ、約20人が亡くなる事故が起きていた。

ダリエン湾を渡るボートの中から。激しい波しぶきを上げて猛スピードで進んだ=コロンビア・ダリエン湾

途中でエンジンが故障し、予定の倍の6時間かけてパナマ国境に近いカプルガナに着いた。移民たちが神への感謝を口にするのが分かった気がした。パスポートも靴底に隠した米ドル札も水浸しで、カメラ3台が動かなくなっていた。地元の人に話すと、肩をすくめた。「移民を一番最後の船に集めて、家畜のように乱暴に扱う船長が多いから」

途中でエンジンが故障し、代わりのボート(右)に乗り換えた=コロンビア・ダリエン湾

■「天国」への道

船旅を終えた移民たちは夜明け前、「コヨーテ」と呼ばれる密航手引き人とともに数十人の集団になって、町はずれの山道から自然保護区のジャングルに入るという。その入り口には、看板が立っていた。

「El Cielo」。スペイン語で「天国」を意味する。いくつもの山を越えて崖を下り、川を渡った先に、天国を思わせる美しい湖沼があるという。だが道中は、誘拐や強盗、置き去りといった危険に満ち、けがや熱帯病で歩けなくなっても助けは来ない。港に面した宿のオーナー、ネシー・ホハナ(30)は「捨てられた服と人骨、とりわけ子どもの骨がよく見つかる」と話した。

スペイン語で「天国」を意味する看板。移民たちはここから自然保護区のジャングルに入るという=コロンビア・カプルガナ

私自身はボートで空港のある隣町へ行く予定だったが、はからずも移民たちの道のりの一端をたどることになった。高波で港が閉鎖されたのだ。船が出るまでに1週間以上かかることもあるという。犯罪組織の影がちらつく港に長居は避けたいが、隣町までは直線距離16キロのけもの道で、山越えもある。馬3頭とガイドを手配し、通訳とともに「天国」の入り口に戻った。

危険な「天国」には進まず、なだらかで安全という海側の道を選んだが、馬上でも息が上がる。分かれ道が多く、移民が目印にしたらしい布切れが枝に結ばれ、ジーンズも捨てられている。2年前にキューバ移民の遺体が見つかった場所を過ぎたとき、ガイドは言った。「遺体なんて何度も見たよ。別のルートではアフリカ系の妊婦が死んでいた」

■ジャングル最奥の多国籍な村

川を十数回渡り、いくつもの牧場を通り抜けて5時間半。隣町に着いた時には日が暮れかけていた。移民たちはこの密林の奥を、小川の水をすすり、ビスケットを食べながら1週間ほどかけて越えて、パナマ側にある人の住む村を目指す。

私は、パナマ市から移民が到着する地を目指した。その一つで、少数民族が暮らすジャングル最奥の村バホチキトを訪ねると、まるで国際会議を思わせるような多国籍の顔ぶれであふれかえっていた。

川べりで水浴びするハイチ人やペルー人、高床式住居の木陰には青いターバンを巻いたインド人。人口約250人の村に世界中からの移民が約450人も集まっていた。

少数民族が暮らすジャングル最奥の村=パナマ・バホチキト

国境警備隊の詰め所の黒板には、ネパールやスリランカといったアジア、コンゴやカメルーンなどのアフリカ、キューバなどのカリブ海まで、20を超す国名と人数がチョークで殴り書きされていた。移民が増えたのは2015年ごろという。体を壊す人も少なくなく、前日にもアフリカ系の人の水死体が見つかっていた。村はずれの墓地には、土を盛ったばかりの跡があった。

女性や子どもの姿も目立つ。近くの村で会ったハイチ人女性は15人のグループで6日間、密林を歩いた。「食べ物がなくて本当に大変で、マラリアになった人もいます。でも子どもは米国で産みたいんです」と膨らんだおなかをさすった。

■コロンビアからパナマへ、4年で100倍

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の統計を見ると、コロンビアからパナマに入った外国人は11年に300人足らずだったのが、15年と16年は約3万人に。わずか4年で100倍に膨らんだ。その出身国はアフリカ、アジアを中心に約50カ国に及ぶ。なぜわざわざ南米に渡り、危険なダリエンギャップに身を投じて北米を目指すのか。

UNHCR中米キューバ地域代表ジョバンニ・バス(48)は、「欧州に向かう地中海ルートが困難になり、だれもが代替ルートを探していた」と話す。中東やアフリカなどから難民が殺到した15年の「欧州難民危機」で欧州諸国が門戸を狭めたため、代わりに米州に向かうようになった、というのだ。「密林を抜ける危険が、十分に理解されているとはとても思えない」

この新しい流れの中で、米州に目を向けた移民の「玄関口」になったのが、多くの国からビザなしで入国できるエクアドルや、五輪やワールドカップで外国人労働力を受け入れてきたブラジルだ。国を逃れざるをえない人、貧しい母国に帰らずに豊かな国を目指す人。ダリエンギャップはこうして、彼らが明日を描くのに、どうしても越えなければならない「壁」になっていった。

ダリエンギャップを越えた移民たちはその後、さらに北上し、「北の三角地帯」と呼ばれるホンジュラス、エルサルバドル、グアテマラの3カ国から米国を目指す人たちの波に流れ込んでいく。

警察やギャングを恐れ、人目を避けて身を潜める「伏流水」だった移民の流れが突然、堂々とした「大河」に変貌したのは昨年10月のことだ。数千人規模のキャラバンを組んで米国境に迫り、中間選挙を前にした米大統領トランプが「侵略者だ」と非難したことで世界中のメディアの注目を集めた。「エクソダス」(大量脱出)と呼ばれ、「完全にゲームを変えた」とも言われるキャラバンの背景に何があるのか。私は同行することにした。

■SNSで「ターミナル午後11時」

「2月16日ターミナル SpS 午後11時」。SNSで見つけたキャラバンの告知だ。SpSとはホンジュラス第2の都市サンペドロスーラのこと。「マラス」と呼ばれる青少年ギャングの根城で、殺人発生率の高さから「殺人首都」の異名を持つ。大統領選をめぐる暴動で焼き打ちされた有料道路の料金所は、がれきのままになっていた。

エルサルバドルのギャング「マラス」のメンバー=2017年2月、報道写真家サルバドル・メレンデス撮影

キャラバンは毎回この街から出発するが、集合場所に指定されたバスターミナルに着いた時は、本当にキャラバンが組まれるのか、まだ半信半疑だった。

日没とともに、ターミナルの芝生には家族連れらが続々と集まり始めた。4人の子どもらを連れたホルヘ・ロランド(37)は、勤めていた携帯電話店の店主がマラスに脅されて夜逃げし、職を失った。「移民なんかしたくないが、子どもに教材も買ってやれない。行くなら大勢の方が安心だ。脅されても集まって身を守れる」。300人規模になった人々は、バスと徒歩の二手に分かれて出発。夜明け前にグアテマラとの国境に到着した。首都からも続々とバスが着き、人数はさらに2倍に膨らんでいた。移民たちは休む間もなくバスを乗り継いで先を急ぎ、もたついた私は取り残された。

■「スイミー」が変えたゲーム

追いついたのは2日後。炎天下、メキシコに入ったばかりの幹線道路を土煙をあげながら歩いていた。

様子がおかしいと気づいた。青年たちが木片を手に、後をつける当局のバスを威嚇している。聞けば「橋の上で青年が急死したのに助けてくれなかった」「俺たちを逮捕するつもりだ」という。「ドン、ドン」という音とともにバスに石が投げつけられ、次々に窓ガラスを割られたバスはUターンしてその場を離れた。

今度は盾を手にした機動隊員が横一列に並んで道路を封鎖した。移民たちは「子どももいるんだ」「話し合いたい」と叫んでにらみ合う。すると、機動隊のリーダーが歩み寄り、こう告げた。「我々は撤退する」。衝突を避けたのだろう。移民たちは道路にひざまずき、神に祈りをささげた。地元当局者が「歩き続けてもらって構わない」と語りかけると、拍手と歓声がわいた。

あぜんとした。メキシコ南部は1年前に取材したときには移民にとって最も危険なエリアだったのだ。検問を避けるために山道に入って強盗や性的暴行に遭ったり、警官に賄賂を求められたりすることも多く、とりわけ家族連れにとっては厳しい道のりになっていた。

それが、今では警察と堂々と渡り合い、犯罪組織におびえることもない。小さな魚が集まって、一匹の大魚に見せかけて海を泳ぎ抜く絵本「スイミー」(レオ・レオニ著)の物語を思い出した。

■「別の生き物になった」

移民事情を一変させたキャラバンはどうして生まれたのか。「生みの親」の一人で、移民を支援してきたクリストバル・サンチェス(40)に聞くと、昨年10月の「エクソダス」以降は、彼らが発案して育てたキャラバンとは「別の生き物だ」と突き放すように言った。

09年に始めたころは、移民支援を世論に訴えるための「行進」で、移民を促すものではなかったという。毎年の恒例行事となったが、昨年10月、ホンジュラスの元野党政治家の呼びかけをきっかけに「米国行きのチャンス」とSNSで一気に拡散。数千人規模に膨れ上がった。その人は出発直後に逮捕。制御のきかないなか、その後も出所不明のSNSの告知が毎月のように出回り、リーダーがいないままに進み続ける。サンチェスは「あまりにも統制がとれない。もうかかわりたくない」。

炎天下の幹線道路を集団で歩くキャラバンの移民たち=メキシコ・タパチュラ郊外

その通り道となっているメキシコ・タパチュラでは、路上で寝たり、噴水で水浴びしたりする移民への風当たりは強い。時計店主ミゲル・モラレス(49)は「治安は悪くなるし、物乞いはするし迷惑だ」。傍らの従業員(50)も「メキシコ人だって仕事がないんだ」と憤った。

キャラバンが当局の車両に投石する動画がSNSで流れた翌日、キャラバンは街に入るのを拒まれた。「弱い」はずの移民たちが力をつけたことで、地元には反発と分断が生まれていた。

炎天下、水を分け合う姿もあった=メキシコ・タパチュラ郊外

■「バケツリレー」で7台投入

力をつけた移民たちは、この先、どう進んでいくのか。私は「その後」の彼らを見るためにメキシコ中部アバソロという田舎町で、1月に出発していた別の隊列に合流した。

ヒッチハイクしたトレーラーで移動する移民たち=メキシコ・ラピエダドデカバダス郊外

サンペドロスーラを出発して1カ月半近くが過ぎ、すでに約2200キロの距離を進んだ約650人は疲れ果てていた。子どもたちが起きられなかったため、朝の出発を断念。日中もコンクリートの床に敷いた毛布に大勢が横たわっていた。

3~9歳の4人の子を連れてグアテマラから来た元事務所員リリアナ・ムニョス(28)は「子どもたちはせき込むし、もうくたくた」と横になったままだ。外気は11度。私も午前2時半ごろ寒くて目が覚めた。せき込む声が切れ間なく続いていた。

翌朝8時に出発。交通量の多い幹線をヒッチハイクしながら歩き、大型トレーラーと交渉が成立すると、車台に一斉に群がる。「ママー」と叫ぶ声も。警官が介入する場面もあったが、最後は黙認した。

ヒッチハイクに成功したトレーラーの荷台に乗り込む移民たち=メキシコ・アバソロ郊外

州境を越えると、警察車両など約10台が待ち受けていた。乗せていってくれるのだという。だが、次の州境を越えた途端に道ばたに下ろされた。この先は「別の自治体がまた車を手配する」という。路線バスに通学バス、そして救急車まで、数十分おきに乗り換えた。

地元当局が用意したバスに乗って安堵する移民たち=メキシコ・ラピエダドデカバダス

5台目は大型ダンプカー。鉄板をよじ登り、荷物は放り投げ、子どもは手渡しで乗せられた。約50人を詰め込んだ荷台は足の踏み場もない。

ダンプカーの荷台から幼児を抱きかかえて降ろす移民たち=メキシコ・グアダラハラ郊外

6時間で計7台を乗り継ぎ、メキシコ第2の都市グアダラハラに着いたのは午後8時。自治体にとっては、一刻も早く自分の管轄外に出て行ってもらう「厄介払い」のようなものなのだろう。それでも、一気に国境に近づいた移民たちの表情は明るかった。

ダンプカーのキャビンの屋根に腰掛けて、遠くを見つめる母子=メキシコ・グアダラハラ郊外

■「必死に壁をジャンプした」

彼らの旅の終着点は、米国との国境を高さ5メートルほどの壁で阻まれたメキシコ国境の町ティフアナ。難民申請の窓口に行くと面接までに数週間待たされるため、壁を乗り越えて米国境警備隊に出頭する移民が多いという。

彼らはその後、施設に収容されたり、監視用のGPS機器をつけられたりしながら、米国内で審査の結果を待つことになる。

米国との国境を仕切るフェンスの前で波と戯れる少女たち=メキシコ・ティフアナ

昨年11月には、ここに6000人超のキャラバンが到着し、米国境警備隊が催涙ガス弾を撃って追い払う光景がメディアで伝えられた。あの時の彼らは「壁」の向こうに行けたのだろうか。

報道写真家ギレルモ・アリアス(43)は「少なくとも、半分以上がすでに米国に渡った」という。「フェンスを越えたり、鉄柵をくぐったり、方法はいろいろとある」

移民支援団体「ボーダーエンジェルズ」のウゴ・カストロ(47)は、壁を越える彼らの姿を思い起こした。「必死だった。地元住民にも迷惑がられ、もう待てない、と思ってジャンプしていったよ」

米国との国境を仕切るフェンスの向こうに沈む夕日=メキシコ・ティフアナ

■得をしたのは誰だ

エクソダスが押し寄せたのは、米中間選挙の直前だった。カリフォルニア大サンディエゴ校教授(社会学)のデビッド・フィッツジェラルド(46)は「怒った若者たちの集団に米国が侵略されるというイメージが放送され、格好の選挙向けの宣伝になった」という。「トランプには最高の贈り物で、完璧なタイミングだった」という専門家もいた。得をしたのは、トランプだった。

そして、再選に向けて動き出したトランプは「壁をつくれ」に続く新しいキャッチフレーズをつくった。「壁を完成させろ」。国家非常事態を宣言し、中米3カ国への援助停止を表明した。国境を閉鎖すると脅されたメキシコは4月下旬、数百人の移民の一斉逮捕に踏み切った。逃れた移民たちは貨物列車の屋根に飛び乗って、北を目指した。

■なぜ壁を越えるのか

ダリエン湾を渡るボートが出るトゥルボから米国境に面したティフアナまで、飛行時間でわずか10時間ほど。移民たちが命がけでたどる約7000キロの道のりを眼下に見ながら、日本のパスポートを持っているというだけで、自由に、そして安全を考えた上で目的地に行ける「特権」が不条理に思えた。

高台から壁の向こうの米国側を見つめる人たち=メキシコ・ティフアナ

貧困、治安、政情不安など理由は様々だが、移民たちに共通しているのは、母国で生きることへの絶望だ。

失意の弱者たちは今、集団になることで、かつてない力を手に入れた。それが、グローバル化の恩恵を受けた国で格差にあえぐ弱者をいらだたせる。その連鎖が「自国第一主義」を加速させていく。

しかし、「壁」を築いて排除しようとしても、命がけで壁を越える彼らを思いとどまらせることはできない。その過程で多くの命が失われ、分断が深まっていく。

回り道のように見えても、人々が母国で希望を持てるようにするために、手を携えるしかない。移民集団の出現は、特権を享受している私たちにその責任を問いかけている。(文中敬称略)