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細い道に飲食店が立ち並ぶソウル市麻浦区の一画にある雑居ビル。約束の時間になっても入り口が分からず、しばらく辺りをうろついていると、アンナ=カトリーナ・サリング(45)が迎えに来てくれた。ヨーロッパ風の名前だが、生まれたのは韓国で、実の両親も韓国人。生後間もなく、デンマークの家庭に引き取られ、デンマーク人として育てられた養子だ。
彼女が働いているのは、海外に引き取られた韓国人養子たちを支援する民間のグループ「GOA’L」。養子たちの生みの親探しや帰国生活をサポートしている。サリングは2017年からフルタイムの職員として事務局長を務めている。
1950年代初頭から海外の里親のもとに送り出された韓国人の養子は約20万人。今では養子縁組が必要になった場合、仲介団体はまず韓国国内で里親を探すことが法律で定められたため、年間300人ほどに減ったが、国境を越えた養子縁組そのものはなくなっていない。
一方で、ここ数年の間に、韓国を訪れる養子が増えてきた。2011年には新しい国籍法が施行され、海外の里親に引き取られて韓国籍を失った養子たちに二重国籍が認められるようになった。サリングによると、短期や長期で訪れる人は年間で4000人と推定されており、700~1000人が暮らしているという。
サリング自身は1歳半の頃、デンマーク人の里親に引き取られた。しかし、自分の出自については「誕生日もはっきりしない」。育った街はデンマークの首都コペンハーゲンだったが、周りは白人ばかりの同質感の強いコミュニティーだった。人種差別的な発言を投げかけられて注意しても、「君が敏感すぎるだけだ」と一蹴された。「若い頃は、米国に引き取られた養子がうらやましかった。デンマークよりもっと多様な文化を受け入れてくれる国だと思っていたから」
最初に祖国を訪れたのは1999年。自分をデンマークの里親に引き合わせた国際養子の仲介団体が主催したサマースクールだった。3週間で韓国語、テコンドー、観光を体験した。刺激を受けた日々だったが、生みの親に会いたいとは決して思わなかったという。
再訪したのは、2010年。ただし、この時は日本を1カ月かけて旅行するついでに4日間訪れただけ。祖国としての韓国は必ずしも大きな存在ではなかった。しかし、その3年後、ソウルにあらためてやって来た。何の計画もなかったが、しばらく暮らしてみるつもりだった。デンマークでの勤め先を辞めて、現地のアパートも売り払った。「とにかくデンマークにうんざりしていた」。気がつけば、すでに6年。二つの国への感情は複雑だ。「韓国に長く暮らせば暮らすほど、自分がデンマーク人だと感じる」
デンマークでは女性差別が少なく、シングルマザーでいることも問題にならないが、韓国ではそうはいかない。デンマークの方がより平等な社会だと思うものの、どちらが良い国かは判断できない。「どの国にも良い面と悪い面がある。少なくとも私の場合、韓国では見た目で差別されることがない」
「愛と憎しみを感じる祖国」
スウェーデンの首都ストックホルムで暮らす韓国人養子の女性2人にも昨年、会いに行った。
待ち合わせ場所の韓国料理レストランに来てくれたのは、アン・イエクロブ(41)とクララ・ノールバリ(22)。「アンニョンハセヨ」。顔を合わせると、思わず韓国語であいさつを交わした。
2人もサリングのように、韓国で生まれ、生後間もなくスウェーデンの里親に引き取られた。母語はスウェーデン語で、国籍もスウェーデン。スウェーデン人として育ってきた。
「韓国とはどういう存在か」。2人に尋ねてみると、「愛と憎しみを同時に感じる存在。ただのよそ者ではいられなくて、すごく感情的になる」とイエクロブは答えた。彼女はこれまでに4度、韓国を訪問。そのうち、1度は語学を学ぶために3カ月暮らした。
生みの親や親類と少しでも会話がしたいという思いが言葉を学ぶ動機になった。一方で、見た目は韓国人なのに韓国語を十分に話せないせいで、「奇異の目」で見られた。「とてもいい経験だったけど、同時につらい経験にもなった」
ノールバリは18年に6カ月間、韓国語を学ぶため、ソウルに留学した。最初に祖国を訪れたのは2年前。それ以来、韓国に滞在した期間は合計で1年を超えた。
本当は語学は好きではないという彼女が、韓国の文化を熱心に身につけようとした動機は、「韓国で生まれたということ以外にない」
16歳の頃までは、周りには養子のことを話さず、できる限り秘密にしていた。「国旗とキムチ以外は韓国のことを何も知らなかった」
それなのに、K-POPを突然聞き始めたのがきっかけで、少しずつ韓国のことを知るようになった。「生みの親や生い立ちを考えると、韓国に浸かるのが怖かったけど、少しずつ心の準備ができた」と話す。
大学は韓国語を専攻すると決めて選択。今は韓国語での意思疎通に困らなくなった。出生記録から見つけた「トビ」という韓国名も使い始めた。
アイデンティティーの変化
3人の女性のアイデンティティーは、祖国とのつながりを取り戻すことで、どう変わったのだろう。
ソウルで暮らすサリングは今も「韓国の国籍を取るつもりはない」と言い切った。同時に、デンマークにも距離を感じているようだった。「私が帰属しているのはデンマーク。だけど、そこでも時に外国人として扱われ、傷つく。結局は旅行者でいるのが一番好き。ニュートラルな場所にいられるから」
イエクロブは子どもを育てる母親になり、息子に韓国とスウェーデン両方の文化に興味を持って欲しいと考えている。「私自身がいまだに韓国のアイデンティティーを育てている途中だけど、複数の国にルーツがあるのは、幸運な贈り物だと思う。いつか息子と一緒に韓国に行ってみたい」
ノールバリは韓国で過ごすうちに、「自分はスウェーデン人だという意識が強くなった」と話す。韓国で生みの親を探したり、文化を学んだりすることは、スウェーデンの両親や自分のスウェーデン人としてのアイデンティティーを捨てることになるかもしれないという不安は消えた。今は両方の国に帰属していると感じられる。
「生粋の韓国人やスウェーデン人がどう考えようとも、大事なのは自分が両方の国の人だと思えること。長い時間がかかったけど、そう思える」