アフリカからヨーロッパへ、移民を目指す多くの人たちにとって、最後は海を越えなければならないという危険な関門が立ちはだかっている。ところが、セウタの国境では、フェンスを越えるだけでヨーロッパに入れる。
セウタはモロッコの北、地中海に面したスペインの飛び地。ずっと東のメリージャ(メリーリャ)とともに、これら二つの飛び地だけが陸続きのヨーロッパ国境となっている。
ここでヨーロッパ移民を目指す人びとを隔てるのは、最上部に有刺鉄線が張られた高さ約6メートルの二重のフェンスで、約6・4キロにわたって張り巡らされている。ジブラルタル海峡の地中海側に突き出た半島とちっぽけなセウタの自治体は、このフェンスでモロッコと分離され、総勢1100人のスペイン警官とグアルディア・シビルと呼ばれる治安警察官が常駐している。
国境検問所で常時パトロールしているが、彼らにかかる重圧が最近、増すばかりだ。というのも、イタリアの新政権が移民を締め出したため、スペインがアフリカからヨーロッパへ移民しようとする人びとの一番の目的地になったのだ。
国際移住機関(IOM)によると、この2018年8月6日から12日までの1週間にスペインに渡った移民は1419人で、イタリアには359人、ギリシャには527人だった。
アフリカからジブラルタル海峡を渡ってヨーロッパに抜けるのは、最狭部で約14キロしかない。しかし、地中海と大西洋がぶつかり合う同海峡は潮流が激しく、危険極まりない。この地中海西部海域で溺死(できし)した移民はこの6月だけで294人にのぼり、17年の合計224人に比べても激増している。
こうした事情もあり、海を渡るより厳重警戒のフェンスを越えてスペインに入ろうとする動きに拍車がかかっている。
来る日も来る日も、国境のモロッコ側では若い男たちがうろついており、チャンスをうかがっている。
フェンスの端の海を泳いでセウタに入ろうとする男たちもいる。モロッコ側からボートで不法侵入しようとする者もいる。
だが、ほとんどは猛ダッシュしてフェンスをよじ登るか、ボルトカッターでフェンスを切り、穴を開けて入ろうとする。だが、すぐに感知装置と監視塔の見張りに見つかり、警官に警棒と素手で殴られてたたき出される。
カメルーンから来たサリフ(20)は、17年に計10回、フェンス越えに挑戦し、11回目でようやく18年6月にセウタ入りを果たした、と言った。
しばしば起こることだが、フェンス越えを成功させる方法として、「群れ」と地元の人びとが言う行動がある。何百人もの人々が一団となってフェンスを駆け上るのだ。サリフがグループでフェンスを越えたのも「群れ」だった。6月6日の日の出の時刻に、若者400人の集団で一斉にフェンスをよじ登った。
サリフを含めて8人がかろうじてフェンス越えを果たし、市内の移民収容所への入所が許された。2人が有刺鉄線で重傷を負い、セウタ市内の病院に運ばれた。彼らは、収容所でスペイン本国への移送を待っている。
収容所に入ることができれば、亡命申請を出せる。だが、これは何カ月も、あるいは何年もかかる移民手続きの一つにすぎない。申請の大半は却下されることになる。そうして国外追放となる。追放の手続きもやっかいで、時間がかかる。
「ここにはアフリカのすべてがある」。サリフはそう言って、これまで会った人びとの出身地をあげて見せた。アンゴラ、ベニン、ブルキナファソ、コートジボワール、ナイジェリア、セネガル、それにアジアのバングラデシュやパキスタンからも。
IOM報道官のレオナルド・ドイルは「アフリカからの移民をフェンスだけで食い止めようとするのは、オランダの少年が自国を救うために水漏れする堤防の穴に指を突っ込んで洪水から守ったという空想話と同じようなことだ」と言った。
ギニア共和国の首都コナクリからきたジャロウ・アィェール(24)はフェンス越えに8回挑戦し、結局、密航業者に金を払ってゴムボートでセウタに入った。
セウタの別の移民拘留センターは短期滞在用だが、ここに入った移民の話だと、最大収容人員を200人以上上回る800人が収容されていた。収容されている多くは、すでに6カ月以上になると話した。
それも7月26日に起きた最新の「群れ」行動の前の話で、この26日の時は800人がフェンスに襲いかかり、スペイン側の警官にまで攻撃を加えて15人を負傷させた。治安警察の声明によると、この時の混乱で600人の移民希望者がセウタに入り込み、うち16人がけがで入院した。
セウタには他に、未成年者用の移民センターがあり、90人が収容されている。しかし、被収容者の話だと、ここも定員は60人という。ほとんどは10代の少年たちで、フェリーにひそかに潜り込んでスペイン本土に渡り、家族に合流するか、あるいは家族と一緒に移住できるよう期待して、渡航を企てている。欧州の法律だと、未成年を国外追放するのは難しいのだ。
セウタの移民収容政策は寛大で、収容されていても外出できる。働くことは許されないが、被収容者が市内をうろついているのはよく見かける。
「8カ月、いや1年もここにいる者が何人もいる」とセネガルから来たフランシスコ(20)は言った。彼も他の被収容者同様、フルネームを明かさなかった。亡命申請で不利になるのを恐れているためだ。「ここではみんな僕らに優しい。でも僕らはただ待つしかない」とフランシスコ。
セウタとメリージャについて、モロッコ政府はこれまでずっと自国管理を要求してきた。しかし、スペインは「モロッコが国家になる前から、セウタとメリージャは何世紀もの間、スペインの一部だった」として拒否してきた。
その国境を越えようとする人びとは暴力的に排除されるが、いったんセウタに入ればのんびりした空気に包まれる。約18平方キロメートルのセウタには約8万4千人が暮らしているが、その40%から50%はモロッコ出身のイスラム教徒で、あとはほとんどがスペイン人キリスト教徒。少数派だがユダヤ教徒やヒンドゥー教徒もいる。
セウタにたどり着いた移民は、本土への渡航許可を望んでいる。そこで仕事を見つけたい。あるいは、ヨーロッパの他の国へ行きたい。だが、本土への渡航許可を得るには何カ月もかかるため、セウタから本土に逃げ出す手立てを考えるようになる。
モロッコ人のアサド・ノウディ(16)は、セウタ入りして3カ月になる。話を聞くと、移民センターには食事と時折安眠をとる時に戻るだけで、あとは近くの港の突堤の大きな石積みの間で寝起きしているという。
彼は夜間によく、友人たちとヨーロッパに向かうフェリーに泳いで乗り込もうとしている、と言った。「何度でも挑戦する」とノウディ。「必ずたどり着いて見せるから」と。(抄訳)
(Rod Nordland)©2018 The New York Times
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