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アリアナ・グランデ「七輪」騒動に見る異文化理解の難しさ

ニッポンあれやこれや ~“日独ハーフ”サンドラの視点~ 
昨年5月、米ニューヨークのメトロポリタン美術館で開かれたファッションの祭典「メット・ガラ」のオープニングに駆け付けた歌手のアリアナ・グランデさん=ロイター

歌手のアリアナ・グランデさんが自身の新曲「Seven Rings」にちなんで、「七輪」というタトゥーを入れたことで、日本語が母語の多くの人から「それは日本では七つのリングの意味ではなく、BBQのグリルの意味」「それはコンロの七輪」「日本ではそういう言い方はしない」などの声が相次ぎました。その後、アリアナさんはより分かりやすくするために「七輪」の下に「指♡」と入れたものの、それもまた「おかしい」「日本の文化を理解していない」とネット上で袋叩きにあってしまいました。アリアナさん本人は今まで日本語の文章をノートに書くなどして日本に住んでみたいという夢も膨らませていたのに、この騒動によって日本語の勉強をやめてしまう、という悲しい展開となりました。

「ネットで多くの人が、一人の人間を一方的に叩く」という残念な展開になってしまったわけですが、今回のこの騒動を「ネットでの騒動」としての話ではなく、「言葉」及び「異文化理解」の観点から見てみたいと思います。

アリアナ・グランデさんがツイッターにアップした「七輪」のタトゥー

「日本語でのイニシャルを」という欧米的な発想

最初アリアナ・グランデさんが手に「七輪」というタトウーを入れた、というニュースが飛び込んできたとき、自分の経験を思い出すとともに、なんだか複雑な気持ちになりました。

筆者は数年前、十代のころに仲良くしていたドイツ在住の友達から久しぶりにメールをもらったのですが、そこには「兄が腕に自分の名前Georg Wegenerの頭文字であるGとWの文字を『日本語』で彫りたいのだけれど、GとWの日本語をメールで送ってくれる?そして、変な意味にならないように確認もお願い」と書いてありました。

筆者はそこから数日間、本人の希望に沿えるような字はないだろうか、を真剣に考えましたが、やはり本人にどれだけ「イニシャルを日本語でタトゥーとして入れたい」という気持ちが強かろうと、現実問題として、それは不可能だという結論に至りました。

イニシャルというのはそもそもアルファベット文化圏の人の発想ですし、日本人でもイニシャルを書く時には「アルファベットで」というのが主流です。名前が山田明子だからといって、イニシャルとして「や」や「あ」と書く人はあまりいませんし、かといって漢字で「山」や「明」と書く人もいあまりいないわけです。なので、そこからして「前提」がそもそも最初から全く違うわけです。

本人に「勘違い」を伝えることのむずかしさ

「ローマ字でイニシャルを入れるように、漢字でもイニシャルを入れられるはず」そして「他の文化圏でも、そのイニシャルが通用するはず」と一部の欧米人が思っているところに、最初の「勘違い」があります。そして、その勘違いを日本の人が本人に「伝える」のもなかなか難しかったりします。なぜなら相手には、「ローマ字以外の言語でもイニシャルは成立するはず」という思い込みがあると同時に、「絶対に何が何でも漢字のタトゥーを入れたい!」という強い思いもあったりするからです。

さて、依頼のあった上記のGとWの「日本語のイニシャル」の件ですが、私のほうで3日間ぐらい様々なバージョンを考えてみたものの、G(ドイツ語読みだと発音は「ゲー」です)、とW(ドイツ語読みだと発音は「ウエー」です)をそのまま、カタカナで「ゲー」と「ウエー」と書いてしまえば、イニシャルというよりも、日本の一般的な感覚だと、酔っぱらって具合が悪くなった人が発する音韻を連想してしまいます。そうすると、相手が懸念していた「変な意味になってしまう」可能性が出てくるわけです。漢字で「下(げ)」「上(うえ)」と書くのも検討はしてみたのですが、これもイニシャルとしてはニッポンの感覚だとかなり無理があるわけです。少なくとも「下(げ)」と「上(うえ)」のタトゥーを見た人はそれがGeorg Wegenerさんのイニシャルであるとは夢にも思わないでしょう。

3日間悩んだ後、筆者は友達にメールをしました。「色々考えたのだけれど、日本語でローマ字のGとWに該当する適切な「イニシャル」はないの。日本に漢字でイニシャルを書く習慣はそもそもないし、言語的に難しいの。ごめんね」と理由も説明したつもりでした。ところがそれまでは相談のメールは頻繁に来ていたのが、私が上記の返信をして以降は全く連絡がなくなってしまい、筆者は気まずい思いをするとともに、もどかしい気持ちになりました。

何が言いたいのかというと、この手の言語的な「違和感」について、「絶対に日本語のタトゥーを入れたい!」という「強い思い」を持っている人に対して、上手な説明をするのは中々難しいということです。こちらとしては言語的な面から不可能と言っているだけなのですが、それを伝えたばかりに、人間関係が気まずくなることもあります。

言葉の「ニュアンス」、そして「文脈」のむずかしさ

アリアナ・グランデさんの「七輪」について、「日本のことを好きな人に対して、わざわざ言葉の間違いを指摘する必要はない」という意見も聞きます。でも、罵詈雑言はもちろん論外ですが、「それは意味として違いますよ」と指摘するのは、やっぱり必要なことだと筆者は考えます。日本語に限らないことですが、言語はできるだけ正しく使ったほうが良いのではないでしょうか。

細かいことかもしれませんが、言葉を使う上での「ちょっとした違和感」を伝えることは悪いことだとは思いません。例えば、地名や町の名前の「省略の仕方」についても、その国の言語を母語としない人の省略に違和感を感じることがあります。ドイツの街Frankfurt(フランクフルト)を日本の人はよく「フランク」と省略したりしますが、「フランク」はドイツ語では男性のファーストネームですので、省略の仕方として違和感があります。デュッセルドルフを「デュッセル」と省略してしまうのはDüsseldorfという名前が長いので省略したい気持ちが分からないではないですが、これもドイツの感覚からすると違和感があります。以前、日本に住んでいるドイツ人が「池袋」の事を省略してIke(イケ)と呼んでいましたが、それに対して持つ違和感と同じようなものかもしれません。

アリアナ・グランデさんの場合、気になるのは、彼女が「七輪」という二文字を日本語の先生と相談して書いた、とされる点です。もしその日本語の先生が本当に日本語を母語とする先生だったとして、「七はsevenよね?」「輪はringよね?」と聞かれ単にそれに同意してしまい、漢字の組み合わせにまでは関与していなかったのかもしれない、なんて想像してみました。

この手の話でよくあるのが、一部の欧米人からの「辞書で調べたら、こう書いてあった!」という反論ですが、辞書で漢字を一つ一つ調べて、勝手に組み合わせているケースもあるので、これは本当に考えものです。以前、「俺ってクールな奴」という意味のことを言いたくて「冷奴」というタトゥーを入れてしまった人がいました。これなどまさに「『クール』は『冷』で間違いないだろう、それに『奴』を組み合わせればいいだろう」と単純に考えた結果が「冷奴」になってしまった、という笑うに笑えない話だと思います。

この「七輪」に関しても、確かに「七」はseven(7)の意味ですし、「輪」はringの意味です。でもかといって、七輪がSeven ringsかというと、それは違うわけで、そこに言葉のむずかしさ、そして面白さがあるのだと思います。

先日、外国人の知人に「では、seven ringsは日本語でどういえばよかったのか」と聞かれましたが、これもまた難しいのです。宝石店でのように「7点の指輪」というのが一番正確に近い気がしますが、これだとオリジナルのseven ringsから連想するような「ロマンチックさ」からは遠ざかってしまう気がします。

「自分の母語のロマンチックな表現が、別の言語に直訳しても、それがそのままロマンチックな表現になるか」というと、それは明らかに「違う」わけです。「決してすべてが直訳できるものではない」という事実は、このグローバルな世の中、もっと知れ渡っても良いのではないでしょうか。

映画のタイトルはあえて全く別の邦題に

映画のタイトルが日本語に直訳されず、意訳されたり、時に「全く違うタイトル」になるのは、まさにそういった理由からです。「その国の言語では「しっくり」来る表現」であっても、必ずしも違う言語で同じようにしっくり来るとは限らないのです。だからこそ、完全に変えてしまう事もあるわけです。例えばドイツ映画のオリジナルタイトルで「Das Leben der Anderen」(英題: The Lives of Others)というのがありますが、もしこれを日本語に直訳してしまうと、「他の人々の人生」「他の人々の生活」という味気ないタイトルになってしまいます。だからこそ邦題を、「善き人のためのソナタ」という全く違うタイトルにしたのだと思われます。そして、この邦題は映画の内容にピッタリなのです。そう考えると、アリアナ・グランデさんもseven ringsという曲の歌詞を、英語と日本語の両方が堪能な人に見せた上で相談すれば、映画のタイトルのように、「オリジナルのタイトルとは違うけれど、素敵な日本語」に出会えたのかもしれません。

人間、「自分の文化圏の常識や範囲内でしか物事を考えることができない」ことも多いのが実情です。でもグローバル化した今の世の中では、自分の育った国や文化圏の「範囲外」のことを、いかに素直に受け止めることができるかどうか、も国際交流の鍵なのかもしれません。

日本語そのものに興味をもたず、ただ字画が多い漢字がカッコイイとばかりに「歯医者」や「冷蔵庫」という漢字のタトゥーを入れてしまう人とは違い、アリアナ・グランデさんは日本語の文章をノートに書いたり、前述通り日本に住んでみたいと考えるなど「日本に対する愛」は強かったようですから、今後、日本語の「文脈」も含めて彼女に説明してくれる人とのいい出会いがあることを祈らずにはいられません。

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