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大坂なおみの報道であなたが感じたモヤモヤ、それは「ハーフあるある」です

ニッポンあれやこれや ~“日独ハーフ”サンドラの視点~ 更新日: 公開日:
テニスの東レ・パンパシフィック決勝で、カロリナ・プリスコバ(チェコ)と対戦した大坂なおみ=9月23日、ロイター

ことの発端は9月13日、全米オープンに優勝して帰国した大坂選手が開いた記者会見。ある記者が「海外で、大坂さんの活躍や存在というのが、古い日本人像を見直したり、考え直すきっかけになっているという報道があります。ご自身のアイデンティティというのをどのように受け止めていらっしゃるか、お考えを聞かせてください」という質問をしたこと。大坂選手は「私は私でしかない」とかわしましたが、この質問が差別的だと批判の声が上がりました。

 

この会見までの数日間にも、日本のメディアでは頻繁に大坂選手の「日本人」の面に焦点を当てた報道が繰り返されていました。「抹茶アイスが食べたい」という発言を大きく扱ったり、セリーナ・ウィリアムズを破った後に彼女が発した「こんな終わり方ですみません。ただ、試合を見てくださってありがとうございます。(中略)セリーナと全米の決勝で対戦するのが夢でした。プレーしてくれてありがとう」というコメントを、「勝ったのに恐縮している。謙虚で日本人っぽい」と絶賛したり。 

いつもアイデンティティーを確認されるハーフの人たち

 私が記者のこの質問に感じたのは、「国際結婚の両親から生まれた当事者にいろいろと背負わせ過ぎている」ということでした。

思えばスポーツ選手や有名人ではない「一般の社会のハーフの人々」も、日々の生活の中で、国籍やアイデンティティに関する質問を「ぶつけられる」ことは日常茶飯事です。そういう意味では、冒頭の記者の質問に私自身は特に驚きは感じませんでした。

 ハーフの人々がよく受ける質問には、「いつ国に帰るの?」「夢は何語で見るの?」、そしてお決まりの「日本と○○(もう一方の国)のどちらが好き?」などがあります。就職活動で面接官からこの手の質問が出ることもありますので、気が抜けません。今回の大坂選手のケースのように、その場の本来のテーマとは無関係に「あなたのアイデンティティとは」というような質問が出るのは、ハーフの私たちにとっては残念ながらまさに「ハーフあるある」であると同時に、日本では「よく起きること」なのでした。

全米オープンでの優勝後、帰国会見に臨んだ大坂なおみ=9月13日、ロイター

周囲は「この人は『どちら寄り』のハーフなのか」「この人はどの程度まで『日本人』なのか」「『そもそも日本人なのか』を確かめてみたい」というような、無意識のうちの好奇心に駆られているのでしょう。ハーフが和食が好きだったり、日本特有のお稽古事をしていたりすることが分かると、場が和み、話がはずむこともありますが、やはり当事者としては多かれ少なかれ「モヤモヤ」した気持ちが残ります。そこには「自分が相手の期待に沿わない答え方をしたら、どう反応されるだろう」という、ある種の不安がつきまとうからです。

自分のアイデンティティはどこにあるのか、というような深い話は初対面で知らない人に対してする話でもありませんし、「自分が何人(なにじん)であるか」なんて人に発表する必要性は本来ないはずです。ところが近年、日本では、ある種の性格や嗜好をもつハーフは日本人と認め、そうでない場合は日本人とみなさない、というようなある種の「値踏み」が行われているように感じます。「外国にもルーツがある日本人」は常にその「行動」を周りから見られた上で、周りから「日本人であるか、否か」を評価されている印象を受けます。

大坂選手が「謙虚」で「抹茶アイスが好き」であること、「朝ごはんに、コンビニのおにぎりを食べたこと」が好意的に受け止められていますが、日米の二重国籍である彼女が今後、日本国籍ではなく米国籍を選択しテニスを続けることになった場合、または、仕事や恋愛などの面において日本の一般的な考え方とは違う選択をしたりした場合、今まで絶賛していた人たちが手のひらを返さないか心配です。「人を持ち上げて大騒ぎした後に、ドーンと突き落とす」ということも、日本のマスコミではよく見られる現象だからです。

全米オープンの表彰式で観衆からブーイング。涙を流す大坂なおみ(左)と、その肩を抱くセリーナ・ウィリアムズ=9月8日、ロイター

日本的だと思われる一般の感覚とは違う選択をした場合、当事者への風当たりが強いことは東日本大震災の後にも明らかになりました。東日本大震災の直後、日本に住んでいるドイツ人を含む多くのヨーロッパ人が日本を離れました。それはヨーロッパの国々が最悪の事態を想定して自国民に日本を離れるようにアドバイスしていたからです。その際に日本を離れるハーフの人々に対しても「彼らはどうせ、いざとなったら日本を捨てる」という批判の声が一部にありました。日本とドイツのハーフの人が「ドイツに行くことにした」と言うと、家族や親戚などの身内からも「日本を捨てた」「いざとなると、やっぱり外国人」と判断されてしまうこともありました。外国にもルーツのある日本人つまりハーフの人々は平時も有事も「日本側に100パーセント同意していることを常にアピールしないと、『外国人』『裏切り者』だとみなされる」不安と常に隣りあわせなのです。 

そもそも「日本人」の定義とは…?見た目だけで「日本人っぽくない」と言われてしまう辛さ

そもそも「日本人」の定義は何だろう、と、改めて考えさせられます。もちろん、法律上は「日本国籍を持つ人」が日本人です。しかし日本国籍を持っていたとしても、「顔立ちが外国人風であるハーフ」は、「周囲から日本人としては扱われない」という現実に直面します。 

ハーフの人がたとえ成人するまで日本で育ち、日本の教育を受けていても、会社の面接で「日本語は大丈夫ですか」「漢字は読めますか」と聞かれてしまうこともあります。つまり、「日本以外の国にもルーツがある」場合、イコール日本語能力が劣るのではないか、日本の文化を理解するのは難しいのではないか、と思われているようなのです。 

日本国籍を持ち、日本語が母語であり、日本の学校を卒業していても、そして物腰がやわらかかいなど性格に「日本人的」な部分があっても、顔立ちが「日本人風ではない」というだけで、ほかの日本人と違う扱いをされる、という理不尽さを多くのハーフの人が経験しています。当事者からすると、「結局は見た目か」と悲しい気持ちになる場面でもあります。

ハーフの人が日本人らしい立ち振る舞いをしたり、和食が好きだったりすると、「日本人より日本人ぽい」と感心されることがよくあります。ほめられてはいるのですが、それでも当事者のハーフとしては少しばかりモヤモヤした気持ちも残ります。それは、相手がそもそも自分を日本人として見ていない、と遠まわしに言っているのと同じだからです。

世の中には色んな人がいる。---今の時代、それは前提であり、疑いの余地のないものですが、社会の中に「世の中には色んな日本人がいる」というコンセンサスができるには至っていないところに、ハーフの人にとっての「生きづらさ」があります。

筆者にとってショックな「ハーフあるある」

さて、これまでいろいろな「ハーフあるある」を書きましたが、私自身が定期的に傷ついていること。それは顔見知りの人にも、ときに「原稿を日本語で書いてない」と思われていることなのでした。

「サンドラさんがドイツ語で書いたものを、誰かが日本語に訳した上で載せているのかと思った」「サンドラさんが口頭で日本語で話したものを、ライターさんが文字にして起こしているのかと思った」と誤解されることもあります。見た目が「外国人風」だから、「外国語でしか書いていないはず」もしくは「日本語は話すことはできても読み書きはできないはず」という思い込みがまだ一部にあることもまた事実です。

これからの時代は「スルー力(りょく)」を

人間はだれしも、相手と「共通点」が見つかると嬉しいものです。

でも、大坂選手をはじめ、様々なバックグラウンドを持った日本人が増えている今、相手をいちいち観察して「自分とどこが同じで、どこが違うか」に過剰にフォーカスするのもまたナンセンスだと思うのです。それよりも今後求められるのは「スルー力(りょく)」だと思います。

見た目に関してもしかり。「あの人、日本人の一般的な見た目とちょっと違うな」と感じることがあっても、その感情を自分の中で「スルーできる人」が、真の国際感覚の持ち主なのではないでしょうか。自分の中でうまくスルーできないと、色んなことを「確認」したくなり、相手に失礼な質問を投げかけることにつながってしまいます。

もしも自分が「スルーできない」と感じたら、本を読むなり、ドキュメンタリー映画を見るなりして、外国にルーツのある日本人について考える機会を持つことをすすめます。自分の中にある疑問を相手にぶつけてみても、ぶつけられた側は困惑するばかりです。

どんどん多様になっていく世の中で、今問われているのは「ニッポン社会の対応」です。「外国にもルーツのある日本人」を意識し過ぎて、好奇心から相手を質問攻めにしたり、持ち上げてみたり、ということが繰り返されてしまうと、本当の意味での人間関係や信頼関係は築けないのではないでしょうか。