ハンガリーの日本人女性死亡事件で元夫逮捕 「共同親権」が守る子の利益を改めて考える

今年1月29日、ハンガリーの首都ブダペストのアパートで火災が起き、この部屋に住んでいた日本人女性が死亡する事件が起きました。
報道によると、警察は当初、アパートの火災について「女性がたばこを吸いながら寝て発生した可能性のある火災」としていましたが、後に防犯カメラなどの映像から女性のアイルランド人の元夫が火をつけた可能性が高いとして、事件から数日後に元夫を殺人容疑で逮捕しました。
報道によると、女性は元夫からDVを受けていたといいます。女性は生前、ハンガリーの地元警察に「元夫から『お前は苦しんで死ぬだろう』と脅迫を受けている」「元夫にパソコンを盗まれた」などと相談していましたが、警察は取り合いませんでした。
後に警察は女性への対応に誤りがあったことを認め、先月11日に警察の幹部ら6人を懲戒処分にしています。
悲惨な事件を受け、日本では「ハンガリーの警察」や、日本帰国を検討していたとみられる女性が子どものパスポートの再発行について相談した現地の日本大使館が、共同親権者である元夫の同意を得るよう女性に説明したと報じられたことなどから、「現地の日本大使館」を非難する声とともに、SNSを中心にこんな声があがっています。「女性は共同親権のせいで殺された。もし共同親権でなければ殺されずに済んだかもしれない」
日本で離婚後も父母の双方が親権を持つ「共同親権」は昨年2024年5月にその導入を柱とする改正民法が成立し、2026年5月までに施行される予定です。
改正民法の施行後は、既に何年も前に離婚した人であっても、つまりは法律の施行前に離婚が成立した人であっても、片方の親が家裁に申し立てをし、それが認められれば、単独親権から共同親権への変更が可能です。
ヨーロッパの国々では共同親権が主流です。たとえばドイツの場合、離婚後も原則として共同親権となるため、日本人同士のカップルであっても、日本人と外国籍の人のカップルであっても、ドイツに住み子供がいる場合は基本的には離婚後も共同親権です。子供がドイツを離れる場合は、双方の親権者の同意が必要です。
報道によれば、冒頭の日本人女性は10年以上前からアイルランド人の夫と2人の子供とともにハンガリーに住んでいました。夫婦は2023年に離婚、元夫はオランダに住み、現地で仕事をするようになりましたが、引き続き母親と共にハンガリーに住んでいた子供たちに会うために頻繁にハンガリーを訪れていました。そんななか、元夫から女性へのDVや嫌がらせ行為がひどくなり、ついに元夫に殺されてしまったとみられています。
筆者の出身地ドイツでは、前述のように離婚後の共同親権が原則です。離婚後、「互いに行き来できる距離に住んでいる」などの条件が整っていれば、「離婚後の子供へのかかわり方について、なるべく均等にしている」という元夫婦も多いのです。
たとえば元夫婦が離婚後も同じ街に住み、双方の家へ行き来ができる場合、子供が月曜日から金曜日は母親の家、週末の土日は父親の家に泊まる、というスタイルにしている場合もあります。
約6週間ある夏休みについて、「半分を母親と過ごし、半分は父親と過ごす」というふうにし、「冬休みは父親と一緒に休暇で遠出をしたから、春休みは母親と一緒に休暇で遠出」というふうに「休みの過ごし方」についてもなるべくバランスがとれるようにしている家庭もあります。
筆者の知り合いのドイツ人女性は離婚しましたが、女性は「夫は一緒に住んでいるとけんかばかりだったし、男女として合わなかったと思うけど、(当時、小学生だった)子供には良くしてくれて、離婚後、私はとても助かった」と話していました。
女性に急な出張や仕事が入った時、元夫は時間が許す限り子供を快く預かってくれていたとのことです。ドイツでは社会もこのような交流を推奨しており、元夫婦が子育てについて協力し合っていくのは普通のことです。
片方の親に暴力行為や薬物依存症の問題などがある場合、裁判所が子供や元配偶者との接触を断つ判断をすることもあります。ドイツにも家庭絡みの悲惨な事件はあるのです。でも同時に、上に書いたような「離婚後、一緒に子供の面倒を見ることについて、うまくいっている」家庭もたくさんあるため、ドイツでは「共同親権が悪い」という声が大きくなることはありません。
これはドイツに限ったことではなく、今回事件の現場となってしまったハンガリーでも100人以上の女性らが「警察の対応のひどさ、女性に対する暴力」に抗議するデモを行いましたが、これは「共同親権に反対する」デモではありませんでした。
共同親権について、ハンガリーのケースでは子どものパスポート再発行の「足かせ」になったように報じられていますが、本来は子どもやその成育環境を守るためのものであり「子どもの利益のためのもの」です。
ハンガリーの事件では女性が自分の母国である日本に帰りたがっていたと報じられています。
警察など周囲に助けを求めた女性が亡くなり、元夫が逮捕されるという痛ましい事件を受けて、筆者は複雑な思いでいます。
筆者自身が女性であるため、亡くなった女性の気持ちに感情移入する一方で、筆者は日本とヨーロッパの国の「ハーフ」であるため、子供たちにも感情移入してしまいます。
以前「ハーフ」をテーマに本を執筆した時に色んなハーフの人に取材をしましたが、その際「子供の頃、外国に住んでいたが、親の離婚によって、突然、日本人の母親と一緒に日本に行くことになり、いきなり日本の学校に放り込まれてひどいいじめに遭った。日本の学校の授業についていけなった」という話を複数の当事者から聞きました。
目立ったのは親との「温度差」です。
筆者の周囲に多いのは、母親が日本人のケース。母親は海外で離婚をする際「子供にとって私(母親)と一緒に日本に帰るのが幸せ」と思っていたりしますが、子供の立場からすると「突然、異国の学校に放り込まれる」わけです。
言葉が分からなかったり、本国では学力がある方だったのに、日本の学校で落ちこぼれ状態になってしまったり、ひどいいじめに遭ったりと大変な思いをしてきたハーフは少なくありません。単刀直入にいうと、母親にとって日本は母国であっても、子供たちにとって日本が母国だとは限りません。
日本人の母親とドイツ人の父親を持つ現在50代のある男性は、子供の頃にドイツに住んでいましたが、両親が離婚したことで、突然、母親と一緒に日本に住むことになりました。日本の中学校に転校しましたが、「ドイツの学校で習った筆記体が、日本の英語の授業では「文字が違う」ということで全部×(バツ)にされてしまった。その時、今まで習ってきたことが全て無駄になったと感じて失望した」と話しました。
これは大変なことだと思います。外国の学校で習ったこと、外国の学校で良しとされたことが日本の学校では否定されてしまうこともあるわけです。でもそんな子供の苦労にスポットが当たることはあまりありません。子供が周囲の人にこのような大変さについて話しても、大人は「お母さんも(離婚で)大変なんだから」というスタンスで、どちらかというと「親」に対して同情的で、子供の苦労をあまり考えてくれなかった、という声も聞きます。
「子供が地球の反対側の異国の環境に放り込まれたことによって生じる問題」について直視せずに「子供なんだから言葉はすぐに覚えるはず」「子供だから慣れるのが早いはず」「すぐに友達ができるはず」と大人が都合よく考えているケースが目立ちます。
ここに国際結婚や国際離婚の難しさがあると思います。外国に住む日本人は子供がいても、離婚した際に「母国に帰る」という選択肢を視野に入れることが少なくありませんが、前述のように子供にとっては母国であるとは限りませんし、上に書いたように右も左も分からない環境に放り込まれてしまうのは「幸せ」ではありません。
日本には帰国子女など外国で育った子供たちの受け入れに積極的な国際的な学校もあるものの、そういった学校の多くは私立で、離婚後に経済的に切羽詰まっていることも多いシングルの親が学費を払えるとは限りません。そういった中で「しわ寄せ」が子供に来てしまうわけです。
大人は「親が幸せなら子供も幸せ」と考えがちであり、それは多くの場面では当てはまると思います。でも「突然、地球の反対側にある学校に放り込まれる」という経験をするのは親ではなく子供です。だからこういったケースでは「親の幸せ」イコール「子供の幸せ」にはならないと思います。
日本も締約国になっている、国境を越えた子どもの不法な連れ去りなどを防ぐ国際的な枠組み「ハーグ条約(国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約)」は両親の離婚後に子供が今まで育ってきた国でそのまま生活を続けられることが子の幸せだという考え方を基盤にしています。通い慣れている学校、慣れ親しんできた友達、その国の言葉、その国の価値観、それらの全てが子供にとっては「かけがえのないもの」です。
そう考えると「外国で子供を持つ」と決めた男性や女性は「その国に骨を埋める」という覚悟まではしなくても良いとは思いますが、「子供が成人するまで、どんなことがあっても、親として自分もその国に住む」という覚悟は持っておいた方が良いと思います。駐在員などで日本への帰国の見通しがたっている場合などは別ですが、そうでない場合、「現地の言葉ができない」「現地で仕事に就けない」という状態では、厳しいようですが、その地で子供を持つことには慎重になった方がよいと筆者は思います。
ハンガリーのケースについて、日本のSNSを見ていると「女性が子供たちと一緒に日本に帰って来られなかったのは共同親権のせいだ」「女性が子供を連れて日本に帰れたらこの問題は解決したのに」というような意見が目立ちます。
気持ちは分からないではないものの、これを「逆のこと」に置き換えてみると、問題点も見えてきます。
たとえば、日本に住んでいる外国人女性が配偶者または元配偶者に暴力を振るわれたら、その女性は子供を連れて母国に帰ればそれでよいのでしょうか。
筆者はそうは思いません。日本という国の中で警察がきっちり対応し、日本という国の中で夫は裁かれるべきであり、妻と子供の居場所がしっかり確保されるべきだと思います。理想論かもしれませんが、あくまでもその国の中で「暴力にどう対処していくべきか」を考えなければいけません。「暴力をふるわれた女性は母国に帰れば良い」という話ではないはずです。
ハンガリーのケースでは、女性が亡くなり、元配偶者が殺人容疑で逮捕されるという最悪の結果を迎えてしまいました。残念ながら、女性に対するDVは全世界で問題になっています。今回のハンガリーのケースでも警察がきちんと対応してくれなかったことなど様々な問題点が浮き彫りになっています。残虐性が目立つ事件であり、筆者は女性として胸が痛みますが、離婚後の共同親権でうまくいっている家庭もたくさんあるのですから、この事件を受けて「共同親権そのものを全面的に否定する考え方」には慎重になるべきだと考えます。