「持ち運べるスキル」はITだけじゃない 写真家と建築家というクリエーター系ノマド
タイ北部の古都チェンマイにあるコリビング施設(滞在しながら、仕事もできる)で過ごした1週間で、私はヨガに初挑戦することになった。
午前中、施設に滞在するデジタルノマドらは、ジムや水泳、ジョギング、ムエタイ教室へと散っていく。そのエネルギーに押されたのだ。
私の隣で涼しい顔でポーズを決めていたのが、ポーランド出身のマルタさんだった。
ヨガの後に話を聞くと、彼女は自らを、「フォトグラファー」に加えて、「イメージメーカー」という言葉も使って説明した。
聞き慣れない肩書なので、仕事内容を教えてもらった。
高級ブランドなどの依頼を受け、自ら撮影したモデルの写真にAI加工や3D技術を掛け合わせ、一つの世界観(イメージ)を作り上げるのだという。
作品は、広告やファッション誌を飾る。
私がアジア取材で出会った50人以上を整理すると、「持ち運べるスキル」は大きく三つに分けられる。
① IT系
② クリエーター系
③ コーチング系(オンラインで何かを教える)
この連載では前々回と前回、プログラマーやソフトウェア開発者など、IT系のノマドを紹介してきた。
今回は、マルタさんのような、クリエーター系のスキルを持ち運び、世界を渡り歩く人々に焦点を当てたい。
マルタさんはポーランドのクラクフ大学で写真と映画を学び、2007年に卒業した。
「何か新しいことを経験したい」。その衝動に突き動かされて、英語も十分に話せないまま親友とロンドンへ渡った。
家探しも仕事探しも苦労したが、ファッション写真の最先端に触れる日々が、彼女の感性を鍛えた。
「若さ故、怖いもの知らずでした」と彼女は振り返る。
5年ほど修行した後、オランダでの仕事を機に拠点を移し、2013年ごろ独立。
そこで出会ったのが、後に夫となる3Dアーティストのパオロさん(50)だった。
転機はコロナ禍だった。
世界各地で移動規制が厳しくなり、対面撮影が難しくなる中、2人への依頼は急増した。
デジタルで背景をつくり、モデルの写真と合成し、イメージを創る――。
ロケができないブランドにとって、2人のような技術が不可欠だった。
その後、生成AIが登場する。「AIに仕事を奪われる」と懸念が広がる中、マルタさんは言う。「私にとって完璧なタイミングだった」
AIにゼロから作らせるのではない。実在のモデルをあらゆるアングルから撮影し、その画像データをAIに学習させ、さらに指示を出す。
長年培ってきた写真の技術と、3D制作で培った空間創造の知見。ここにAIを組み合わせることができるようになったのだ。
最近も、日本の大手家電メーカーの商品の広告制作に関わったばかりだ。商品を撮影し、その素材をAI加工して、ブランドが求める「イメージ」を数カ月かけて作り上げたという。
いまマルタさんが力を入れているのは、商品を売るための広告だけではない。
画一的な美の基準に疑問を投げかけ、ダウン症のあるモデルやトランスジェンダーのモデルなど、多様な個性を起用する作品づくりだ。
「ファッション写真は文化に影響を及ぼし、文化の反映でもある。人々はそこから価値観を吸収する。だから、多様な肌の色、多様な美しさを表現できれば、と考えています」
半年前、2人は結婚し、今はハネムーンを兼ねたノマド生活の最中だ。
コワーキングスペースでも、よく2人で一つのパソコン画面をのぞき込み、議論しながら作品を作り上げていた。
2人はオランダに自宅を構えている。
そこを拠点にしつつ、1年の半分を旅して過ごす「50%ノマド、50%定住」というライフスタイルを続ける予定だ。
「旅をしながら仕事をするのが長年の夢だった」と語るマルタさんは、旅の効能をこう表現する。
「旅先で異なる環境に身を置くと、日々の習慣(ルーティン)から解放される。そうすると、脳がいつもとは異なる働きを始め、創造性が刺激される」
同じ施設に滞在していたのが、シンガポール出身の建築家レンさん(38)だ。
大学院修了後、シンガポールの設計事務所で10年ほど働き、数年前に独立した。
安定して受注があり、仕事は順調だ。
ある日、シンガポールのコワーキングスペースで席を借りて、図面に向かいながら疑問が浮かんだ。
「私はこれだけ旅が好きなのに、なぜ、この場所に縛られている必要がある?」
「ない、でしょ」
クライアントとの打ち合わせはオンラインでできる。図面はデジタル画面で引ける。
上司はいない。ボスは自分だ。決めるのも自分だ。
現場確認を任せることができるアシスタントを雇えたことを機に、旅に出た。
2024年末のことだ。
滞在先は、タイのチェンマイや、インドネシアのバリ島など、シンガポールから飛行機で3時間圏内。
これなら、緊急の対応が必要になっても、すぐに飛んで帰れる。
レンさんは朝8時半にはコワーキングスペースの席に着く。同じ頃、シンガポール社会も動き始めているので、ちょうどよい。
「朝が最も頭がさえている。この時間に深い作業(deep work)に取り組む」
技術的な図面チェック、施工業者や依頼者とのやりとり、見積書の作成、そしてクリエーティブな思考を最も要するデザイン業務。
これらを午前中に凝縮する。
「深い作業」を終えると、パソコンを閉じ、街へ。
週3回ほどジムに通い、体を動かしてリフレッシュする。あるいはカフェでコーヒーを飲みながら、街の風景を眺める。
旅する理由は「インプット」だ。「旅は、日常のルーティンから脱するための仕掛け」
新しい土地で人と街を観察し、空間の使い方や素材選び、色合い、スケール感、自然との調和といった要素を探求する。
欧州留学中に名建築を訪ね歩く「建築巡礼」を覚えた。日本にも建築家の作品を見に訪れたといって、私の取材ノートに「Tadao Ando」「Kazuyo Sejima, SANAA」「Atelier Bow-Wow」と書き込んだ。
順に安藤忠雄、妹島和世とその建築家ユニット「SANAA」、建築家ユニット「アトリエ・ワン」だ。
日常を離れることで、建築家としての感性は研ぎ澄まされる。
「旅先での新鮮な学びが、創造性を刺激してくれるという確信がある。将来の仕事への間接的なヒントが得られる」
「イメージ」をつくるマルタさん。
リアルな「空間」を設計するレンさん。
仕事は違うが、2人は同じ結論にたどり着いていた。
場所を変えることは、創造性を高める武器になる。
次回(第8話)では、音楽プロデューサー、コピーライターといったクリエーター系ノマドを紹介する。