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美化せず恐れず老いを語る ドイツの「物申す」80代女性作家の回想録

Bestsellers 世界の書店から 更新日: 公開日:
エルケ・ハイデンライヒの『Altern(老いる)』
エルケ・ハイデンライヒの『Altern(老いる)』=2026年1月、関口聡撮影

日本と同様の高齢化社会ドイツ。「老い」というテーマへの関心も高い。

『老いる』という直球タイトルの本書は、80代の著者エルケ・ハイデンライヒが自身の人生を回想しながら老いについて思いを巡らせるエッセーだ。

1943年生まれの著者は、ドイツの作家、文芸批評家。マスコミへの露出も多く、自身のテレビ番組を持っていたこともあり、文学界にとどまらず一般にも知名度の高い女性だ。

不幸な家庭で孤独に育ち、15歳で家を出て、教区司祭のもとで暮らした。若くして重病を患った。2度離婚した。これらの点だけ見れば困難の多い人生だが、同時に恵まれた人生でもあったと著者は言う。大学進学がかなった。著作がいくつもベストセラーになり、経済的不安はない。多くの恋愛をして、現在は28歳下のパートナーと暮らす。健康で、いまも精力的に仕事をしている。どちらも自分の人生だ。そしていま老人になった。

「老いることは弱虫には向かない」という言葉が印象的だ。肉体的衰え、日常生活上の不便、親しい人たちとの別れ、自身の死への恐怖。老いには多くの困難がつきまとう。

それでも、親世代とは違い、彼女の世代には80代で元気で活躍する人も多い。著者もまた、自身の衰えを自覚しながらも、それを否定せず受け入れ、そのうえで過去を美化することも、未来を思い煩うこともなく、「いま」を生きようと心がける。

幼年期から思春期へ、青年期から中年期へと、人生の季節が変わるたびに、人はなにかをなくし、代わりになにかを得る。壮年期から老年期への移行も同じだと著者は言う。激しいスポーツはできなくなったが、愛犬とゆっくり散歩する楽しさを知った。知恵がついた。世間の目はもはや気にならず、より自由になった。悩みが尽きなかった若いころよりいまのほうがよく笑う。

また、自ら「68年世代」を名乗り、女性と弱者の権利のために闘ってきたと自負する著者は、老いを社会的側面からとらえることも忘れない。高齢者を、自身の意見や希望や情熱を持たない、主体性のない存在と見なす社会を鋭く批判し、自身はいつまでも「物申す高齢者」でいたいと述べる。

ボーボワールを引用しつつ、年齢とともに男性は「成熟する」のに対し、女性は「衰える」ととらえる社会の偏見も指摘する。高齢の女性が「愛情深い祖母」といった社会が期待する役割から外れたときの世間の―特に実の子供たちの―驚愕(きょうがく)と抵抗がいまだに大きいこと。さらに、高齢女性が年下の男性を伴侶に持つことが現代社会に最後まで残るタブーのひとつであること。それでもボーボワールの時代から社会は大きく変わったと著者は実感する。人生の最初の2年を除けば戦争を経験せず、自由な社会に生きられたことも大きな幸運だった。

古今の哲学者、作家、芸術家の老いについての言及を縦横無尽に引用しつつ、著者は一見とりとめもなく自由に思索を漂わせる。自身の老いを客観的に、恐れることなく直視し、受け入れるその筆致にはユーモアがあふれている。

一方、著者が老年期を肯定的に楽しめるのは、経済的不安が一切ないからこそだという読者の感想もある。貧困にあえぐ高齢者が増加の一途をたどる現代ドイツで、「晩年の意義」を追求する余裕のある人がどれほどいるのかと。著者も自身の恵まれた境遇を自覚しており、経済的余裕と健康がなければ老年期は非常に苦しいだろうと認める。

そもそもどうすれば幸せな老後を送れるかを説く指南本ではない。現在にいたるまで精力的に生き、働く著者が老年に達して抱く人生とその先の死へのまなざしに勇気づけられる人は多いだろう。

ドイツのベストセラー(回想録)

Amazon 2025年12月22日付リストより

『』内の書名は邦題(出版社)

  1. Mama, bitte lern Deutsch ママ、お願いだからドイツ語を習って

    Tahsim Durgun タヒシム・ドゥルグン

    移民の子として、ドイツ語を解さない両親の面倒を見てきた著者による移民社会のリアル。

  2. Bread of Angels ブレッド・オブ・エンジェルス

    Patti Smith パティ・スミス

    「パンクの女王」パティ・スミスが自身の幼年期から現在までを振り返る。

  3. Inside インサイド

    Boris Becker ボリス・ベッカー

    偉大なテニスプレーヤーだった著者は2022年に破産法違反で服役。失墜と再生の記録。

  4. Nobody's Girl ノーバディーズ・ガール

    Virginia Roberts Giuffre ヴァージニア・ロバーツ・ジュフリー

    人身売買と性的搾取の被害者としてエプスタインとマクスウェルを告発した著者の遺稿。

  5. ...trotzdem Ja zum Leben sagen 『それでも人生にイエスと言う』(春秋社)

    Viktor E. Frankl ヴィクトール・E・フランクル

    ナチスの強制収容所を生き延びた著者が自身の体験を踏まえ、人生を肯定することを訴える。

  6. Altern 老いる

    Elke Heidenreich エルケ・ハイデンライヒ

    作家、文芸批評家である80代の著者が自身の人生を回想しながら「老い」について考える。

  7. Freiheit 『自由』(KADOKAWA)

    Angela Merkel アンゲラ・メルケル

    科学者から政治家に転身し、ドイツ連邦共和国の首相を16年間務めた著者の回想録。

  8. Before I Met Supergirl スーパーガールに出会う前

    Rea Garvey レア・ガーヴェイ

    アイルランド出身でドイツを中心に活躍するミュージシャンである著者の自伝。

  9. Wenn Ich eine Wolke wäre もしも私が雲ならば

    Volker Weidermann フォルカー・ヴァイダーマン

    ナチスの迫害で亡命した詩人マーシャ・カレコが18年ぶりに故郷を再訪して書いた手紙。

  10. Löwengrube 獅子の穴

    Daniel Schmidt ダニエル・シュミット

    ハンブルクでバーを経営する著者が人生の紆余(うよ)曲折を経て信仰に至った道を語る。