【1分でわかる】イスラエルとパレスチナ、なぜ「別々の国」になる必要があるの?
この記事は、GLOBE+で、2023年12月18日に配信された記事を再構成してお届けします。本編はこちらから
1. 対立の根源は、100年前のイギリスによる「3枚舌外交」とも言える矛盾した約束
2. 欧州での差別を背景にした「シオニズム運動」により、ユダヤ人移民が増加
3. 撤退を求めた「国連決議」は、言葉の解釈の違いで曖昧に
4. ガザ地区を誰が統治するかが、地域の安定と平和への大きな鍵を握る
1, 矛盾だらけだったイギリスの「3枚舌外交」
全ての混乱の始まりは、第1次世界大戦中のイギリス外交にあります。イギリスは当時、戦争を有利に進めるため、パレスチナの地を巡って三つの矛盾した約束をしました。
--こういうご都合主義な「3枚舌」が、現在も続く争いの種となりました。
2, 「シオニズム運動」とユダヤ人移民の急増
イギリス統治下のパレスチナでユダヤ人移民が急増した背景には、ユダヤ人のための国家を作ろうという「シオニズム運動」がありました。この運動の背景には当時ヨーロッパやロシアで強まっていたユダヤ人差別や排斥の動きがありました。ミュージカル『屋根の上のヴァイオリン弾き』で描かれるような差別から逃れるため多くの人が移住。ナチス・ドイツでのホロコーストで、シオニズム運動に対する国際的な同情も集まりました。1947年、イギリスは3枚舌外交の非を認めた上で、パレスチナ問題を「解決不能」として国連に委ねました。そして、同じ年の国連総会でこの土地を二つに分割する「パレスチナ分割決議」が採択され、イスラエルの建国へとつながります。
3, 「The」の有無で解釈が割れた国連決議と和平の挫折
アラブ側の反発は大きく、1947年に第1次中東戦争が勃発します。その結果、当時70万人のパレスチナ人が住む場所を追われて難民となりました。1967年の第3次中東戦争後、国連総会は「国連決議242」でイスラエルに占領地からの撤退を求めました。しかし、英文の「占領地(territories)」に定冠詞「The」がなかったため、撤退すべきは「すべての占領地」なのか「一部の占領地」でよいのか、解釈に余地が残る形となりました。当初、パレスチナ側はこの決議に反発していましたが、1988年に「独立」を宣言した際に受け入れを表明。1993年には歴史的な「オスロ合意」が結ばれ和平への道が開かれましたが、2014年を最後に和平交渉は止まっています。
4, イスラエルにとっても必要な「2国家」
パレスチナ国家の樹立はパレスチナ人の悲願ですが、実はイスラエルにとっても重要だという考えもあります。シオニズム運動は「民主主義的なユダヤ国家」を目的としていますが、パレスチナ人を支配し続けることは、パレスチナ人に権利を与えない「非民主的な国」なのではないかという指摘です。ユダヤ人の中からも、「国のアイデンティティーを守るために、分離して2つの国になるべきだ」という意見が出ています。
5, 誰がガザを治めるのか?
イスラエルのネタニヤフ首相はパレスチナ国家の樹立を防ぐため、ガザ地区を支配するイスラム組織ハマスと、西岸地区を治めるパレスチナ暫定自治政府との分裂状態をあえて利用してきたとも言われています。2023年10月のハマスによる奇襲をきっかけに、イスラエルはハマスをガザ地区から排除すると決め、その後は誰が統治するのかが大きな課題となりました。信頼の低下した自治政府が戻るのか、イスラエルが関与し続けるのか、出口戦略が「2国家解決」の行方にも大きな影響を与えるでしょう。
パレスチナ問題をめぐっては、「1国家現実(One State Reality)」という言葉も使われます。政治的には対立していても、経済的にはパレスチナの安い労働力や農産物がイスラエル社会に組み込まれ、実質「1つの国」のようになっている側面があります。しかし権利は平等ではありません。2023年1月、当時のブリンケン米国務長官が「2国家ビジョンから遠ざかることはイスラエルにとって有害」と警告したように、力による現状維持には限界があります。この構造的な問題を理解することが、現在の中東情勢を見る第一歩になります。