昨年はサッカーW杯カタール大会が大いに盛り上がりました。中継動画で、アラブ独特の音楽や民族衣装に目が留まった方も多いのではないでしょうか。その後、ポルトガル代表のロナウド選手がサウジアラビアのサッカークラブ「アル・ナスル」に巨額の年俸で移籍することが発表されるなど、中東のサッカーは話題に事欠きませんでした。
今年最初のコラムは、今までと趣向を変えて、日本では普段なかなか接することのないアラブ・イスラム文化についてご紹介します。この機会に、簡単なアラビア語を通じて学んでみましょう。グローバルビジネスパーソンにとっても、今や約20億人(世界の約4分の1)にものぼるイスラム圏の人たちとのビジネスにおいて、きっと役立つと思いますよ。
【1】タクシーの行き先も!?すべては神が決める「インシャーアッラー」
非常に混沌としたアラブ世界を象徴する表現として、「IBM」と言われるものがあります。
最初の「I」はアラビア語で「インシャーアッラー」。
「神のおぼしめすままに」と訳されます。ものごとはすべて人間ではなく神様、アッラーが決める、神は偉大(これを「アッラーフアクバル」と言う)なのです。
たとえば、私とあなたで「明日3時に会いましょう」と言っても、人間2人では決められません。神がおぼしめさないのなら、3時にはならない世界なのです。ですから相手は「インシャーアッラー」と言うのです。
日本人にしてみれば、今までそういう世界は経験がない。そうすると、何を信じていいのか分からなくなってしまいます。中にはノイローゼになる方もいます。
この、すべてを神様が決める世界で、私がエジプト・カイロで語学研修中だった約25年前、もっともびっくりしたのが、この「インシャーアッラー」がタクシーの中でも使われることでした。
当時のカイロでは、タクシーにナビは付いていないので、住所を言ってもなかなか目的地にたどり着けず、結局、乗客が右に曲がれ、左に曲がれと指示するのですが、右に曲がるかどうかも、運転手は「インシャーアッラー」と言うのです。
日本語で「はい」に当たる言葉ではなく、「インシャーアッラー」です。うーん、明日会う約束はまだしも、右か左かでさえもか……。私は当時、激しいショックを受けたのを今でも鮮明に覚えています。
この苦労は、アラブ世界でアポイントを取る場面でもよく出てきます。アポの時間は「インシャーアッラー」なので、なかなか決まらないのです。
私が外務省勤務時代に、中東諸国に総理大臣や外務大臣が訪問する際には、現地の日本大使館がアラブ側の王宮や政府にアポを申し込むのですが、本当に直前まで確認状がこないのです。
その中でも、特に難関はイスラムの盟主、サウジアラビア。2019年4月、河野太郎外務大臣(当時)がサウジアラビアを訪問した際には、サウジ側要人とのアポでついに最終コンファームが取れないまま、会場に赴いたこともありました。
中東事情に精通している河野大臣は、特に気にするそぶりも見せずに会場に行かれ、結局、神様はおぼしめされました。
【2】今日できることは明日やる、「ブクラ」
それから次の「B」はアラビア語で「ブクラ」、「明日」という意味です。
日本では、皆さんも組織にいると「今日できることは今日やれ」と言われると思いますが、アラブの生活では、「今日できることは明日やればいい」という感じです。
たとえば、インフラが整っていないエジプトでは、暑い中でクーラーもしょっちゅう壊れるのですが、修理の人に午後3時に来てくださいと頼んでも、さきほどの「インシャーアッラー」で3時に来ないで、夕方5時ぐらいになって、ようやく電話でつかまったら、「ブクラ」と言われるのです。
日本だと電車、バスの時間はすべて分刻みになっていますが、アラブ世界は時間の感覚が全くちがいます。1日単位、あるいは1週間単位の生活のスタイルなので、自分が何を信じていいのか完全にペースを狂わされてしまうのです。
アラブでは、国際法や国際政治の世界だけでなく、日常生活でも「約束は破られるもの」と思っておかないと、繊細な人はたちまちノイローゼになってしまいます。ちなみに、アラブ人同士の中で、「ブクラ」となっても、あきれはするでしょうが、怒ったりはしません。それはアッラーのおぼしめしだからです。
【3】人生何事も気にしない、「マアレーシュ」
最後の「M」は「マアレーシュ」。「気にするな」(英語でDon’t mind)という意味です。
たとえば、混沌としたエジプト・カイロでは道路に車線もない(!)ので、軽い車追突事故はしょっちゅう起きるのですが、アラブでは事故を起こした方(加害者)が、被害者に平気で「気にするな」と言います。事故を起こした方(加害者)が被害者に対して、まず「ごめんなさい」と言う日本と大違いです。
このように、アラブ世界では、加害者ですら、非を認めることはなかなかありません。ぶつけられた方が、事故を起こした方からいきなり「お前、気にするな」と言われる。こういう物事の価値観で、自分と相手がいて、どちらが正しくて、どちらが悪いのかということもだんだん分からなくなってくるような世界もあるのです。
私は、日本人として決してこういう価値観に賛同するものではないですが、日本社会にも、もう少し、失敗を寛容に受け止められる価値観があってほしいとも思います。
【4】日本人も見習いたい「マーフィーシュムシュケラ」
これも先ほどの「マアレーシュ」と近い表現ですが、「問題ない」、英語では「No problem」に相当します。アラブ人は、一般化して言えば、物事を神経質に考えない、ナイル川の雄大な川の流れのような性格です。
何かトラブルに見舞われても、神がおぼしめした、だから仕方がない、ということになります。ですから、日常でよくある、車の事故、停電、ダブルブッキング、電車の遅れ、約束の時間になっても会議が始まらないなどというトラブルは、「マーフィーシュムシュケラ」です。
日本社会には、すべてが完璧で時間通りでないといけないという風潮が強いと思います。そういう世界は時に息苦しさ、窮屈さを覚えてしまいますよね。日本人よ、もう少しおおらかになってもいいのではないか、アラブのように「問題ないよ!」の精神でゆるっといこうではありませんか。
【5】神のおかげ、「アルハムドリッラー」
物事はすべて神が決め、神がおぼしめすという世界で、神が人間によい結果をもたらしたときは、人間は神に感謝します。これが「アルハムドリッラー」、「神のおかげ」です。
たとえば試験に合格した、商売が成功したときや、日常の健康状態で調子が良いときにも「アルハムドリッラー」といいます。
日本でも、感謝の気持ちを丁寧に表す人が多いと思いますが、改めて、「アルハムドリッラー」(神のおかげ)と、感謝の気持ちを大切にしていきましょう。
【6】とにかくやってみよう。「ヤッラ!」
日本では、他の人より一歩先に出ないように、目立たないようにという風潮があります。
以前、タレントのパックンに、日本人はなぜ英語ができないのかと質問したところ、返ってきた答えは、「日本人は英語がしゃべれないのではなくて、しゃべらないだけだ」ということでした。要は、恥ずかしがらずにもっと自信をもって、いうことだと思います。
アラブ世界では、物事の成否は神が決めるので、人間があまり思い悩んでも仕方がない、だから、恥ずかしがらずに「まずはやってみよう!」ということになるのです。「ヤッラ!」は、アラブ人が、くよくよせずに送り出す時にも使う言葉です。今回の、カタールW杯でも、この言葉がよくテレビでも取り上げられていましたね。まずは、ボールを蹴ってみましょう!
【7】事を焦るな、すべては時とともにやってくる。「シュワイヤ、シュワイヤ」
アラブ人は、不思議なもので、日常生活は混沌としていて日本人の視点ではトラブルが多いように見えるのですが、ナイル川の悠然とした流れや広大な砂漠の中で生まれた気質なのか、あるいは神のおぼしめしを長く待つことに慣れているからか、非常に忍耐強い人が多いと思います。
私の場合は、エジプトでの研修中、アラビア語と格闘する中で、家庭教師の方に、「なかなかうまくならない、もう駄目だ」と愚痴をこぼすことも多かったのですが、アラブ人の先生は、諭すように、「事を焦るな、すべては時とともにやってくる、少しずつ、少しずつ(シュワイヤ、シュワイヤ)だ」と言ってくれたのは、私の語学の糧となりました。
今、英語をはじめ外国語学習で苦しんでいる方、仕事やスポーツで壁にぶち当たってもがいている方、コロナ禍で苦しい生活を送っておられる方にも、言いたいのです。「ヤッラ」の精神で果敢に挑戦し、きっと大丈夫、すべては時とともにやってくるよ、「シュワイヤ、シュワイヤ」(少しずつ、少しずつ)で頑張ろう、と。