共同経営者はイスラエル人とパレスチナ人
ドイツの首都ベルリン中心部を走る環状線リングバーン。東京でいえば山手線だ。そのリングバーンの右肩のあたりに位置するプレンツラウアーアレー駅から徒歩10分ほどのところにあるのが、中東料理レストラン「Kanaan(カナーン)」だ。この時点でお気づきの方もいるかもしれないが、名前は聖書に登場する歴史的な中東の呼び方「カナンの地」に由来する。
このレストランを経営するのは2人の中東出身者。イスラエル人のオズ・ベンダビドさんと、パレスチナ人のジャリール・ダビトさんだ。2人は互いにベルリンでレストランを立ち上げようと模索する中でたまたま出会い、2015年、Kanaanを開店するに至った。
レストランでは、フムスやファラフェルなどのベジタリアン向けの「中東料理」を出す。そもそもフムスやファラフェルを「何料理」と呼ぶのか、イスラエルとパレスチナの間では論争が絶えない。
オズさんは、ルーマニア系とモロッコ系のユダヤ人の両親を持ち、フムスを食べて育った。一方、イスラエル中部ラムレ出身のパレスチナ人であるジャリールさんは、祖父の代から3代に渡りフムス料理屋を営む。そんな2人は、政治的立場どころかフムスの味まで意見が合うはずがなく、店を始めるにあたっては、ゼロから意見を擦り合わせる共同作業の必要があったが、それが2人の原点にもなったという。
「イスラエルだったら無理」
イスラエル人とパレスチナ人がレストランを共同で経営するなどというのは、現在の中東情勢を見れば信じられないかもしれない。筆者が住むエルサレムでは、同じ職場で働くことはあっても、「共同経営」などというスタイルは聞いたことがない。ジャリールさんも、「イスラエルだったら無理だ」と話す。
しかも、この2人はただのイスラエル人とパレスチナ人の共同経営者ではない。
特にイスラエル人のベンダビドさんは、パレスチナのヨルダン川西岸地区の北部にあるユダヤ人入植地アリエルの出身の右派を自認するイスラエル人なのだ。ユダヤ人入植地は、国際法に違反して建設されていると指摘され、国際的に非難されている。「パレスチナ人」という民族性についてさえ、「元々はシリア人やエジプト人で、英国統治領下でたまたまパレスチナになった」というイスラエル人がこの土地に対する自分たちの正統性を主張する際に使うナラティブを信じている。当然、パレスチナ人は、このイスラエルのナラティブは完全に否定する。
さらに、そこはドイツの首都ベルリン。メルケル政権がシリアなどからの難民を多く受け入れたことで、元々住んでいたトルコ系の移民に加え、パレスチナに対する強い同胞意識をもつアラブ系の移民も増えた。都市は急速に国際化し、当然、カナーンでもシリア出身の難民などが従業員として働くようになった。
そんな中、2016年にイスラエルとパレスチナの間で軍事衝突が起き、互いの意見がぶつかり合うようになった。それでも、オズさんもジャリールさんも、シリア人従業員も、生活のためには店を閉めるわけにはいかない。オズさんは当時を振り返り、「私たちは一緒に働くということを通じて、私の考えていること、彼らが考えていることについての共通の言語とルールを作って、感情の処理の仕方を学んだのです」と話す。
ジャリールさんは相棒のオズさんについて、「オズ自身も変わった。ベルリンに行って、いろんな人たちと働いて広い世界が見えるようになり、イスラエルとパレスチナをまた別の視点から見るようになれば、イスラエルとパレスチナが馬鹿げたもののために戦っているということがわかるようになるのです」と、オズさんに変化が訪れていたことを感じていた。
右派を自認するオズさんが口にした「共感」
しかし、2023年10月7日のハマスによる前代未聞のテロ攻撃が起きた。イスラエルでは約1200人が死亡し、パレスチナでも3万7000人が死亡している。
この攻撃以降、イスラエルでは多くの人が「社会全体がトラウマを負った」と話す。イスラエルが安全保障のためだとしてガザ地区を覆うように建設した壁やフェンスをハマスが乗り越え、女性や子供も含めて約1200人を無差別に殺した攻撃が、イスラエルの右派・左派を問わず、ホロコーストの悲劇を想起させたのも事実だ。
イスラエル人の多くが、ガザ地区における破壊の現状に共感を示さず、イスラエル軍によるガザへの攻撃は正当化されると考える。国際社会からの批判をめぐっても、イスラエルだけでなく、ハマスについても批判していたとしても、イスラエルを批判するのであれば「イスラエルの敵だ」という二項対立的な思考に陥っている人も少なくない。
しかし、この前代未聞のテロ攻撃があっても、店を畳むという結果にはならなかった。右派を自認するオズさんは、現在のイスラエル人の心境に疑問を投げかけ、相手への共感を示すことの大切さを訴えた。
「貴方(筆者)は外国人としてイスラエル人の話を聞いているからわかると思うが、多くのイスラエル人は今、自分たちの側の人間には多くの共感を抱いているが、敵側で何が起きているか、何が動機だったのか、何が彼らが突き動かしたのか、一切考える能力を持たず、やつらはひどいとか、動物だとか、残虐だとかとしか考えられない。それはパレスチナ人がイスラエルについて言うときも同じだと思う。私たちがこのレストランで実践しているのは、共感するということです。15秒でいいから相手にメッセージを送れば、ちょっとしたスペースができるのです」
ただ、それには「前段」があったと話すのはジャリールさんだ。
憎しみから共感にたどり着くまでの4日間
10月7日の直後、店は4日間ほど閉めることを余儀なくされたが、ジャリールさんはその間に何があったのか打ち明けた。
意見が折り合わなくても、同じ方向を向く
国際社会は今、イスラエルとパレスチナの紛争を繰り返さないためにも、しきりに2国家解決を訴える。
しかし、入植者の数がすでに70万人まで膨れ上がり、双方のリーダーシップが機能不全に陥る中で容易ではない。オズさんにとっての「右派」は、エジプトとの和平を実現したイスラエルのメナヘム・べギン元首相や、ガザや入植地からの撤退を決めたアリエル・シャロン元首相であり、現在のリーダーたちのビジョンのなさを批判する。
ただ、オズさんは右派のイスラエル人として、ユダヤ教徒にとっても神聖な場所があるヨルダン側西岸地区のナブルスやヘブロンがパレスチナ国家の一部になることは感情的に受け入れられないと言う。その一方で、パレスチナ人がナブルスやヘブロンを自分たちの国家にしたいという思いも理解し、否定することはない。
オズさんは個人的には、イスラエル人ジャーナリストとパレスチナの活動家が提唱する「一つの土地に二つの国家(The Land for All)」案を支持しているという。同案では、イスラエルとパレスチナという二つの主権国家が、連邦国家のような形で、存在することを目指す。
オズさんは、イスラエルに暮らし続けていれば、ベルリンでイラク人に会うようなことが日常的にあるわけでもなく、何らかの和平を支持する現在の考えに至ることはなかったと言い、「私にとって大切なのは、イスラエルがユダヤ人国家であり続け、パレスチナ人が自由や選挙権を持てることです」と話す。しかし、オズさんが、ソーシャルメディアなどで和平を訴えるため、連絡が取れなくなったイスラエルの友人もいる。
入植地出身のイスラエル人と共同経営していることについて、ジャリールさんも知人から、良いことをしていると言われることもあれば、あきれられることもあるという。それでも、「世界のために良いことをしたい。敵がいるのであれば、戦うだけでなく敵と話したい。話して、私の意見を伝えたい。私の意見に同意する必要はないが、受け入れてくれるのであれば、私も相手の意見を受け入れることはできる。そこから、その二つのナラティブを共存させる方法を考えられるのだ」と話す。
オズさんとジャリールさんは、今でも互いに意見が合わないところがたくさんある。イスラエル建国時、70万人とされるパレスチナ人が難民となった「ナクバ」にしろ、パレスチナ人の民族性にしろ、一切、意見が合わない。しかし、2人は何かしらの和平が必要だという将来の目標に向けては意見は一致している。
オズさんがなぜ「共感」という言葉を口にできたのか。ジャリールさんが、なぜオズさんとビジネスを続けられているのか。2人の間には、レストラン経営という一つの目標に向けて対話を重ねる中で信頼関係が生まれ、その関係によって、10月7日以降の困難な状況の中でも「対話」を維持し、互いの立場をさらに深く理解できるようになっていったのだ。
政治的なスタンスやイデオロギーが全く異なり、前代未聞の出来事が起きたとしても、相手の意見を聞き入れ、共感を示し、少しずつ歩み寄ることができるのであれば、イスラエルとパレスチナの和平もまだ実現不可能ではないのかもしれない。