「死に体」だったパレスチナ問題
1948年に「ユダヤ民族の国家」を目指してイスラエルが建国され、その土地に暮らしていたパレスチナ人が追われて難民になって以降、「パレスチナ問題」は、中東和平問題の核心となってきた。
「アラブの大義」を掲げるアラブ諸国は、同胞パレスチナ人への連帯を示し、イスラエルと数々の戦火を交えた。パレスチナ問題は「中東和平問題」の中核を占めるようになり、広義では、パレスチナ問題が解決されれば、中東に和平が訪れると考えられ、狭義では、パレスチナ国家が建設されてパレスチナ人が自由と尊厳を手にし、平和裡に暮らせるようになることを意味した。
1993年のオスロ合意で機運は高まったものの、2014年に交渉が中断して以降、和平への機運は停滞し、ある外交関係者は「(オスロ合意は)死に体」とまで言った。
その状況に、まさに「死人にむち打つ」ように追い打ちをかけたのが、2020年、イスラエルとUAE(アラブ首長国連邦)などのアラブ諸国が国交正常化を果たした「アブラハム合意」だ。
アブラハム合意にはバーレーンやモロッコなども続き、パレスチナ問題を解決することなく、イスラエルが中東に統合され得るという時代を象徴する出来事だった。イスラエルにとっては、1994年のヨルダンとの和平締結以来の外交的なブレークスルーとなった。一方、パレスチナ側は憤怒し、UAEに対しては、「背後から刺された」と表現した。
アラブ諸国は2002年、サウジアラビアの主導で、「パレスチナ国家なくして、イスラエルの国交正常化なし」という和平案を採択した。アブラハム合意は、このアラブの約束を反故(ほご)にした形となり、メディアには連日、「パレスチナの孤立鮮明」などの文字が躍った。筆者も当時、そう報道した一人だった。
そして、2023年から2024年にかけては、イスラムの盟主を自負するサウジアラビアが、イスラエルとの国交正常化に乗り出すのかどうかが最大の焦点となった。パレスチナ問題の面影はすでになくなっていた。
再び注目を集める「二国家解決」
この状況に待ったをかけた形となったのが、2023年10月7日のイスラム組織ハマスよるイスラエルへの大規模な越境攻撃だ。市民も含めてイスラエル側で約1200人が死亡し、それに対する報復に乗り出したイスラエルによる攻撃を受けたパレスチナ・ガザ地区では4万以上が死亡した。
軍事衝突を受けて、各国は度々、二国家解決の重要性を強調するようになった。今年5月には、スペインとアイルランド、そしてノルウェーがパレスチナの国家承認に乗り出し、さらに、ほとんど報道されていないが、実はジャマイカ、バルバドス、トリニダード・トバゴ、バハマ、そしてアルメニア、スロベニアもパレスチナを国家として承認した。
Googleでの検索状況を調べるGoogle Trendsによると、2023年10月には「Two-state solution」の検索数が過去20年間で最も多くなり、再び人々の関心を集めた。
こうした世間の関心に呼応するように、イスラエルとの融和傾向にあった湾岸諸国も2002年の態度に原点回帰した。
UAEはすでにイスラエルと国交正常化しているが、パレスチナ・ガザ地区の経済に元々大きな影響力を持っており、その後ろ盾はガザの復興には欠かせない。このため、UAE政府は、「イスラエルが二国家解決への具体的な道筋を示さない限り、ガザの復興に関わることはない」という立場を強調する。
さらに、イスラエルとの国交正常化の実現が楽観すらされていたサウジアラビアに至っては、パレスチナ国家の実現なくして、イスラエルとの国交正常化なしと、改めて明確に強調した。
事実上の指導者であるムハンマド皇太子は今年9月、「我々は、東エルサレムを首都とする独立したパレスチナ国家の樹立に向けたたゆまぬ努力を止めることはなく、それなくしてイスラエルとの外交関係を樹立することはないと断言する」と発言した。
軍事衝突が始まる前の去年9月、ムハンマド皇太子がアメリカFoxニュースのインタビューに応じた際には、イスラエルとの国交正常化について、時期は明言せず、「日々(和平に)近づいている」としつつ、パレスチナについては、「パレスチナ問題は非常に重要で、この問題は解決しなければならない」と、曖昧にしか言及しなかったとのは対照的だ。
米シンクタンクの調査によると、サウジ国内ではイスラエルとの融和ムードもあったが、軍事衝突後はイスラエルに対する批判が強まっているとされる。パレスチナへの手当てなくイスラエルとの国交正常化を進めれば、王室への反発につながりかねない。
このため、時計の針は少なくとも、2002年くらいに戻ったかのようにも見える。
ハマス弱体化 ヒズボラ停戦でも取り残されるパレスチナ問題
こうした外部要因とは別に、イスラエルとパレスチナ内部の要因は混迷を極めている。パレスチナ自治政府は、去年10月以来、軍事衝突に関しては無力で、リーダーであるアッバス議長への不満が高まっている。パレスチナのシンクタンクPCPSRの調査では、ヨルダン川西岸とガザ地区で合わせて84%の回答者が、自治政府を率いるアッバス議長について「辞任すべきだ」と回答している。
今年3月、いわば気分転換でもするかのように、自治政府は内閣改造に乗り出し、ムハンマド・ムスタファ氏を首相に据えた。しかし、ムスタファ氏は元々、アッバス議長に近い人物として知られていて、目新しさはない。
特に湾岸諸国は、機能不全に陥っているパレスチナ自治政府に不満を持っているとされ、米国の新興メディア「アクシオス(Axios)」は関係者の話として、今年4月にサウジアラビアで行われた会合で、UAEの外相がパレスチナ自治政府について、「アリババと40人の盗賊のようだ」と非難し、改革が不十分だと述べたと伝えている。
さらに、UAEのラナ・ヌセイベ外務大臣特使兼政治担当補佐官は、英紙フィナンシャル・タイムズへの寄稿で、「ガザ地区への一時的な国際的プレゼンス(駐留)は、パレスチナ自治政府からの正式な招待によってのみ可能である。それは、すべてのパレスチナ人のために統治を改善するために必要な改革に取り組む準備ができており、信頼できる独立した新首相に率いられた政府によるものでなければならないし、その首相はガザの再建の責任を引き受ける能力を持っている必要がある」と述べ、自治政府の改革が不十分であることを公に批判している。
一方、イスラエルは、ハマス殲滅、人質解放、そして、北部住民の帰還を軍事作戦の目標とし、各地への攻撃を続ける。11月には、ガザ地区での軍事作戦を終えることなく、レバノン南部を拠点とするイスラム教シーア派組織ヒズボラとの間で停戦が成立した。
ヒズボラは当初、ガザ地区でのイスラエルの攻撃が終わらない限り停戦することはないという立場を示していたが、イスラエルによるレバノンの首都ベイルートやレバノン各地のヒズボラの拠点への攻撃に加え、南部への地上侵攻によって、ヒズボラからの譲歩を引き出した形だ。ロイター通信が関係者の話として伝えたところによると、ヒズボラはこの1年で最大で4000人の戦闘員を失ったとされる。
英シンクタンク「王立国際問題研究所(チャタムハウス)」のアソシエートフェローであるビラル・サーブ氏は、「ヒズボラがこの結論に至ったのは単独の判断ではない。イランは、自国の仲間がイスラエルに打ちのめされている様子を目の当たりにし、まるでボクシングの試合でコーナーが選手を守るかのように、相手に完全に打ちのめされるのを防ぐためにタオルを投げ込んだ」と指摘し、イラン側の妥協でもあると指摘した。
軍事的にかつ短期的な観点から見れば、イスラエルにとって、ヒズボラとハマスに対する「二正面」の軍事作戦を続けたことは成功なのかもしれない。
ハマスのイスマイル・ハニーヤ最高指導者をイランで暗殺し、その地位を継ぎ、10月7日の越境作戦を計画したとみられていたヤヒヤ・シンワル氏を殺害することに成功した。シンワル氏については、その所在を正確につかめていたわけではないものの、イスラエルはガザ地区での軍事作戦中に意図せず発見し、殺害に至ったといわれる。ガラント元国防相も、ハマスはすでに軍事組織としての能力を失っていると強調していた。
イスラエルは、その代償として国際的な立場を低下させた。
国際刑事裁判所(ICC)は11月21日、イスラエルのネタニヤフ首相とガラント元国防相に対し、戦争犯罪などの疑いで逮捕状を発行した。さらに、イスラエルが軍事作戦によって、いくらハマスやヒズボラを弱体化させたとしても、パレスチナ問題が解決されるわけではなく、イスラエルがガザ地区とヨルダン川西岸地区を軍事占領下においていることに変わりはない。
国際司法裁判所(ICJ)は今年7月、イスラエルの軍事占領について勧告的意見を出し、「イスラエルがパレスチナ被占領地にとどまり続けることは違法」という判断を示した。
イスラエルにとっては、選択肢は限られている。このまま国際法違反という批判を浴び続けながら、パレスチナを占領下に起き、パレスチナ人を抑圧し続けるか、宗教極右勢力が求めるようにパレスチナを一方的に併合して国際的な批判を浴び続けるか、もしくは、パレスチナとの合意のもとで、一国家もしくは二国家解決に乗り出すしかない。
ハマスやヒズボラに対する軍事作戦では、あくまで「その場しのぎ」であり、根本原因の解決にはつながらないのである。
トランプ第2次政権は中東情勢を変えるか
中東が混迷に陥るなか、アメリカでは来年1月、第2次トランプ政権が発足する。トランプ氏は第1次政権(2017~2021年)で、極端なイスラエル寄りの政策をとった。国務長官に指名される予定のマルコ・ルビオ氏、国連大使候補のエリス・ステファニク氏は親イスラエルの立場で知られており、駐イスラエル米大使に指名されているマイク・ハッカビー氏はイスラエルを強く支持する福音派として知られ、過去には、パレスチナ人の民族性を否定する考えを示したこともある。
しかし、トランプ次期大統領が、同じようにイスラエル寄りの政策を取るかどうかは未知数だ。
第1次トランプ政権で大統領補佐官を務めたジョン・ボルトン氏は、「トランプ氏が1期目のような親イスラエル政策を取るかどうかは全く不透明。そうなる可能性もあるが、本人にとって利益になるかどうかが一番だ」と指摘した。
トランプ氏が前政権時代にイスラエル寄りの政策をとったのは、強力なイスラエル支持で知られる福音派を取り込む狙いがあったからだ。しかし、同氏が2期までと憲法で制限のある大統領選挙に再び出ることはない。また、トランプ氏自身は2020年に、独自の二国家解決案を提示したこともあり、イスラエル・パレスチナの土地に対し、イデオロギー的な信念は持っていないと考えられている。
イスラエルの保守メディア・エルサレム・ポストは関係者の話として、トランプ氏が私的な会話の中で西岸地区の併合について「俎上にない」と言ったと報じている。人気を機にするトランプ氏からすれば、明らかに万人受けしない政策は認めないだろう。
トランプ氏としては、自身が主導的立場を担ったアブラハム合意をサウジアラビアにまで広げ、イスラエルとの国交正常化を実現したいと考えるだろう。4年前、トランプ政権がアブラハム合意を仲介した時、合意はイスラエルとアラブ諸国を接近させることでイランを封じ込めることを意図していた。しかし、そのサウジアラビアとイランは、2023年3月、中国の仲介で外交関係を正常化し、表向きは雪解けが進む。保守強硬派ライシ大統領の不慮のヘリコプター墜落死を受けて就任したペゼシュキアン政権は、積極的にアラブ諸国との外交を進める。
軍事衝突の後、アラブ側では、パレスチナ国家への関与が強まった一方で、2022年末に発足したネタニヤフ政権は、パレスチナ国家の実現をより難しくしている状況にある。
イスラエル首相府にも務めたことがある米シンクタンク「アトランティック・カウンシル」のシニア・フェロー、シャローム・リプネル氏は、「トランプ次期大統領は、イスラエルの現政権が存続する間、サウジアラビアとの交渉を進めることが問題外であることにいら立ちを覚えるだろう。(ネタニヤフ政権の一角を担う宗教極右の)スモトリッチ財相とベングビール国家安全保障相は、リヤド(サウジ政府)が要求する最低限の代償を払うこと、つまりパレスチナの国家化への何らかの道筋をつけることには決して応じないだろう。彼らの立場からすれば、アブラハム合意はありがたいが、『祖先の地』全体をイスラエルが支配することにかなうものはない」と指摘している。
バイデン大統領は就任時、イスラエル・パレスチナの二国家解決を強調し、現地ではほんのわずかだが、何かが変わるかもしれないという希望はあったが、政策的な優先度は低く、4年間で実績らしい実績は何一つ残せなかった。第1次トランプ政権で閉鎖されたエルサレムのアメリカ領事館や、ワシントンのパレスチナ解放機構(PLO)事務所の再開といった課題すら実現できず、結局は伝統的な親イスラエル政策をとったにすぎなかった。
トランプ政権は2025年、中東が4年前とは異なる状況に置かれる中で再び船出を迎える。希代のディールメーカーを自負するトランプ氏が、中東にどのようなディールをもたらすのか。中東に暗いニュースしかない中では、伝統的な政治家にはないトランプ氏の「予測不可能性」こそが、パレスチナ問題を解決に導く可能性があるのかもしれない。個人的な願望としても、そこにわずかな希望を抱いてしまうのである。