1. HOME
  2. どん底から切り開いたソリストの道 聴衆のその向こうへ届かせたい バイオリニスト レイ・チェンさん(後編)

どん底から切り開いたソリストの道 聴衆のその向こうへ届かせたい バイオリニスト レイ・チェンさん(後編)

Breakthrough 突破する力 更新日: 公開日:
だれとでも分け隔てなく接する親しみやすさが、世界中にファンを広げている=2025年7月、東京都港区のサントリーホールで。山本倫子氏撮影
だれとでも分け隔てなく接する親しみやすさが、世界中にファンを広げている=2025年7月、東京都港区のサントリーホールで。山本倫子氏撮影

カーティス音楽院入学まもなく、一瞬のミスで学内で居場所を失ったレイ・チェンさん。どん底からの奮闘が始まりました。ベネズエラの少年や、日本のノーベル賞学者との交流など、長く残る人との出会いもありました。世界中で演奏活動をしつつ、IT企業の経営もするレイさんの物語の後編です。

カーティス音楽院の「公開オーディション」での一瞬のミスは、長く響いた。2年目になっても一緒に室内楽を組んでくれる人はいなかった。危うく単位を落としかけ、頼んで自分のためにグループを作ってもらったほどだった。

一方で、室内楽グループから引っ張りだこの同級生がいた。同じ音楽キャンプに行くと知り、「同室にならないか」と声をかけた。寝食を共にしながら、演奏のコツやテクニックを学ぼうとしたのだ。

クラシック音楽の世界では一般的に、師事する先生以外に教えを求めるのはタブーとされている。だが、カーティスでは、室内楽のグループごとに教授がついていることに気がついた。「たくさんのグループをかけもちすれば、カーティスにいるさまざまな音楽家から教えてもらうことができる」と、室内楽のグループに積極的に入り始めた。

やがて、「学内で認められるには、コンクールで入賞するしかない」と、コンクールに次々と挑戦。だが、なかなか最終選考に残れないまま時が過ぎた。

両親は「音楽がだめなら、オーストラリアに戻って別の仕事をすればいい」と言ってくれた。だが、学校を辞め、バイオリンにかけてアメリカまで来たのは何だったのか。「なに者にもなれずに帰ることなんて、できなかったんです」

近年はアマチュアの若手音楽家を見出すイベントを開くなど、音楽のすそ野を広げる活動にも力を入れている=2025年7月、東京都港区のサントリーホールで。山本倫子氏撮影
近年はアマチュアの若手音楽家を見出すイベントを開くなど、音楽のすそ野を広げる活動にも力を入れている=2025年7月、東京都港区のサントリーホールで。山本倫子氏撮影

道を開いたコンクールでの優勝

卒業までに残された時間を逆算するようになったころ、「もう少しで突破口が見えてくる」という手応えを感じるようになる。コンクールでも最終選考に残るようになっていた。

背水の陣で臨んだ2008年。プロの登竜門と言われるメニューイン国際コンクールのシニア部門で初めて優勝。そして翌09年には、世界3大コンクールの一つと言われるエリザベート王妃国際音楽コンクールで優勝を手にした。

二つの大きなコンクールで立て続けに優勝したことで、扉が次々と開いた。笹川音楽財団(旧・日本音楽財団)から名器ストラディバリウスを貸与され、初のアルバムもリリース。ソリストとして生きていく道が見えた。世界の一流オーケストラから声がかかるようになり、年間100回以上の演奏会を開くまでになった。

世界を駆け回っていた20年。新型コロナのパンデミックが起きた。コンサートは軒並みキャンセルされ、あっという間に仕事がなくなった。練習は毎日続けなければならない。だが、一生懸命弾いても、聞いてくれる人はいない。

「音楽の喜びは共有することにあるのだと改めて気づかされた時期でした」

コロナ禍でつながりを失っていたとき、長年温めていたアイデアが形を結びはじめた。世界中のどこかで一人で練習している人たちをつなぎ、励ましたりアドバイスを送り合って練習を支えるコミュニティーを作れないだろうか――。

駆け出しのころの苦労を語るレイさん=2025年7月、東京都港区のサントリーホールで。山本倫子氏撮影
駆け出しのころの苦労を語るレイさん=2025年7月、東京都港区のサントリーホールで。山本倫子氏撮影

ベネズエラで出会った少年

この構想の裏には、忘れられないある体験もあった。

14年、ベネズエラでコンサートをしたときのことだ。演奏会の後、8歳くらいの少年をステージ上に招くと、自分のバイオリンで弾いてほしいと楽器を差し出した。手にして、思わず息をのんだ。本体に大きな穴があき、弦もまともについていない。とっさに一弦で弾ける「シエラザード」の一節を弾いてみせた。ぼろぼろの楽器から生まれる音色に、その子は涙を浮かべてレイさんを見上げた。彼もまた泣いていた。「音楽をやりたくても、まともな楽器すら手に入らない子どもたちがいることに、自分は思い至らなかった。なんて傲慢(ごうまん)だったのかと気付かされました」

近くに楽器を教えてくれる人がいなくても、お金がなくても、学ぶ機会を広げたい。「ごほうび」を楽しみにゲーム感覚で練習をしていた幼少期の思い出がよみがえってきた。

音楽の民主化を コロナ禍に生まれたアプリ

こうして生まれたのが、アプリ「TONIC(トニック)」だ。

楽器を練習する際にアプリを立ち上げ、自分の「スタジオ」を開く。他の利用者がスタジオを訪れ、「いいね!」のように花束を贈ったり、コメントを書き込んだりできる。画面には映像はなく、音だけが聞こえる仕組みのため、子どもが一人で練習するのにも使いやすい。見知らぬだれかの前で弾き、励ましてもらい、ゲーム感覚で練習を積んで次のレベルを目指す。それは自分の子ども時代の体験でもある。

レイさん自身も練習をTONICで公開している。次のコンサートに向けて、プロのバイオリニストが地道に練習する様子を、世界中で聞くことができる。「そこはどういう指遣いをしているの?」「私の練習も聴きに来て!」。世界各地から投稿されるユーザーの書き込みに、「あとで指遣いを書き込んだ楽譜の写真を送るよ」などと気さくに応じる。

TONICは23年2月にアプリが正式に出て3年ほどで、世界125カ国・地域で30万人以上が使うようになった。「クラシック音楽の民主化」とも言えるアプリに、シリコンバレーの有名投資家たちが投資している。

動画配信をはじめたのは14年ごろからだ。You Tubeのチャンネルでは、あらゆる価格帯のバイオリンを買って弾いてみせたり、調弦の仕方、ビブラート、指遣い、弓遣いのテクニックまで、惜しげもなく披露する。自分が失敗した演奏や、練習で間違える様子までも飾らず見せる姿に、多くの共感が広がる。一方で、こうした活動に、「音楽家は演奏が全て」と考える人からは批判もあった。

だが、レイさんは言う。「これまでプロの知識や知恵には秘密が多かった。僕はそれが嫌でたまらなかった。互いに教え合えば、全体のレベルアップにもつながるはずなんです」

TONICの共同創業者となってからは、各国を演奏で回りながら、起業家として会社を運営するという二足のわらじを履くようになった。TONICはアメリカ・サンフランシスコに拠点を置き、6人の正社員と、契約で働く社員もいる。

経営者としての経験は皆無だった。「会議をしていると、ITの世界にいる人たちの中で、自分はお荷物でしかないように感じた」と明かす。リーダーシップについて学ぶコースを受講し、さまざまな起業家に助言も求めた。

日本のノーベル賞学者との出会い

そんな彼が、日本でたびたび会っている人がいる。iPS細胞の研究でノーベル賞を受賞した京都大教授の山中伸弥さんだ。

12年、ノーベル賞授賞式の関連コンサートに招待され、受賞者たちの前で演奏した。この年に、生理学・医学賞を受賞したのが山中さんだった。演奏後に言葉を交わし、「穏やかで謙虚な人柄に感銘を受けた」と話す。その後、来日のたびに連絡を取るようになった。今では1年に1、2度、山中さんの家族もレイさんのコンサートに足を運び、レイさんの両親も加わって、家族ぐるみで食事をし、近況を語り合う。

大阪市内でのコンサートの前夜、山中伸弥さんとの夕食。LPレコードを贈ったという=2025年7月、大阪市で。山中伸弥さん提供
大阪市内でのコンサートの前夜、山中伸弥さんとの夕食。LPレコードを贈ったという=2025年7月、大阪市で。山中伸弥さん提供

年代も専門もまったく違う二人だが、レイさんは「組織のリーダー論、AIから医学まで話題は尽きないんです」。

もっとも、山中さんは「僕が話すより、レイの話を聞いているほうが多いかなあ」と笑った。「音楽家として円熟していくだけでなく、会社を経営し、音楽の外へ活躍の場を広げていく様子を、すごいなあと思って見守っているんです」。そして、「レイと出会ってからクラシック音楽をずいぶん聴くようになりました」。

音楽で人に影響を与える存在に

昨夏、レイさんは、楽器探しをし始めていた。

これまで使っていたバイオリンは、笹川音楽財団から貸与されていた1714年製のストラディバリウスで、「ドルフィン」という愛称の楽器だった。だが、貸与期間が終わり、初めて自分で楽器を探す旅が始まった。

プロが使うストラディバリウスなどの名器は300年以上、世代を超えて引き継がれている。どこでどうやって、こうした楽器を手に入れるのか。そんな素人の質問をすると、笑った。

「僕もどういう仕組みになっているのか、全然知らなかったんです。世界の名器がどこにあるのか調べるところから始めたんですよ」

そう言って、携帯電話を取り出した。画面には、ストラディバリウスなど24本の名器が表になって並んでいる。1本数億円、ときに10億円を超えるとも言われる楽器ばかりだ。弾いた時の感触や音色など様々な情報をまとめてきたという。

それぞれの楽器には個性があり、クセがあり、弾きこなせるようになるには時間がかかる。

サントリーホールのリハーサルでは、何度か弓を替え、後ろの席にどこまで届くか確認しながらリハーサルを繰り返していた。そして、この日のコンサートで使っていた1727年製のストラディバリウスにほぼ心を決めた、と話す。今後は、このバイオリンが相棒になる。

新しい楽器の音を確かめながらのリハーサルだった=2025年7月、東京都港区のサントリーホールで。山本倫子氏撮影
新しい楽器の音を確かめながらのリハーサルだった=2025年7月、東京都港区のサントリーホールで。山本倫子氏撮影

いま、レイさんが力を入れるのが、若手音楽家の育成だ。クラシック音楽は、幼少期から習い始めなければものにならない、というイメージが強い。でも、専門的な教育を受けなくても、世の中には才能あふれる若者がたくさんいる。こうした埋もれた才能を発掘して光を当てようと、世界中のアマチュアバイオリニストから数人を選び、プロのオーケストラと共演してもらうプロジェクト「Play with Ray」を各地で開いてきた。9月には、初めて日本で開催する。

「偉大な音楽家たちは、素晴らしい演奏をしただけではなく、未来の世代を育てることに情熱を注いできた」と言い、バーンスタイン、スターン、パールマン、ヨーヨー・マ……と名前を挙げた。

彼らは、聴衆の、その向こうまで見ていた、という。目の前のクラシック音楽のファンだけでなく、そこにはいないたくさんの人たちに音楽を広げた存在だった。

「音楽を通じて、人のあり方に影響を与える存在になれるかどうか。そこに自分の成否があるんです」