チャイコフスキーの「奇想的小品」の演奏が始まった。すると、もっとよく聞こうとするように聴衆の一部が身を乗り出した。
目はキラキラと輝いていた。本来は静まり返っているはずの場内だが、前の方からは演奏を励ますかのように鼻をフンフンといわせる音も聞こえてきた。
みんなクラシック音楽に耳を傾けるようになったのは、割と最近のことだ。でも、ステージの上の8人のチェロ奏者とは、心が通い合っているようだった。
奏者が一斉に上を向いた。物憂い中にもはりつめた調べが、激しい弦の動きに変わった。
そして、演奏が終わった。熱狂的な拍手。「ブラボー」のかけ声。さらに、感謝の声が一つ入った。「モー」という鳴き声だった。
デンマークの首都コペンハーゲンから南へ50マイルほど(約80キロ)の村ルンド。2021年4月下旬の日曜日に、才能豊かなチェリストたちが、2回のコンサートでその腕前を披露した。聞き入ったのは、音楽好きな牛たちと、その飼育などに携わる人々だった。
牛と人間のためのこの演奏会は、地元の畜産農家と近くにあるチェリストのエリート養成校との協力で実現した。前者ではモーエンス・ハウゴーと妻のルイーセが、後者では「スカンディナビア・チェロ・スクール(SCS)」の創立者ジェイコブ・ショー(32)がこの試みを支えた。
今回の交流には、SCSとそこに滞在する若手チェリストを知ってもらう狙いがあった。やってみると、とてもよい反応が、2本足と4本足のいずれの聞き手からも返ってきた。文化の営みを地方の隅々にまで広げる取り組みが、いかに好ましい成果をあげられるかを示す一例にもなった。
英国生まれのショーは、数年前まではチェロのソリストとして世界中を駆けめぐり、音楽界の「聖地」とされる米カーネギー・ホールや広州オペラハウスなどでも演奏した。
そのショーは、デンマークの基礎自治体の一つ、ステウンス(ルンドは行政上この自治体に属している)に来て、SCSを18年に開校した。そして、すぐにクラシック音楽の愛好家であるハウゴー夫妻と知り合った。ヘレフォード種の肉牛を飼育しているだけではなかった。モーエンスはステウンスの首長を務めたことがあり、コペンハーゲン・フィルハーモニー管弦楽団の役員もしていた。
ツアーで日本も訪れていたショーはあるとき、和牛の話をモーエンスにした。柔らかい肉をつくるために、どれほどぜいたくに育てられているか……。
とくに、説得したというわけではない。にもかかわらず、モーエンスは聞いた話の一つを取り入れてみることにした。
20年11月、牛舎に大型のラジカセが据え付けられた。牛たちは毎日、モーツァルトなどのクラシック音楽を聞き始めた。さらに、週1回ほどのペースで、ショーと滞在中のSCSの若手が生演奏を聞かせてくれるようになった。
この新しい「ぜいたく」が、肉質にどう影響しているかは定かではない。でも、ショーらの姿を見ると、牛たちは寄ってきて、演奏中はできるだけ近づこうとするようになったとモーエンスはいう。
「クラシック音楽は、人間にとてもよい影響を及ぼす」とモーエンス。「リラックスさせてくれるし、牛にもそんな人間の心理状況が分かる。だから、牛自身がよい気持ちになっても、不思議ではない」
ただし、演奏する方にとっては、必ずしも同じとはいえない。これから飛び立とうとする若い音楽家は、常に次の大きな目標を追い求めねばならない。それが負担となり、精神的にまいってしまうことがある。自らのキャリア作りに、どう立ち向かうか。それを教えることも、SCS設立の目的の一つだとショーは語る。
自分にも、そんな経験がある。ショーは、(訳注=音楽事務所などに属さずに)単身で世界をめぐっていた。出演交渉や契約書作り。次々にやってくる終わりのない移動日。くたびれ果ててしまったことがあった。
その後、スペインのバルセロナにある著名な音楽アカデミーで教えるようになった。そこで知った教え子たちの悩みに自分の経験が重なり、若手のキャリア作りには(訳注=演奏の腕をみがくという本業以外にも)埋めておかねばならない落とし穴が存在することに気づいたという。
「才能に恵まれた素晴らしい若手を何人も見てきたが、みんなこの落とし穴から抜け出す方法を何一つ教えてもらっていなかった」とショーは振り返る。音楽そのものについては、優れた師に教えを受けてきたのだろう。「ただ、それ以外のところをどうするか。あと少しの手助けに欠けていた」
演奏会にどう加わるか。コンテストにどう備えるか。ソーシャルメディアで自らをどう発信するか。そんなノウハウを覚えるための支援だ。
SCSのもともとの構想は、世界各地を巡回して教える「移動式の新兵訓練所」だった。しかし、最終的にショーは、ガールフレンドのバイオリニスト、カレン・ヨハネ・ペデルセンとともに18年にステウンスで農家を購入して改築し、常設の音楽アカデミーとしてSCSを開校することにした。
受講生は、世界各地から来ている。ほとんどが17歳から25歳という若さ。短期に滞在しながら演奏にみがきをかけるだけではない。ワーク・ライフ・バランスも含めて、プロとして自立するためのすべを教えてもらう。
そのための立地環境は、なかなかのものだ。海からは、0.5マイル弱(約800メートル)しか離れていない。野菜作りを手伝える菜園がある。近くの森では、食べられる木の実なども集めることができる。夕食には、新鮮な魚を楽しめる。都会から遠く離れて、単にリラックスするだけでもよい。
受講生の一人、米国のヨハネス・グレー(23)がここを選んだ理由の一つは、そんな環境にひかれてのことだった。18年に若手チェリストの登竜門とされるパブロ・カザルス国際チェロコンクールで優勝。現在はパリに住んでいる。
最初は、19年にSCSを訪れていた。コロナ禍が起きてから初の受講生募集を機に、再び戻ってきた。キャリア作りに必要なことを学べるのと、ここでのレジャー活動が大きな魅力だった。
「演奏プログラムをどう組み立てればよいか。さらには、どう組み合わせたら、もっと関心を引けるのか。ジェイコブ(ショー)は、アドバイスしてくれる」とグレーは話す。
「しかも、2人ともすごい食いしん坊で、料理が大好き。練習、練習の長い一日が終わると、釣りに行ったり、大宴会の計画を立てたり。音楽以外の世界もある」
この地ならではの恩恵をSCS側が受けているのと同じように、農業中心の地元にも世界各地から集まる音楽家たちの恩恵が少なからずある。
SCSは、地元の自治体と企業から一定額の支援を得ている。逆に、受講生たち(現在の滞在者は7人)は学校で音楽を教え、介護施設を慰問する。さらに、牛のために演奏もする。
その一環として、冒頭のコンサートも開かれた。新型コロナ対策の制約があり、この日は2回とも屋外で催された。入場者数はいずれも35人に限られ、チケットは完売となった。
当日の会場では、特産の軽食を求めることができた。地元のシェフが腕をふるったハンバーガーだ。ハウゴー夫妻が育てた牛のおいしい肉が使われていた。
この日の聴衆には、デンマーク文化相ジョイ・モーゲンセンの姿があった。なんと、生の演奏会は、半年ぶりとのことだった。
「もちろん、この半年の間には、多くの創造的な文化活動にサイトを通して接してきた」と取材に答えながら、こう話した。
「でも、生の催しは、やはり違う。コロナ禍で得た教訓の一つは、こうしてみんなで参加する文化行事の大切さを痛感したことではないだろうか。牛ですら、そう感じてくれているのだから」
確かに、人間も動物も楽しんでいるようだった。
演奏会が始まる前は、牛たちは牧場に散らばっていた。明るい日差しの中で草をはみ、生まれたばかりの子牛に乳を与えていた。
そこに、正装した奏者たちがやってきて、干し草がまかれたステージに着席した。
デンマークの作曲家ヤコブ・ゲーゼのタンゴ曲「ジェラシー」(訳注=1920年代の世界的ヒット)で、幕が開けた。ドラマチックな響きの出だしが奏でられると、牛たちは人間との間に設けられた柵のところに集まり、少しでもよい場所を求めるように互いに体を押し合った。
リストの「ハンガリー狂詩曲」(編曲)などのプログラムが続いた。アンコールは、シャンソン歌手エディット・ピアフの代表曲「愛の讃歌(さんか)」だった。
弾き終わった奏者たちは、人間の聴衆だけでなく、牛の聴衆にもすっかり魅せられていた。
「牛のために演奏するのも、実に楽しい」と先の米若手グレーは話す。「リハーサルでは、本当に詰め寄ってくる感じがした。それに、ちゃんと好みもある」といいながら笑った。
「あるところで、一斉に後ずさりしたのを見た? あんまりドボルザークは好きではないみたいなんだ」(抄訳)
(Lisa Abend)(C)2021 The New York Times
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