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ストラディバリウスを再現する堀酉基さん 一流演奏家を魅了する究極の「写し」

Breakthrough 突破する力 更新日: 公開日:
文京楽器本社2階にある工房で作業する堀酉基さん
文京楽器本社2階にある工房で作業する堀酉基=2022年9月6日、東京都文京区、小玉重隆撮影

ストラディバリウスの再現

メンデルスゾーンの甘く切ない旋律がホールに響きわたった。昨年5月、福島県相馬市民会館で開かれた演奏会。世界的なバイオリニスト久保陽子(79)はこの日、コロナ禍で控えていた演奏活動を久しぶりに再開し、東日本大震災の被災地で活動する「相馬子どもオーケストラ」と共演していた。

久保が奏でる協奏曲の音色に、客席で注意深く耳を傾ける男性がいた。

バイオリン製作者で、文京楽器(東京都文京区)の社長を務める堀酉基(50) 。久保が手にしていたのは、堀が手がけた「YUKI HORI」。イタリアの名工アントニオ・ストラディバリが黄金期の1716年に製作した「ストラディバリウス(ストラド)・デュランティ」の再現を試みた楽器である。

進めているプロジェクトについて語る堀酉基さん
進めているプロジェクトについて語る堀酉基=2022年9月6日、東京都文京区、小玉重隆撮影

10代でチャイコフスキー国際コンクールで3位に入賞し、内外で演奏を重ねた久保は、ストラドやグァルネリ・デルジェスなど、そうそうたる名器を使ってきた。名器とは何か。

「本番でね、自分が思った以上の音が出るんですよ。想像以上の音が出て、ええっとなって高揚する。それにつられて自分の感性がどんどん開いていく」

久保は音大での教職を2011年に終えて、演奏活動を本格的に再開するための楽器探しを、オールド(年代物)の楽器取引も手がける堀に依頼した。いくつか紹介されたが、満足できなかった。

「2カ月くらい弾くと、その楽器が自分の言葉を伝えてくれるか見極められる。それにかなう楽器がなかった」

楽器探しが行き詰まっていた2014年、久保はデルジェスを模した堀の楽器を試した後、意外な言葉をかけた。「悪くない、いいよ。全く新しい楽器の可能性にかけてみたい」

堀は当時の驚きを振り返る。

「久保先生のような大家が、私がつくった新しい楽器を使ってくれるなんて」

久保はそれ以来、一貫して堀のバイオリンを使っている。堀は約1年前、3丁目に当たるストラド・モデルを手渡した。

数億円以上することも珍しくない歴史的な名器に対して、定価は275万円。いま、堀の楽器は、NHK交響楽団のソロ・コンサートマスターを務めた徳永二男ら一流の演奏家が愛用する。欧米の一流ディーラーからも評価を受け、新作楽器としては異例の鑑定書が発行されている。

「直感的に宝物レベル」

学生時代まで楽器の演奏とも、クラシック音楽とも無縁だった堀が、バイオリン製作者になったのは、偶然の連続からだった。

就職氷河期だった1994年、東京・大手町で開かれた中小企業の就職セミナーで初めて文京楽器という社名を知った。イタリア料理店のアルバイトをした際、イタリア人シェフの料理を楽しむ客を見て感じていたことがあった。

「自分のつくったものを、自分の見えるところで届けられる方が、大企業で全体を想像できない仕事をするよりもいいかな」

翌年、新卒で入ったのは2人。本社の営業に配属されたが、社員教育は全くない。職人から「アーセンを持ってきて」と言われたとき、バイオリンの弦「A線」を示すドイツ語由来の読み方(Aは「アー」)だとは分からなかった。

「なんか、すごい違うところに来てしまったなと。3カ月たって、辞めさせてくださいと言ったんです」。引き留められたが、悩んで家に帰れず、山手線でぐるぐる回ったこともある。そんな1年目の夏、役員に呼び出された。

「君、来週からもうスーツ着てこなくていいから。工房に行きなさい」

営業から現場へ。工房で職人をまとめ、在庫管理などを担当することになった。目立たない職場に移った堀だが、ここで意外な能力を発揮する。

パソコンが得意で、表計算やワープロにも慣れていたため、宛名のリストや会議の議事録を効率よく管理していった。余裕ができると、楽器づくりにも関わるようになった。とはいえ、専門学校を出た職人らの木工技術にはなかなか追いつかない。悩みは続いた。

だが、1997年に更なる転機が訪れる。社長の茶木泰風(76、現会長)が持ってきたストラドを目にしたのだ。まるで彫刻のような立体感。肉感的な板の形状は丸みを帯び、平らなところがない。

「ほかとは全然違う。直感的に宝物レベルだなと。こんなにいいものなら、楽器づくりを目指す価値はあるかもしれないと、考えが変わったんです」

バイオリンの名器を再現する企画に志願した堀は、マネジメント能力を見込まれ、プロジェクト担当のトップに抜擢された。入社4年目だった。

取引や修理で名器が手元に来ると、形状や厚みなどのデータを集め、それをもとに全く同じ形のものを新たにつくる。三次元の立体を再現することがいかに難しいか。

当時は楽器の内部をCT(コンピューター断層撮影)スキャンで測れなかった。そのため、表と裏から磁石で挟みながら厚みを計測した。

研究成果をもとに名器の再現「リバース」シリーズとして売り出したのは2000年。以来、200丁以上の製作を手がけてきた。

今では、3Dデータをもとに加工機械を使い、0.1ミリほどの誤差で再現できるようになった。とはいえ、木は強度などが一つひとつ異なる。裏側の細部を加工するときは、木と対話しながら、手で彫るしかない。

堀酉基さんがバイオリンを製作するために使う道具
堀酉基がバイオリンを製作するために使う道具=2022年9月6日、東京都文京区、小玉重隆撮影

つくった楽器がどこまで名器に近づいているか。それを確かめるには、楽器が持つ最高の音を引き出す演奏者が欠かせない。「楽器だけでは未完成なのです」

久保は、その役目も引き受けた。文京楽器の店内で定期的にリサイタルを開き、堀の楽器を演奏して感想を伝える。「高音をもう少しピュア(純粋)に。G線はもっと深い音が出るはず」というように。堀が楽器を調整して、翌日、また同じ曲を演奏する。

堀は言う。「楽器からの音楽が言葉、メッセージを持っているか、立体感のある久保さんの生演奏で分かるようになった」

楽器を弾く「弓」でも歴史的な名弓の再現プロジェクトを始め、若手の俊英、三浦文彰と協力を進める。

一流の演奏家が伝える感触や言葉をデータで示せないか。名器が出す音の比較研究も進める。音響専門家の力も借り、名器から出る音を周波数帯ごとにデータ化していく。

ストラドは一定の音域が強く出るのに対し、デルジェスは、ほぼ全域がフラット(均一)に出るハイファイ型。一方、同じ型を模した堀のモデルは、現時点では細部で名器とは異なる特性を示している。名器のデータを積み重ね、「形」と「音」の関係を読み取れないか。試行錯誤を重ねる堀を、久保は励まし続ける。

「あなたの楽器には、言葉になる力がある」

バイオリニストの三浦文彰さん(左)と話す堀酉基さん
バイオリニストの三浦文彰(左)と話す堀酉基=2022年9月6日、東京都文京区、小玉重隆撮影

堀の母方の曽祖父は、瀬戸焼の絵付け職人だった。茶道の世界では、優れた花器などを正確に再現することで、その本質をつかむ「写し」の伝統がある。

「欧米の職人仲間からは、オリジナリティー(独自性)がないと後世に残らないとよくいわれる。僕が考えているのは、『写し』の世界。そこには単なるコピーとは違う精神性があるはずです」

実際、名だたる職人の多くは、名器を手元に置いていたという。ストラディバリ自身も、バイオリンの型を何度も変えて、進化を試みた。

彼の探究心はどこから来ていたのだろうか。回り道をしながら、楽器づくりの楽しさ、奥深さに目覚めた堀。究極の楽器を追い求め、ストラディバリと心の中で対話を続ける。