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「主権者教育」がなくなったアメリカの州 逆回転の「激流」意見の分かれる問題避ける

World Now 更新日: 公開日:
パレスチナへの連帯を示す昨年4月のインディアナ大学でのデモ。「平和的な雰囲気だった」というが、警察が出動して逮捕者が出た=ジェレミー・ホーガン撮影
パレスチナへの連帯を示す昨年4月のインディアナ大学でのデモ。「平和的な雰囲気だった」というが、警察が出動して逮捕者が出た=ジェレミー・ホーガン撮影

主権者教育がさかんだったアメリカは、そのような授業が難しくなる動きが起きている。政治的中立性に縛られ、中高でも大学でも、意見の分かれる問題が取り上げられなくなる州も出てきた。

イーライ・ビートンさん(25)は、米国インディアナ大学で歴史学の博士号取得をめざしている。米現代史が専門で、授業で教員の助手をすることもある。

今年の春学期、ある授業で学生が、開拓時代のネイティブアメリカン殺害について「なぜ大虐殺(genocide)と表現されているのか」と質問した。教員は、自分で答えず、ビートンさんに代わりに答えるように促した。「驚きました。そんなことは初めてだったので。でもそれ以降、何度かそういうことがありました」

イーライ・ビートンさん=2025年9月、米国・ブルーミントン、秋山訓子撮影
イーライ・ビートンさん=2025年9月、米国・ブルーミントン、秋山訓子撮影

なぜ教員は自分で答えなかったのか。ビートンさんが理由として挙げるのが2024年に制定された「知的多様性法」と呼ばれる州法。同法は、州立の大学では「知的に多様」な考えを教えて表現の自由を推進し、教員は自分の専門に関係することだけを教え、意見を伝えるよう求められる。もし授業がそうでなかったら、大学に匿名で通報できる。助手は対象外だ。

一見、当たり前のことを述べているようだが、今、州立であるこの大学などで大問題となっている。「原則として、大学の問題に政治が直接介入すべきではない。知的多様性の原則は確かに重要だが、政治が大学の問題に関わったときに、権力の誤用が起きる可能性がある」(スティーブ・サンダース法学部教授)。加えて「法の内容が非常にあいまいで、恣意(しい)的。知的多様性が何なのか、いくらでも解釈の余地がある。教師たちは恐れ、萎縮している」と文化人類学を教える准教授のデービッド・マクドナルドさん。

デービッド・マクドナルド准教授(本人提供)
デービッド・マクドナルド准教授(本人提供)

彼の専門はパレスチナの文化や社会。「パレスチナ人への継続的なジェノサイドはなかったとも教えなければならないのか」。イスラム組織ハマスがイスラエルに大規模攻撃をした2023年10月以降、学内外のパレスチナへの視線が非常に厳しくなったと感じる。昨年4月にはパレスチナへの連帯を示すデモが学内であり、警察が出動し彼を含む教員や学生30人以上が逮捕された。「広場でお昼を食べながら気軽に話をしているような平和な雰囲気だったのに。今までいろんなデモがあったが、警察の出動などなかった。私は学生を警察から守りたかった」。同日中に釈放され、起訴もされなかった。

多様な視点を奪う事態、処分される教員も

マクドナルドさんは悩んだ末、授業の内容は変えなかったが、学生同士の議論の時間を非常に少なくした。「以前は意見の分かれる問題を議論することこそ大事と思って促したが、学生が苦情を出す事態に発展するかもしれないので。本来、大学というのは学生が自分で考えられるように批判的思考力を身につける場なのに」。つまり、「知的多様性」を求めているはずの法律が逆に授業から多様な視点を奪う事態になっている。

春学期には、初めてこの法律に基づき教員が処分された。准教授のベン・ロビンソンさんは現代思想やドイツ研究が専門で、20年以上同大で教えている。社会思想の講義で、学内の親パレスチナデモを取り上げた。同デモでロビンソンさんも逮捕されたが(その後不起訴)、「授業では自分の逮捕経験についても話した。まさに授業で取り扱うテーマだったので」。しかし、匿名の通報があり、調査された。ロビンソンさんは自分の話した内容を認め、大学から公式な「注意(warning)」を受けた。マクドナルドさんもロビンソンさんも、今では「自分を守るため」に授業内容を録音している。

ベン・ロビンソン准教授(右)と同僚のマリア・ブクル教授。ブクル教授の着るTシャツには「WE ARE ALL BEN ROBINSON」(私たちはみなベン・ロビンソンだ)とある=2025年9月、米国・ブルーミントン、秋山訓子撮影
ベン・ロビンソン准教授(右)と同僚のマリア・ブクル教授。ブクル教授の着るTシャツには「WE ARE ALL BEN ROBINSON」(私たちはみなベン・ロビンソンだ)とある=2025年9月、米国・ブルーミントン、秋山訓子撮影

「オーウェル『ダブルスピーク』の典型例」

冒頭のビートンさんに戻る。ビートンさんが講義をする回で、白人警察官による黒人のジョージ・フロイドさん殺害と、その後起きた人種差別に抗議する「ブラック・ライブズ・マター」運動を取り上げようとしたところ、教員から「蜂起(uprising)」という言葉を「抵抗(protest)」に、「(警察による)殺人(murder)」を「殺害(killing)」に変え、他にも国家の暴力や弾圧に関する表現を受動的にするよう促された。「教員の心配はわかるので受け入れました」とビートンさん。

「そういう例は他にもある。私たちが目にしているのはジョージ・オーウェルの小説に由来する『ダブルスピーク』の典型的な例。戦争を平和と呼び、抑圧を市民的議論という。大学という民主主義の基本的支柱の終焉(しゅうえん)を告げていると強く感じます」(ロビンソンさん)。作家オーウェルは、暗黒社会を描いた小説「1984年」で、二つの矛盾する概念を同時に受け入れ疑問を抱かない様子を「二重思考」と表現した。大学で、権力に忖度(そんたく)して言葉を言い換え、議論が失われたら、損失は計り知れない。

「WE ARE ALL BEN ROBINSON」のTシャツをデザインした、インディアナ大学で服飾デザインや服飾史を教えるヘザー・アコウ教授
「WE ARE ALL BEN ROBINSON」のTシャツをデザインした、インディアナ大学で服飾デザインや服飾史を教えるヘザー・アコウ教授=2025年9月、米国・ブルーミントン、秋山訓子撮影

同大で歴史学を教えるアレックス・リヒテンシュタイン教授は、「知的多様性とは大学教育全体で得られるものだと思う。マルクス主義の教授の授業を受け、ネオコンの教授の授業も受け、さらにリベラルの教授の授業も受ける。学生は異なる視点を持つ複数の教授から情報を取捨選択します。どの見解を必ず受け入れなければならないということはない」と語る。同州では他にも、州の大学への関与を強めている。今年の州予算関連法で、知事による大学の理事の任命・解任を可能にした。

教室で意見の分かれる問題を取り上げなくなったのは大学だけではない。

社会や政治と切断された教室

テキサス州の中学校で歴史を教えるベテラン教師は授業で、生徒たちが政治家に手紙を書くことを続けてきた。「民主主義では、議会や大統領は市民のために働いていると理解してほしかったので。生徒は興味のある法案を調べ、担当の議員に手紙を書きました。多くの場合、政治家の事務所や本人から返事をもらえてとても貴重な体験でした」。ところが2022年以降中止に。2021年に公立校を対象に「批判的人種理論(CRT)禁止法」と呼ばれる州法が制定されたからだ。CRTとは、差別は法律や制度を通じ社会に構造的に存在するという考え方で、保守派からの反対が強い。

同法に反対した民主党州下院議員のエリン・ズイナーさんは「実際に小中学校でCRTを教えているところはなく、法は非常に広範囲であいまい、混乱を招いている」という。

テキサス州のエリン・ズイナー下院議員(本人提供)
テキサス州のエリン・ズイナー下院議員(本人提供)

同法はCRTを超え、肥大化。社会や歴史の授業で、時事問題や意見が分かれる社会問題を扱う時には、「多様で相反する観点から公平に論じなければならない」と定める。ボランティアなど政治的と判断される活動に生徒を参加させ、単位を与えることも禁止した。

米国では、中学や高校で主権者教育としての政策や政治の議論がさかんだった。しかし、テキサス州などで制定されたこの法律で、そのような授業が難しくなった。

地域の集まりで意見を述べるグレース・ディンさん(本人提供)
地域の集まりで意見を述べるグレース・ディンさん(本人提供)

生徒も授業の変化を感じている。グレース・ディンさんは、ヒューストンに住む17歳の高校生だ。教育の自由や多様性の推進を求めるNPO「SEAT」(Student Engagement and Advocacy in Texas)の一員として活動している。ディンさんは言う。「英語の授業で、生徒が授業で取り上げてほしい時事問題のリストを作成していた時に、先生が中絶やアファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)、LGBTQの権利、人種差別などの資料は使ってはいけないと言われました。先生は管理職との摩擦をさけるため、議論の分かれる話題を避けるようになっています」

SEATを創設したキャメロン・サミュエルズさん(22)は言う。「高校には、LGBTQやジェンダーの問題を考える課外活動の『プライド・クラブ』がありました。そこで、小学校からの友人と再会して、今までは話せなかった本音をお互いに話せて本当に良い時間が過ごせました。居場所ができたのです。ところが今やそのようなクラブも学校から締め出されました」

若者の政治参加を支援するNPO「SEAT」を創設したキャメロン・サミュエルズさん=2025年9月、米国・オースティン、秋山訓子撮影
若者の政治参加を支援するNPO「SEAT」を創設したキャメロン・サミュエルズさん=2025年9月、米国・オースティン、秋山訓子撮影

教育や若者支援などに携わるNPO「テキサスアップルシード」で活動する弁護士、プリンセス・ジェファーソンさんは「私は学校でオバマ大統領の就任式を見ました。黒人が多く住む地域にある学校で、クラスで一緒に見て、その後、みんなで意見交換しました。歴史的に重要な瞬間でしたが、今なら問題視されてできないでしょう」と語る。

なぜこのような法が制定されたのか。別のベテラン歴史教諭は言う。「一言で言うなら『恐怖』。教師たちが若者に進歩的な思想を押しつけるのでは、と保守的な人々は考える。しかし、教育とは多様な意見を聞いて議論し、自分で判断するための力を養うもの。私は議論を重視する授業を続けていますが、避ける人もいます。議論の訓練をしなくなったら、生徒たちはおそらく何も考えずに親やソーシャルメディアの言うことをそのまま受け入れるようになるのでは」

米国の例は「政治的中立性」に縛られ、政治的なテーマや議論を避けていた日本の状況よりも深刻に思える。この状態が続けば、影響は大きいだろう。