1. HOME
  2. 特集
  3. 入試とエリート
  4. 大学入試、なにが正義か サンデル教授と学生の「白熱対話」

大学入試、なにが正義か サンデル教授と学生の「白熱対話」

Learning
マイケル・サンデル教授 photo: Ryan T. Conaty

 最初に、僕とサンデル教授との出会いについて話させてください。僕は6年前に英国から日本に戻り、進学校として知られる灘高に入学しましたが、授業はとてもつまらなかった。先生が生徒に一方的に教えるばかりで、生徒たちも東京大や医学部の入学試験に合格することだけを目指して勉強していました。


僕はそれになじめず、友人と一緒に、あなたの講義を学ぶ課外活動を始めたんです。あなたの講義を自分たちなりにアレンジし、他の生徒たちも招待して、あなたの提起した問題について議論しました。


この経験は僕に大きなインスピレーションを与えてくれましたし、僕がハーバードを志望するきっかけにもなりました。


サンデル それはうれしいね。勉強会は君の発案だったのかな?


 そうです。生徒主導で、先生たちには秘密にしていました。そもそも僕たちがこの活動を始めたのは、学校が嫌いだったからです(笑)。

楠正宏さん photo: Ryan T. Conaty


サンデル なるほど!(笑)。先生は君たちの秘密の議論に気づいたのかな?


 ええ。何人かの先生は、僕たちのたくらみを喜んでくれました。そうでもなかった先生もいらっしゃったみたいですが・・・。


この話からもご理解いただけるように、日本の教育は、一発勝負の大学入試を突破するのを主な目的にしています。一方で、米国の大学の入試は、より「包括的(holistic)」です。教授はハーバードの入試についてどう考えますか。


サンデル 君も知っているように、ハーバードに限らず米国の大学入試では、SATという共通テ

ストは判断材料のひとつに過ぎない。高校時代の成績や学校内外からの推薦状、さらに奉仕作業などの課外活動、音楽やスポーツにおける表彰なども考慮して合否を決める。


こうした入試をしているのは、多様な背景を持つ学生が集うことで、教室での議論が活性化することを目指しているからだ。米国内の多様な地域、さらには世界中から学生を集め、経済的に恵まれない家庭の出身者も受け入れ、人種的にも多様性を確保しようとしている。


より多様な経験と考え方を持つ若者たちがクラスに集うことで、学生たちは自分自身とは異質な人間と学び合い、多様な生き方に対する敬意を育む。それはきっと、多元的な社会を作り上げていくことに役立つだろう。それが米国型入試を「正義」と見なす根拠だ。


だが、米国型の入試が日本でも成功するかどうか、私には判断できない。そもそも、日本の大学入試をよく知らないからね。君自身は、日本の入試についてどう考えているのかな。


 日本は歴史的に、試験の成績という単一の物差しで志願者の実力を評価してきました。このやり方は非常に透明性が高い。生まれに関係なく、誰もが平等に合格を目指せるし、コネや家柄も関係ない。実力だけの勝負です。それが日本型入試の大きな利点です。


だけど、教育の目的は時代によって変わります。ハーバードもかつては聖職者を養成するための機関でしたが、現代ではまったく違う。しかし、日本はあまりにも過去の入試のあり方に固執しすぎています。それは、グローバル化された現代社会では、必ずしも効果的なやり方とは言えないのではないでしょうか。


サンデル 日本の大学生とハーバードの学生にはどんな違いがあるのだろう。君の意見を聞かせて欲しいな。


 単純な一般化はできませんが、いくつかの明確な違いがあります。その一つはリスクに向き合う姿勢です。


ハーバードの多くの学生は、積極的にリスクを取る傾向が強いですね。入試がブラックボックスで、合格するかどうか受けてみないと分からないという所からも、その傾向は垣間見ることができます。


一方、日本では例えば東大を受験する時には、東大向けの模擬試験を受ければ、自分が合格できそうかどうか、すぐに分かります。合格した後も官僚や医師として安定した人生が保障されている。その結果、安定志向が非常に強くなっていると思います。


ハーバード卒業生の28%は、リスクをある程度積極的にとることが求められる、証券会社などの金融業界に就職します。それに対して僕の母校の灘高では、多くの卒業生が医師を目指します。医師になることで非常に安定した収入を得られるからです。


サンデル 日本では、大学入試でペーパーテスト以外の要素を考慮する議論が始まっているそうだね。東大でもそういう動きがあると聞いているよ。


 東大は今年初めて、一部の受験生をペーパーテストではなく推薦によって選抜する試みが始まりました。おそらく、文部科学省と東京大学は、自分たちの行っている入試が世界的な流れと大きく異なっていることや、グローバル化に対応するにはペーパーテストに合格する以外の能力も必要なことに、気づき始めているのではないでしょうか。


サンデル 君自身は日本のペーパーテストと米国型入試のどちらがいい?


 難しい質問ですが、ペーパーテストの方でしょうね。準備がしやすいと思いますから。だけど、ハーバードの受験は楽しかったです。エッセーを書く時、自分は何者で、なぜハーバードを目指すのかを真剣に考えましたし、試験官の心をどうやって動かすかも工夫しました。その経験を通じて、人としても成長できたと思います。


サンデル ハーバードは米国型入試によって、本当に多様性を実現できているだろうか?また、そのことによって教室の議論を活性化させ、多元主義的な教育を行うことができていると思うかい?


 ハーバードに入学したことで、日本にいたら決して会えなかったような人々と出会えたことは事実です。アフリカの王族出身の学生もいれば、経済的・社会的に恵まれない家庭の出身者もいる。僕はそうした仲間たちとハーバードで生活できることをとても感謝しています。


でも、多様性を強調しすぎることで、さまざまな問題が覆い隠されてしまう面もあるように思います。


ハーバードでは確かに、人種的、宗教的な多様性は実現できている。だけど別の面からみれば、大半の学生はエリート校や裕福な家庭の出身者です。


サンデル それは米国型入試の弱点だな。米国の大学は授業料が高額過ぎて、貧困層はもちろん、ワーキングクラスの中間層さえ大学には通えない。


ある研究によれば、米国の著名な146の大学で、所得層が下位4分の1の家庭出身の学生は、全学生の3%に過ぎない。所得層が下位半分の家庭出身者でも10%だ。米国では、高等教育に対する経済的障壁が高すぎるんだ。


ハーバードは幸運なことに、経済的に授業料を払えない家庭の出身者にも門戸を開くことができる。ハーバードは非常に裕福な大学で、授業料を払えない学生に無償の奨学金を支給できるからだ。


しかし、大半の大学はハーバードほど資金が潤沢ではないから、経済水準によって、大学に通えるかどうか大きな格差が生じてしまう。この格差は決して「正義」とは呼べないだろう。


学生の多様性について考えるならば、入試だけではなく大学の財政の問題も考慮する必要がある。そして、財政の問題は「貧困な家庭の出身者を大学から排除してもよいのか」という公平性の問題とも大きく関わってくる。


日本の大学の財政はどうなっているのかな。


 東大、京大をはじめ日本の最難関大学の多くは国立で、税金によって賄われています。学生が負担する授業料は東大で年間54万円程度ですから、それが経済的な障壁になることはほとんどありません。アルバイトをすれば十分賄える額です。米国の大学と比べ、低所得層の出身者でも大学に通いやすいと言えます。


だけど、日本のトップレベル大学の学生も、実際には高所得層の出身者が多い。彼らは貧しい家庭の生徒らが通えない塾や予備校に通い、入試の効果的な突破方法を学べるからです。


サンデル 日本だけではなく米国でも、受験生がペーパーテストに対してどれだけ準備できるかは、親の経済力によって大きく変わる。


米国の共通テストSATは元々、大学入試における機会の平等を実現するために導入されたものだった。1920年代、30年代のハーバードの入試は、階級や宗教や人種などさまざまな偏見によって大きくゆがめられていたからだ。


ペーパーテストという共通の土俵を作ることによって、どんな出自の人間であっても、試験でよい成績を取れば大学に入学できる。それが差別や偏見を克服し、公平な入試につながると考えられたんだ。


しかし、現実には、高収入の家庭の出身者ほど、ペーパーテストでよい成績を取れる、という傾向がはっきりと現れてしまった。だから私は少なくとも米国では、テストの成績だけで合格者を決めるのは誤りだと考えている。


 ハーバード卒業生の子弟は「レガシー」と呼ばれ、入試でも他の受験生よりも優遇されています。これはハーバードが目指す多様性とは、逆の方向ではないでしょうか。


サンデル レガシーの優遇には二つの面がある。一つはそれが卒業生たちの間に、世代を超えた共同体意識をもたらすことだ。


もう一つは財政だ。ハーバードの豊かな財政の一部は、ハーバードの卒業生らによる多額の寄付金で支えられており、それらは経済的余裕がない学生への奨学金にも使われている。


これは一種のパラドックスと言えるだろう。レガシーを優遇することは一般的に富裕層出身者に有利に働くが、それによって得られる寄付金のおかげで、ハーバードは低所得階層出身の学生も入学させることができる。


このパラドックスは「白熱教室」のよいテーマになるだろうね。もちろん、レガシーならば誰もが合格できる、というわけではないが。


 僕も奨学金があるからこそ、ハーバードに通えている。レガシー優遇は、全体的に見れば、大学の多様性を促進するというメリットの方が大きいのでは?


サンデル 私の考えは「レガシーであろうと、多様性を促進するためであろうと、学業について行けない学生を入学させてはならない」ということだ。多様性の本来の目的である、教室の議論を豊かにすることに貢献できないからだ。


ハーバード志願者の約半分は、学力面では十分な水準に達しているだろう。だからこそ、学力以外の要素も考慮した入試ができるんだ。


本当の問題は、ハーバードや東大のように、十分な学力を持つ若者たちが定員よりもはるかに多く応募してくるような大学では、どんな基準で合否を決めるべきなのか、ということだ。


この問いへの答えは、「大学教育が何を目指すか」によって変わる。


大学の目的が優れた研究者の育成だけであるならば、合否の基準は学力だけでいい。だが、ハーバードのように社会のリーダー育成も目指すのであれば、多様性を考慮して志願者を選抜する方が、妥当だし公平だろう。


グローバル社会に適応したリーダーや民主的な市民を育てるには、多様な背景を持つ学生を集め、相互に刺激させあう必要があるからだ。東大もそう考えて推薦入試を始めたのではないのかね?


 東京大学は国立大学であり、市民のための大学です。本来ならば「東大の教育目的は何か」ということは、非常に重要な問題のはずですが、それに関する理解や議論が進んでいるとは思えません。


米国式の入試をコピーしようとしているだけのようにも見えます。


サンデル 高等教育は「社会のリーダーを決める」という重要な役割を担っている。だからこそ、大学教育や高等教育の目的について公的な場できちんと議論をする必要があるし、そうした議論なしには、「大学入試はどうあるべきか」ということも決められないだろう。


高等教育や大学の目的は、それぞれの社会によって異なる。しかし、すべての社会は「大学教育は何を目的とするべきか」という議論を通じて、多くのことを学べるはずだ。議論の場には、社会のリーダーや大学の教職員だけではなく、学生自身も加わることが重要だろう。


日本でこうした議論を行うには、どんな場が適していると思う?


 僕たちが灘高で作った秘密クラブは、その議論をするのにうってつけの場のひとつでしょうね。


サンデル (笑)


 だけど、たったひとつのシンポジウムや、あるいは新聞記事だけでは、解決する問題ではないと思います。日頃から多くの人々がこの問題に次第に気づき、日常的に関心を持つようになって初めて、議論が活発化するのではないでしょうか。


サンデル その通りだね。大学の果たすべき役割、そして大学入試のあり方は、それぞれの社会が自ら選択するべきことだろう。しかし、どんな選択をするにせよ、中程度の収入の家庭出身者が高等教育を受けられる機会を保障することは非常に重要だ。そしてそれこそが、米国の社会が直面し、いまだに解決できていない問題なんだ。


君は私の講義を二度選択したね。一度目は大教室の講義で、二度目は少人数のディスカッション形式の講義だった。君には、私の次の著書への協力もお願いしている。ハーバードで日本人学生は決して多くないが、君と共に学べるのは、私や他の学生たちにとって大変名誉なことだ。


さまざまな国の学生と共に学ぶことは、知的な刺激を得られるだけではなく、より広い世界に旅立つ準備をするための素晴らしい方法なのだよ。