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点数で選ぶリアリズム

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科挙の様子を再現した像。不正がないか鼻の中まで調べた=「国子監」 (小山謙太郎撮影)

「高考」で一発勝負/中国

コメ粒大のイヤホンに、液晶画面を仕込んだ消しゴム、特殊な眼鏡でのぞくと液晶画面が浮かび上がる定規──。中国では大学入試がある6月になると、毎年のようにカンニング道具の摘発が報じられる。2月中旬、北京の秋葉原ともいえる電気街・中関村で買えるだろうかと、探し歩いてみた。棚一面に無線機を積み上げた店の店員に話を聞くと、イヤホンは「摘発後に違法となり、今は製造していない」。消しゴムと定規は闇販売の改造品ではないかという。

中国の大学入試は各省・直轄市ごとの統一入試で「高考(ガオカオ)」と呼ばれる。昨年は942万人が登録した。大学は各省ごとに学生数を割り当て、高得点者から希望校に入れる仕組みだ。約2800校ある大学のうち、有名企業が採用を指定することが多い「重点大学」は約80校のみ。また、農村部に生まれた受験生にとって大学進学は、豊かな都市の戸籍が得られる限られたチャンスでもある。不正が絶えないのは、一度きりの試験で一生が決まるからだ。

経済格差が広がり、汚職事件が頻発する中国で、高考は数少ない公平性が守られた制度だと信じる中国人は多い。各地域の得点トップは、かつての科挙の最上位の称号「状元」の名でたたえられ、新聞に顔写真が載る。状元の多くが選ぶ最難関校、北京大学と清華大学の国内入学者数は合わせて年約7000人。高考受験生数の0.1%未満の狭き門だ。

「寮生活だった高校の3年間、朝8時の授業開始から夜11時の消灯まで、ずっと試験のためだけの勉強を続けてきました」。旧正月が明けた2月中旬、広西チワン族自治区の実家から北京大学に戻ってきたばかりの楊琦(20)に話を聞いた。楊は、経済発展の遅れた自治区の工場で働く高卒の両親に育てられた。試験制度のおかげで人生が変わったと思う一方で、受験勉強一色だった高校時代については「つらい思い出。二度と戻りたくない」と首を振る。

自主募集の枠を利用して不正入学

進学率が高まり、高考は年々厳しさを増している。中学高校の教育が高考で高得点をとるためだけの内容になっているとの批判もある。初めから高考を受けずに、海外留学を選ぶ学生も増え、頭脳流出が懸念されている。

「一本橋から立体橋に」。複数の入学機会をつくろうと、中国政府も大学入試改革を模索する。国家教育諮問委員として政府の改革案づくりにたずさわってきた北京理工大学教授の楊東平(66)は「公平性の保障、人材選抜のバランス、高校の授業向上と三つの異なる目標がある難しい改革だ」と話す。

2003年から、上位の大学では「自主募集」が許され、現在約80校が実施。全入学者のうち5%以内であれば、学業や芸術、スポーツの大会入賞者を優遇するなど独自の選抜が可能になった。他にも、中国の王毅外相の出身大学でもある北京第二外国語学院では、昨年、大学直結の高校を創設して約100人の1期生が入学した。彼らは高考を受けずに大学課程に進める。

ただ、学院副校長の邱鳴(58)は「本音では自主募集の類いはやりたくないのです」と明かす。親戚、同僚、ご近所、友人、同窓生とあらゆる方面から大学入学への手心を依頼されるからだという。中国では、自主募集の枠を利用して不正入学をはかったとされる大がかりな汚職事件が発覚したばかり。「高考であれば、腐敗の余地はありません。『人情社会』とも言われるコネ文化の中国で、点数主義の選抜は公平性を守る大きな役割を担っているのです」

試験の淵源は科挙

旧正月の2月中旬、北京に建つ近代以前の「大学」だった国子監は、多くの観光客でにぎわっていた。元、明、清代の科挙合格者5万1624人の名前が彫り込まれた石碑が立ち並ぶ。その前で、父親が小学生の娘を諭していた。「見なさい。中国では試験にさえ受かれば、誰でも地位とお金を手にできるんだよ」

科挙は中国・隋の文帝の時代、587年に始まり、約1300年続いた官僚の登用試験だ。中国史家である宮崎市定の『科挙』(中公新書)などによると、試験は3年に1度で、儒教の書籍43万字を暗記した上で、作詩や作文の技能が求められた。地方での「郷試」、都での「会試」「殿試」を経て、数十万人の受験者が数百人に絞られる狭き門。「進士」と呼ばれる最終合格者は官僚として権力と財力を握り、その親族に至るまで栄華が約束された。

科挙と現代の大学入試を研究するアモイ大学教授の劉海峰(56)は「科挙は中国以外の国にも大きな影響を与えました」と話す。朝鮮では10世紀から1894年まで、ベトナムでは11世紀から1919年まで科挙と同じ制度が実施された。日本では8世紀ごろから一時期、形だけ導入された。欧州では科挙を紹介する17世紀の論文が残っており、英国は1855年に科挙も参考にした官僚登用試験を導入するなど、科挙は西欧にも一定の影響を与えた。

中国の科挙は西洋列強に侵食された清代末期の1904年を最後に廃止されたが、劉によれば、その長い歴史の中では、人物の品格や性格を知るために推薦や面接で選抜すべきだという議論も起きたのだという。「点数による公平性を求めるか、人物の全体像を評価するか。科挙の1300年の歴史の中で常に論争になってきた。そして、いま現在の選抜方法をどうするかにも通じる話なのです」と話す。

シンガポールに「落ちこぼれ」はいない

「It’s the End!」(もうおしまいだ!)。シンガポールの人々が、4年制中学を卒業した若者たちの通う国立の職業訓練学校「ITE」を、その頭文字とひっかけてからかう言葉だ。ジャスリナ・コール・ジャサル(17)も昨年、同校への入学が決まった時には同じ思いを抱いていた。

ITEのジャスリナ・コール・ジャサル=太田啓之撮影

「超学歴社会」とされるシンガポールでは、小学校卒業時の統一テストの成績で子供らがグループ分けされ、その後の進路がある程度決められてしまう。成績優秀者は中高一貫校で大学受験を目指す一方で、成績下位の子どもたちたちは中学卒業時の試験で挽回(ばんかい)しない限り、普通高校に進学する権利さえ与えられない。

ジャスリナは、卒業試験成績の最も悪い子らが行く「普通技術コース」の中学に入った。中学卒業時の成績もふるわず、自動的にITE進学が決まった。

「これからずっと希望のないつまらない人生が続くのね」。そんなジャスリナの憂鬱(ゆううつ)と劣等感は、ITEに足を踏み入れた時に一変した。

新築されたばかりの校舎は大学のキャンパスのように広大で、洗練された雰囲気だった。校内にはカフェ、美容室、雑貨店、眼鏡店など生徒らの運営する店が所狭しと並ぶ。何より驚いたのは、101種類もの職業カリキュラムの中から、コースを選択できることだった。

ジャスリナは、以前から関心があったアートや写真を学ぶコースを選択した。授業でも苦手な座学は3割ほどで、7割は実技。ITEは国内外の多くの企業と提携しており、自分の作品が商品として販売されることも夢ではない。「今は楽しいことばかり。目標はグラフィックデザイナーになることよ」

「落ちこぼれ」たちのやる気の秘密

中学を卒業した生徒のうち、ITEに進学するのは成績下位の約4分の1。だが、彼らの向学心は決して低くない。シンガポール出身の昭和女子大准教授シム・チュン・キャット(48)が、日本の成績下位高とITEの生徒同士を比較した研究によれば、「授業がおもしろい」と答えた生徒の割合は日本が約4割だったのに対し、ITEでは79%に達した。日本の生徒の勉強時間は1日平均30分だが、ITEの生徒は1時間40分。しかも、中学時に成績が低かった生徒ほど長時間勉強する傾向があった。

「落ちこぼれ」たちのやる気の秘密は就職率の高さだ。ITEを卒業して半年以内に約9割が定職に就くという。シムの調査によれば、ITEの生徒たちの92%が「学校の授業の中で、仕事についた時に役立つ知識や技術を身につけている」と考えている。

成績優秀者には、ITEよりも上位の実業学校(ポリテクニーク)や大学に進学する道が開かれていることも、生徒たちの意欲を後押ししている。

ITEの開校は1992年。当初は貧弱な施設だったが、2013年までに国内の3カ所に広大なキャンパスを新設。病院の救急医療室、ホテルの一室、航空機の整備工場など、実際の職場に限りなく近い環境で学べる設備を整えた。CEOのブルース・ポーによれば、教師たちは全員、3年以上の実務経験者だ。コースの種類とカリキュラム・定員は、労働市場の動向や企業のニーズに合わせて絶えず更新され、生徒に人気があっても「将来性がない」と判断されたコースは閉鎖される。社会のニーズに極めて敏感だからこそ、高い就職率を維持できているのだ。

冷徹なリアリズム

シンガポールは国家予算の4分の1を教育予算に費やす。ポーは「シンガポール政府は、自国に人材以外の資源がないことを知り抜いている。だからこそ、国民の最後の1人にまでお金を投資し、才能を発掘する」と話す。

そこにあるのは、人間の可能性を信じるヒューマニズムというよりも、「国民全員を国を支える資源として徹底活用する」という冷徹なリアリズムであるように見える。

子どもたちから、進路選択の自由を奪うことにはならないのか。そんな私の疑問に対し、ポーはこう答えた。「韓国の大学進学率は8割、台湾では9割にも達しているが、多くの卒業生は社会に出ても学歴を生かせず、不本意な仕事に就いていると聞く。受けた教育と労働市場のニーズが一致しないのは、本人にとっても社会にとっても不幸だ。それよりは社会に求められるスキルを身につけ、誇りを持って生きる方がよいのではないか。日本人はその辺をどう考えているんだい?」