ベランダの王様と私 日本にもドリアンブーム? 「くさいけど、病みつき」のナゾとは
マレー半島などが原産とされるドリアンは、濃厚な甘みが特徴で栄養価も高く、東南アジアで愛されてきた。一方、硫黄化合物の強烈なにおいから「悪魔の果物」の異名も持ち、ホテルや公共交通機関への持ち込みを禁じる国もある。このにおい、遠くにいるゾウやサルといった動物を招き寄せ、離れた場所に種を運ばせるためだという。
においを含めて病みつきになる人と、敬遠する人に分かれるのが一般的だが、なじみが薄い日本人には後者が多いだろう。
実は近年、日本の輸入量が増えている。財務省の貿易統計によると、およそ100トン台で推移していた生鮮のドリアンは2018年から年平均100トンを超えるペースで増え、2021年は577トン。その後も2024年まで400トン台をキープしている。
熱帯の果物を長く手がける「スターレーン」(東京都千代田区)営業部の平間健志さんは「マンゴーなどと比べると金額は小さいが、利益が見込める商材になってきた」と話す。同社は毎週100~130ケース(1ケース10~20キロ)のベトナム産ドリアンを輸入している。収穫後は日持ちしないので空輸だ。店頭価格は1玉6000~7000円と値が張る。
実はドリアン「ブーム」は2000年代初頭にもあったという。大手スーパーが販売に力を入れ、輸入も300トン台に達していた。だが、根付くには至らず、しぼんでいった。当時の日本人の味覚にはあわなかったらしい。一方、現在の輸入増を支えている主な購買層は、日本に住む外国人だ。「故郷の味を懐かしんで食べている」ベトナム人やフィリピン人のほか、中国人が多いという。
我が家のドリアンを買ったのも、横浜の中華街のスーパーだった。持ちやすいようネットに入ったドリアンが数個、段ボールの中に乱雑に並んでいた。メロンかパイナップルのような南国を思わせる独特の香り漂っているが、鼻を近づけると、この時点でも奥の方には「はっきり異なるもの」が存在していることが分かった。女性店員によると、買うのはほぼ中国人で、「初めてだと好き嫌いがわかれるけど、何回か食べると好きになる人が多い」という。
中国では一大ドリアンブームが起きている。地元の報道によると、もともと雲南省など南部地域では食べられていたが、産地の東南アジアと結ぶ鉄道網が整備され、全国に消費が拡大した。大手ピザチェーンがドリアンピザを販売するなど、目新しさも若者らを引きつけたという。ブームは一向に衰えを見せず、東南アジア諸国からの輸入が急増。ベトナムではコーヒーから転作する農家が相次ぎ、昨年はコーヒー豆値上がりの「犯人」としてドリアンが名指しされたほどだ。
女性店員に見繕ってほしいと頼むと、実入りや果皮を見て、「2~3日、風通しのよい場所に置いて」と、中型サイズを手渡された。税込み3991円。果物としてはやはりかなり高価だ。知人らとお金を出し合って購入して、「ドリアンパーティー」をする人たちも多いとか。
電車に乗ると伝えると、新聞紙で包み、レジ袋を二重にしてくれた。さらに持参のトートバッグに入れるVIP待遇で会社へ。数時間オフィスの片隅に置いていたら、においが強くなってきた。レジ袋の上にゴミ袋を追加し、家路に就いた。
今思えば愚かだが、ラッシュの時間帯に乗ってしまった。トロピカルな香りはどうしても抑えられないが、これは好ましいからいい。しかし、電車の空調の向きによって、わきの下の厳重警戒態勢のバッグから腐敗臭がほのかに、だが確実に立ちのぼってくる。手のひらに爪の痕がつくほど、バッグの口をギュッとにぎる。近くの人の反応が気になって仕方なく、尋常ではない汗が出てきた。「すみません、私、ドリアン持ってるんです」と言えればどんなに楽だろう、しかしそれこそ不審か。時間をこれほど長く感じたことはなかった。
食べ物のにおいには、好き嫌いがつきもの。日本なら、納豆やくさやが代表例だろう。異国の食材を受け入れることは、異文化理解にもつながるのではないか。ドリアン初心者も多かった中国でブームになったのなら、日本での可能性もありそうだ。実際、見逃せない動きもある。
7月下旬、どこまでも広い青空の下、サトウキビ畑の緑がまぶしい石垣島。鉄骨ハウスの中で約15本のドリアンの苗木が育っていた。「かをり果樹園」が2024年から「日本初の商業栽培」と銘打ち、取り組んでいる。まだ大人の腰の高さほどで、同社の清水玄さん(28)は「収穫できるようになるまで、5、6年かかると思います」。苗木は石垣島と緯度がほぼ同じ台湾のものだという。
同社はマレーシア産ドリアンの輸入も手がけている。最高級品種の「猫山王」は1玉1万円を超えるが、現地に駐在経験がある日本人がリピーターになり、売れ行きは好調。ドリアンを使ったアイスクリームも大阪・関西万博で販売しているという。
清水さんは、石垣での栽培の狙いを「さらに新鮮なドリアンを供給すること」と話す。輸入のマレーシア産ドリアンは現地で完熟させ、収穫から1週間以内に消費者に届くよう配送するが、通関や検疫に時間がかかる。「あと1、2日短縮できれば、最高の状態で食べてもらえる」という。
清水さんは「ドリアン=くさい」というイメージが根付いた理由について、「鮮度が落ちたものを食べていること。もう一つ、テレビなどで罰ゲームとしてドリアンを食べて笑いをとる、といったことが影響しているのでは」と話す。
国内での栽培は前例がほぼなく、冬場の気温の低さなど、障壁はある。実際、石垣島にある国立研究開発法人、国際農林水産業研究センターの熱帯・島嶼(とうしょ)研究拠点でも栽培していた時期があるが、今はハウス内に木が残るだけになっている。清水さんもその難しさは承知のうえで、足しげく石垣島に通い、小さな苗木の世話を続けている。「成功すれば、石垣島の農業にも貢献できると思います」
最後に、我が家の王様だ。持ち帰った翌8日朝、ベランダに出ると、果物売り場のにおいを3倍にしたくらいの勢いになっていた。近づくと、タマネギが腐ったようなにおいはするが、不思議とこちらはそれほど強くなっていない。ただ、食べ頃のサインとされる「お尻部分のヒビ割れ」がない。判断は難しいが、「待ち」と決めた。
9日早朝、いきなり10センチほどのヒビが入っていた。隙間からつやのある黄色い果肉がのぞく。軍手をはめ、解体にかかった。包丁を少し入れると、あとは手で割れる。念のためマスクをしていたが、外しても問題ない。ヒビからにおいが放出されたのだろうか。五つあった果肉を皿に取り、うち一つにスプーンを突き刺し、すくい取る。
思い切って口に入れた。まず、ねっとり。ところどころに繊維を感じる。カスタードクリームのような甘みが口中に広がる。肝心のにおいは、鼻で息をすると腐敗臭があるが、それを強い甘さが完全に圧倒する。ブランデーのような芳醇(ほうじゅん)さもある。
悪くないどころか、おいしい。怖がっていたのが、うそのようだ。
調べてみると、嗅覚(きゅうかく)と味覚は密接に関係している。においの感知は、外界から鼻へ入る経路のほか、のどの奥から鼻へ立ちのぼる経路がある。後者はヒト特有で、咀嚼(そしゃく)し、飲み込む行為と不可分。食べ物の「おいしさ」に強く影響するという。
ドリアンや納豆、くさやは、鼻先でにおうと不快でも、口に入れて素材の食感、甘みやうまみ、そしてにおいを総合して「おいしい」と感じれば、その快楽がまさる。経験を積み重ねることで、「くさいけど、病みつき」になるようだ。
ドリアンの虜(とりこ)になった植物学者の塚谷裕一さんによる『ドリアン 果物の王』(中公新書)によれば、おいしいと感じるためには、まず「当たり」のドリアンでなければならない。新鮮さだけでなく、品種による差も大きく、だからこそ、産地では、誰もが必死になっておいしいものを見極めようとするという。塚谷さんは、かつてマンゴーも、日本人の間で「くさい果物」扱いされていたという興味深いエピソードも紹介している。
ちなみに家族の間での評価は割れた。妻と中学生の長男は「おいしい」、小学生の次男は「僕は駄目だ」と距離を取った。個人差は確かにあるようだ。
何も分からず、店員お任せで買った初ドリアンが「当たり」だったという幸運はあった。ただ、ベランダで熟すのを待ったり、軍手をはめて解体したりする過程も、他の果物では味わえないワクワク感を与えてくれるものだった。短い期間だったが、「共生」はひとまず成功だった。