中華文明の起源を求めて 3千年前の「殷周革命」の謎に迫る 浮かび上がる平和の理念

李碩『翦商(商の滅亡)』は、夏・商(日本では「殷」と呼ばれる)・周王朝の遺跡発掘調査から夏の実在がほぼ実証されたことや出土甲骨卜辞(ぼくじ)の解読を活用し、約3000年前の殷周革命の謎に迫る、歴史推理小説の読後感を味わえる快著だ。
同書によると、商は夏の陶器や青銅器の作製技術を取り込んだ。治水工事によって華北平原の湿地改造を進め、稲栽培技術を導入し、巨大な倉庫を建設して食料備蓄を行った。都城を建設し、夏朝にはなかったとされる文字を発明。西方の遊牧騎馬民族の馬を家畜や戦闘用に採り入れ、馬車を開発普及させた。こうして商は異なる族群の優れた文化を移入し、中原の中華揺籃(ようらん)の地に独特の高度文明を建設した。
商朝では国王が取り仕切る重大な国事は、亀甲に刻んだ文字の卜占で決めた。上帝鬼神が人間界の運命を支配し、王のみが卜占を通して神意を知ることができるとされた。神霊には福祐(ふくゆう)を祈って犠牲を捧げる献祭があり、商朝中期から獣肉のほかに人肉を献じる「人牲」が行われ、その数は増えていった。
戦争で捕らえた敵部族を、一部は奴隷に、一部は献祭に充てた。献祭の方法は冷酷残忍で、食人の風習があり、人骨の骨器製作の専門用具まであった。敵部族とは西方の関中(かんちゅう)に居留した遊牧民の羌(きょう)人で、周族の祖先だ。周族はやがて他部族から人牲を捕らえて献じ、自族の犠牲を抑えようとした。周族の帰順が認められて周原に定住することになり、姫昌(後の周の文王)は商朝の紂(ちゅう)王の妹の夫となったが、紂王の疑心から捕縛された。
1976年、文王の居宅が発掘され、商王以外は作成が禁じられていた卜辞が刻まれた甲骨片が大量に発見、解読され、文王が7年間の監禁中に策謀をめぐらせた殷周革命が明らかになった。文王は亀卜を改め、今に伝わる卜筮(ぼくぜい)法「易」を考案。諸神に運命を委ねるのではなく、諸事物の因果の相互関連によって自然や人事の成り行きや吉凶を判断する発想である。
その後、紂王は文王を赦免し、文王の子、武王が「翦商」の密謀事業を継承。武王は太公望呂尚(りょしょう)の娘をめとり、信任厚い呂尚の知謀と弟周公旦の支援を得て、紀元前1046年、牧野の戦いで商朝を倒し、西周王朝が成立した。武王が没し、武王の子の若き成王を補佐する周公旦の治世になると、周公は商朝の暴政や貴族制に代わり、異民族融和策と封建制を敷いた。人牲の風習を廃し、道徳秩序を統治理念とした。青銅器の冶金(やきん)術や文字の発明と普及などで文明的には周に先んじていた商の中華文明を取り込みつつ再鋳造した精神革命こそが、殷周革命である。
周公の理想を学説に整理し統治原理として普及させようとしたのが儒家だ。創始者の孔子は、周代に伝わる古典を整理して「六経」編纂(へんさん)事業を手掛け、新たに「仁」という概念を立てて、礼楽を通した道徳の教義化を構想した。「六経」のうち「易」は「翦商」事業の秘録が記されていたが、孔子の時代は周公から500年が経過し、卦辞爻辞(かじこうじ)に隠されたコードは解読できないまま孔子は生涯を終えた。
『翦商』には書かれていない謎が残る。なぜ、周公は人牲の風習を封印しようと企てたのか。周族が献祭の犠牲になったことの屈辱、異族を人牲に差し出すことで延命を図らざるを得なかった暗黒史を闇に葬り、代わって人を殺さない、故なく人に殺されない、というドグマを人間社会にしみ込ませようとしたのではないか。この意味で、周公の道徳観念とそれを継承発展させた儒家思想には、平和の理想を人類社会に実現しようとしたエッセンスが宿っているように思う。『翦商』は中華五千年の文明の起源を通して、その現代的意義を我々に啓示してくれる。
3月の微信読書ランキングより
『 』内の書名は邦題(出版社)
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