韓国の今どきの「お葬式」 病院の横にあるコンビニを訪れる霊 庶民の暮らしを垣間見る
新人作家のファンタジー小説が、冬の最中から春にかけて人気を博している。チョ・ヒョンソンの『私の完璧なお葬式』。チョは大学卒業後に公務員として6年間働いたが、「燃え尽きて」退職後、作家に転身したという経歴の持ち主だ。
主人公のナヒは、総合病院の入り口にあるコンビニで働いている。高校卒業後、大学への進学資金をためるため、時給の高い深夜の時間帯を選んだ。真夜中、店に入ろうとせず、外に向いた小窓をたたく者がいる。街灯の明かりにも影ができないことから、死者の霊だとナヒは気づく。
実は幼いころナヒには、他人には見えない人が、自分にだけ見えることがあった。母は娘に、それを決して口外するなと諭した。母をがんで亡くして10年、ナヒは霊が見えることを忘れていたのだが。
韓国の大型病院には葬儀場が併設されており、遺体の安置から通夜、出棺までを執り行う。「葬礼指導者」が、遺族の喪服の準備や通夜のふるまいの手配、納棺の儀式や火葬場の手配、そして埋葬まで、一切を引き受けるのが、今どきのお葬式だ。
ある夜、中年の女性が「病院の裏手にある自分の家の窓を開けてくれ」と懇願する。初めは無視したナヒだが、あまりのしつこさに根負けし、教えられた家を探して窓を開けると、猫が飛び出してきた。不慮の事故で死んだその女性は、家に残された猫を気にかけていたと知った。
ナヒが猫を自宅に連れ帰り、面倒を見ることにしたと告げると、女性は安堵(あんど)の笑みを浮かべ、闇の中にたたずむ葬礼指導者に導かれて去っていった。見ず知らずの死者の助けになることができたナヒも、心満たされる思いがした。
小窓をたたく霊は、次々と訪れる。消毒薬と脱脂綿をくれと哀願する青年、会社の机の下にある包みを自宅に届けてほしいと頼む老人、自分の携帯電話を捜せと命じる生意気な高校生も。何のためかという説明はなく、霊はただ、切羽詰まった願いだけをナヒに告げる。
謎解きをするように奔走するナヒは、遺族らと出会い、死者の生き様や、この世に残した未練を知る。ささいな行き違いから、怨恨(えんこん)も生じる。どうしても伝えるべき言葉もある。生ある者は誰もが等しく、死への途上にあり、活気あふれた健康な人にも、死は突然訪れる。だから逝く者も残される者も、互いに心残りのないように、日頃からのつきあいを大切にしたい。
私事だが、筆者はここ1 年余りの間に、韓国の義父母を相次いで亡くしたもので、葬儀の様子が生々しくよみがえってきた。葬礼指導者の熟練した采配ぶりは、深く印象に残っている。
どの国でも葬儀には固有の伝統があり、それが継承されるものと思いきや、韓国の変化には目を見張るものがある。30年前、筆者の婚家の親戚の葬儀では、弔問客にふるまうごちそうの準備や片付けで、新入り嫁の私はてんてこ舞い。墓参や法事も大ごとだった。
しかし、夢にも思っていなかった未来が待っていた。土葬から火葬へ、喪服は白から黒へ、しきたり云々(うんぬん)を唱える気難しい大人もおらず、一同、葬礼指導者の号令に粛々と従って葬儀が進行した。出棺前夜、姑(しゅうとめ)の祭壇前に腰を下ろした筆者は、長年の嫁姑の確執を反芻(はんすう)する心の余裕すらあった。そういえば姑は昔、火葬は絶対にいやだと言っていたっけ、と思わず苦笑い。韓国語中級者でも読み進められる平易な表現で、今どきの庶民の暮らしぶりや、家庭の悩みを垣間見る楽しみ。さまよう霊を死出の旅路に導く葬礼指導者の正体が最後に明かされるまで、ページを繰る手が止まらない。
3月第4週
教保文庫(小説)
『 』内の書名は邦題(出版社)