アメリカの人気葬儀屋ユーチューバーが語る 人々が新しい葬法を求める理由、葬送の役割
アメリカで葬儀社を経営し、ユーチューブチャンネル「Ask a Mortician(教えて葬儀屋さん)」などで死や葬儀に関する情報を発信する、ケイトリン・ドーティさん(38)に聞きました。(聞き手・荒ちひろ)
――アメリカで合法化が進む「還元葬」や「水火葬」など、近年、「葬」のかたちに大きな変革が起きているように思います。なぜいま、変化が起きているのでしょうか
「死」はかつて、私たちのごく身近にありました。人々は自宅で亡くなり、家族が遺体を清め、地域の共同体が葬送を担った。ところが近代化とともに専門の職業人が現れ、やがて巨大な産業になりました。
アメリカで火葬が増えているのは、ライフスタイルの変化や宗教離れなどの要因もありますが、根っこにあるのは、葬儀業界が人々の求めているものを提供できていないからだと思います。
高額なエンバーミングや立派な棺に意味を見いだせないから、簡素で安い方法を選ぶ。アメリカの場合、それが火葬でした。日本のように一緒に火葬場に行き、骨揚げを行うような火葬ではありません。業者に任せ、届いた遺灰をクローゼットにしまう。あるいは散骨する。そこからは、「意味を持った体験」が抜け落ちています。
「伝統」の変化や新しい葬法は、その一種の反動。産業化や都市化が進み、テクノロジーに囲まれ、自然と切り離されてしまった人々の反応です。
――葬送の変化は、アメリカだけでなく世界各地でも起きています
以前、日本を訪ね、ICカードで操作できる自動式納骨堂やオンラインのバーチャル墓参りを取材しました。すべてがうまくいくかはわからないけれど、日本がどのようにして現代の問題を乗り越えようとしているのか、とても興味深く感じます。
アメリカで広がる還元葬や水火葬もまた、こうした問題を解決しようとする動きの一つ。
たとえ信じる宗教はなくても、何か大きな存在の一部であるという感覚を、人々は求めている。「穴に埋めてほしい」「遺灰は海にまいて」「土に還って木になりたい」──。背景は異なっても、死に際して、自然と深くつながりたいというのは、人類に共通する内なる欲求のように思います。命あるものはみな、いつかは死を迎える。死を見つめることは、人間もまた大きな自然の循環の一部だと確認することなのです。
――アメリカで還元葬を認める州が少しずつ増えていますね
2019年にワシントン州で初めて認められた還元葬は、昨年、ほかの州が続く上で重要なカリフォルニア、ニューヨークの両州でも合法化されました。ニューヨークで6州目です。正直、もっと時間がかかると思っていたし、わずか5年でここまで広がるとは思っていませんでした。
今後はテキサスなどより保守的な州で合法化されることで、さらに次の段階に進むでしょう。
――葬送と同じように宗教や生命に関する問題として、人工妊娠中絶をめぐっては、アメリカ社会は賛否が二分しています。還元葬の合法化をめぐって、同じように激しい議論が起きる可能性はないのでしょうか?
自分の死後の肉体をどうしたいかということは、「生命」そのものには関わらないので、比較的理解を得やすいでしょう。葬法をめぐる宗教的、文化的自由が守られるべきであるということは、広く理解されているのだと思います。
イスラム教徒に火葬を強制したり、正統派のユダヤ教徒にエンバーミングを強制したりしないのと同じで、新たな葬法が合法化されたからといって、望まない人に押しつけるものではありません。自分の死後の肉体をどうするかは、個人の選択の自由の問題ととらえられています。
ただ、合法化をすすめる上で「戦略」を変える必要はあるかもしれません。ワシントンやカリフォルニアといった比較的リベラルな州では、合法化に当たって「環境にやさしい」という面を押し出してきました。一方、テキサスなどの保守派が強い州では、より「選択の自由」という点を前面に出した方がいいと思います。
――日本でも還元葬や水火葬に関心を持つ人が出てくるのではないかと感じています。一方で、所管する厚生労働省に尋ねたところ、「『埋葬』は『土中に葬る』こと、『火葬』は『焼く』と法律に明記されており、想定外。まずは法的な整理が必要ではないか」とのことで、実現へのいくつものハードルがありそうです
まさに同じことが、アメリカでもありました。変革は行政や葬儀業界の中から出てきたのではなく、人々の要望から生まれ、広がって、法的な整備にいたりました。
葬儀屋として長く働いてきた経験から、この業界を動かすのは、とても時間がかかると実感しています。いま、新しい葬法を動かしているのは、還元葬を始めたリコンポーズ社のカトリーナ・スペードさんのような若い世代。私たちの両親、祖父母の世代は、変化を望まないかもしれないし、それはそれでいいのです。若い世代が、現状の葬法に「意味」を見いだせないのならば、変えていけばいい。統計的にいって、時間はたくさんあるわけですから。
――これから、「葬」のかたちはどこへ向かっていくのでしょう
死の瞬間から肉体がなくなるまでの限られた時間に、何を行うかは、悲しみを乗り越える上でも大きな役割を果たします。
例えば還元葬のために家族や友人らが集まり、棺を装置に納める行為は、土に還ることを望んだ故人の遺志を実現する瞬間でもある。「自宅で最後の時を過ごすことができた」「水火葬を選んでよかった」「大事な人の埋葬のために墓を掘った」……。葬儀屋の仕事を通して、そう話す人々をたくさん見てきました。
楽しんだり待ち望んだりするような類いのものではないけれど、それでも、大切な人のために何かできることがあって、それを実行するということは、とても意味のある行為です。
特にコロナ禍を経て、私たちは死や葬送の価値を改めて突きつけられました。葬儀に集まれなくなり、死者とお別れが出来なくなり、それがこんなにもつらいことだと気づかされたのです。
土葬でも火葬でも、還元葬でも天葬(鳥葬)でもいい。死と向き合い、肉体的な体験として関わること。それが、今を生き、いつか死ぬ、私たちすべてにとって重要なのです。