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「方丈記」に残された、京の大飢饉と高僧の供養 「災害と仏教」の関係を見る

World Now 更新日: 公開日:
仁和寺の鴨井智峯執行

人々が未曽有の大災害や疫病に襲われた時、日本の仏教はどう向き合ってきたのだろうか。鴨長明(1155~1216)が著した随筆集「方丈記」には京都・仁和寺の僧侶、隆暁(りゅうぎょう)法印(1135―1206)が多くの人を供養した様子が登場する。総本山仁和寺執行の鴨井智峯さん(61)に聞いた。(聞き手・構成 渡辺志帆)

――隆暁法印は、平安時代末期の養和の飢饉(ききん、1181~82)で行き倒れた数多くの餓死者の額に、梵字(ぼんじ)で「阿(あ)」の字を書いて回ったとあります。隆暁法印はどんな人だったのですか。

888年創建の仁和寺は、かつて京の都の東西2里(約8キロ)、南北1里(4キロ)の広大なエリアに多数の寺院が点在していました。隆暁法印は、その中の現在の仁和寺の南西にあった勝宝(しょうぼう)院という寺の3代目住職でした。真言宗総本山・東寺の「第2の長者」つまり副住職だったという記録もあるのでトップクラスの高僧だといえます。

――その高僧が、2カ月の間に、平安京の東半分で4万2300人もの死者に仏縁を結んだのですね。

自分も疫病にかかるかもしれない覚悟で、死臭の漂う京都の街を歩き、おそらくは地べたに座ったり、手を合わせたり、時には涙しながら死者の額に梵字を書いたと考えると、心ある人だったと思います。その姿を見た大衆が、何も思わないわけはなかったと思います。

――梵字の「阿」の字にはどんな意味がありますか。

「阿」は、密教で生命エネルギーの根源である大日如来を表す文字です。位牌(いはい)の一番上に書かれる字で、人は「阿字の子」、つまり仏の子として生まれてきて、死ぬとまた「阿字の古里(ふるさと)」、つまり仏のもとに返っていくと考えられていました。仏教の命のありようを表している文字です。

仁和寺の隆暁法印が登場する鴨長明『方丈記』の刊本=京都大学附属図書館所蔵

――密教が当時の人々を引きつけた理由はなんだったのでしょう。

ダイナミックさだと思います。弘法大師空海(774~835)が唐で学び持ち帰った密教は、現代の科学や医学のような当時の最先端の教えでした。それまでの仏像が穏やかなほほえみをたたえていたのが、憤怒の形相をした恐ろしい顔の不動明王が登場しました。「何が何でも人々を救済する」と訴えかける力強さは、飢餓や疫病にさいなまれた時代の要求だったでしょう。また空海はそれまでの日本になかった「即身成仏」を説きました。

――「即身成仏」とは何ですか。

この身このまま、現世で成仏できるという教えです。それまでの仏教は「三劫(ごう)成仏」を説き、誰もが成仏できるけれど、それには気の遠くなるような長い時間がかかるとされました。

「劫」は時間の単位です。では「1劫」とはどのくらいの時間を指すのでしょうか。いろいろな表現がありますが、二つのたとえを紹介しましょう。

大きな岩山があって、そこへ天女が100年に1度降りてきて、羽衣でその岩肌をさーっとなでて、また天に戻っていく。その岩山がちびてなくなったら1劫です。

別の例もあります。インドに牛が1日に歩く距離を表す「由旬(ゆじゅん)」というのがあります。諸説あるので、仮に12キロくらいとしましょう。縦、横、高さが由旬、つまり1辺が12キロの升をケシ粒で満杯にして、天女がケシ粒を100年に1回、1粒ずつ持って帰る。やがて升がからになったら1劫。「三劫」はそれを3回繰り返す途方もない時間です。お釈迦様も、何度も生まれ返り、死に返りしながら、とうとう悟りを開いたというわけです。ところが空海は、「現世で仏になれる」と説いたのです。

――成仏までの大幅な時間の短縮に、人々は驚いたでしょうね。

それまで「現世はつらいけれど、来世はきっと幸せになれる」と言われていたのが、「現世でも幸せになれる」と言われた人々は心の安らぎを感じたでしょう。空海は、灌漑(かんがい)事業など当時の最先端技術を示しながら説いたので、説得力もあったと思います。

仁和寺金堂で本尊に新型コロナによる物故者の慰霊と早期終息を祈願した後、拝観者に説法する鴨井執行=京都市右京区の仁和寺金堂

――仁和寺では春先から日に3回の新型コロナ法要を続けています。

世界中で多くの人が亡くなっているので、冥土での幸福と、感染した方が一日も早く回復すること、そしてコロナ禍が早く終息して日常生活を取り戻せるよう祈っています。お寺としては今も昔も祈り続けるしかありません。

新型コロナ禍がこのまま続けば葬儀の形態や人々の意識が変わり、亡くなった人とお別れもしない社会になるのではと危惧しています。かつては一人が亡くなると村を挙げて弔いました。十数軒の単位で「念仏講」や「大師講」という相互互助の組織があり、互いの仏壇を拝み合いました。「村八分」という言葉がありますが、付き合いを残す「二分」は火事と葬式です。今は葬式も付き合わないし、いつ亡くなったかもわからない社会になってきています。新型コロナでその流れに拍車がかかるかもしれません。

――仏教が果たす役割とは何ですか。

亡くなった人にお別れのできない社会では、人は穏やかな心で生きることができないと考えます。葬儀は単なるセレモニーではなく、亡くなった人を送り出す儀式です。様々なやり方や作法がありますが、それらは、人は生まれたら必ず死ぬこと、そして、会えば必ず別れがあることを、送る側が悟るための意味合いも込められています。その人の死を受け入れることができれば、「ありがとう」と感謝の心が芽生え、新たな気持ちで前に進めます。中には、突然の別れや理不尽な別れで「なぜ」「どうして」という気持ちのままの人もいます。仏教の教えにもとづいた言葉や表現を使いながら、感謝の気持ちになってもらえるよう導いていくことも、僧侶の大切な役目だと思います。

かもい・ちほう  1959年、愛媛県西条市生まれ。同県今治市の高龍寺住職。2018年より総本山仁和寺執行。真言宗御室派総務部長。

(方丈記の資料は京都大学貴重資料デジタルアーカイブより)