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カーニバルのようなお葬式を!5歳の言葉が躍る訃報

ニューヨークタイムズ 世界の話題
米アイオワシティーの病院でがんの治療を受けるギャレット・マシアス君=Emilie Matthias via AP。2018年7月6日に5歳で亡くなった
米アイオワシティーの病院でがんの治療を受けるギャレット・マシアス君=Emilie Matthias via AP。2018年7月6日に5歳で亡くなった

「悲しいお葬式はいや。カーニバルのように、にぎやかにして」。ギャレット・マシアス(5)は、自分の「その日」のことをこう話していた。

「ほしいのは、バウンシーハウス(訳注=空気で膨らます家の形の遊具)が五つ(だって、5歳なんだもん)。それから、バットマンとかき氷」

僕が死んだら?――「焼いて、それを木にして。そしたら、ゴリラになって、そこに住むんだ」
その後は?――「ゴリラになるでしょ。それで、うんちをパパに投げつけるんだ」

こんなやりとりを両親と何度も重ねていた。まれな小児がんを発症し、10カ月も闘った。

ギャレットが知らなかったのは、話した言葉がそのまま訃報(ふほう)となり、生き続けることだ。それは、多くの人の胸に届いた。

2017年8月、まだ4歳のときだった。幼稚園から帰ってきたギャレットの様子がおかしいのに、母親のエミリーが気づいた。「笑っても、顔の左側の筋肉がマヒしたように動かず、発作が起きた感じだった」

何人かの医師に診てもらったが、すべて顔面神経症の「ベルまひ」と言われた。しかし、一人は診断に時間をかけてくれた。翌9月、生体検査の結果、側頭骨と内耳が希少がんの横紋筋肉腫に侵されており、手術はできないと告げられた。

父親のライアンと姉のデルフィナを含む家族4人は、米アイオワ州バンメーターに住んでいた。ギャレットに専門的な治療を受けさせるため、一家はすぐに州内の大学都市アイオワシティーに移ることにした。54週間の化学療法と6週間の放射線治療が待ち受けていた。

肉腫は、まだ脳に移ってはいなかった。だから、いたずら好きの本領を存分に発揮した。

座るとおならのような音がするクッション。こっそりと白衣にはさんだ洗濯ばさみ。医師や看護師が、しょっちゅうお相手をさせられた様子を訃報は描いている。

「ワニちゃん、またね」と言われると、「またな、あばよ」と言い返した。

子供らしさと、治療に耐えるけなげさが入り交じる日々だった。

「一番好きなこと」という訃報の章には、こうある。

お姉ちゃんと遊ぶこと。僕のお人形の青いうさちゃん。ガンガン響くスラッシュメタル。レゴで何かをつくること。デイケアのお友だち。バットマン。点滴をする前に眠らせてくれるとき。

病院内では「パンツのギャレット」で通っていた。はくのが大嫌いだったからだ。ある日、プロのボクサーになると言い出した。リング名は、「偉大なパンツのギャレット」と決めていた。

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入院中のギャレット・マシアス君=Emilie Matthias via AP。医師や看護師にいたずらもする元気者で、「パンツのギャレット」の愛称で親しまれた

化学療法が、30週を過ぎたころだった。ギャレットは、頭痛を訴えるようになった。話すこともできないほど弱った。

肉腫が、側頭骨から脳の被膜に達するようになっていた。髄液にからむ機能を持つところだ。その時点で、治療が効かない状態になっているとの説明を病院側から受けた。

一家は、難病と闘う子供の夢を実現する支援財団の助けを借りて、南国のフロリダに旅行することを考えた。しかし、とても長旅に耐えられそうにはなく、行き先を隣接するネブラスカ州のオマハに変え、動物園に行った。18年6月のことだった。

「ゴリラがとても気に入って、心が通じているようだった」と母親は振り返る。

しかし、旅行を続けることはできなかった。午前中に動物園を訪れたが、その夜には歩けなくなった。肉腫が、脊髄(せきずい)に達したのだった。

翌7月の6日、息を引き取った。

生前、両親に語っていた大好きなスーパーヒーローたちが、「にぎやかなお葬式」のヒントを与えてくれた。バットマン、ソー、アイアンマン、ハルク、サイボーグ(訳注=米コミックなどの主人公)。その世界で、ギャレットを見送ることに決めた。

7月14日夜。ソーの故郷アスガルドの葬儀が再現される。映画「マイティ・ソー/ダーク・ワールド(原題=Thor: The Dark World)」の一シーンを模したものだ。

祖父フレッド・クルーガーは、長さ2フィート(60センチ強)の舟をつくり、ギャレットがお祭りで得た一枚の盾で飾った。それを、隣の池に浮かべ、そこに向けて火矢を放つという趣向だ。

もちろん、かき氷もバウンシーハウスもある。花火や綿あめもある。顔を塗りたくって、みんなで盛り上げる。

葬儀は、懸命に生きた人生を「祝う集い」とされた。痛みに見舞われても、決して生命力を失うことのなかった子をたたえたかった。

「遺灰は、最後に内輪で葬られる」と訃報には記されている。ただし、その前に宿題がある。それをどうゴリラが住める木にし、みんなで見守ることができるようにするのかという難問を両親は解かねばならない。

祖父は「にぎやかなお葬式」の日に、ギャレットが祖母と交わした会話を思い出していた。

「このがんは、いつ終わってくれるの」と聞かれ、祖母は答えられずに胸が張り裂けそうになった――「そう、それがこうして終わったんだ」。

その後、肉腫が脊髄に移り、動くことができなくなっても、見舞いにいくと、祖父のことを思いやってくれた。

「私をじっと見て、こう言うんだ。『おじいちゃん、このイスに座って。その方が楽だよ』って」
ギャレットの葬儀のために舟をつくることは、してあげられる最低限のことだった。

「できることなら、あの子の代わりになってあげたかった。でも、神は、そうさせてはくれなかった」(抄訳)

(Christina Caron)©2018 The New York Times

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