オーナーは毛塚幸雄さん。東京ドーム近くにあるロシア料理店「海燕」を経営し、自らシェフとして腕を振るっていた。
毛塚さんは関東出身。20代のころ本場ロシアで修行を積み、都内のレストランをへて約20年前、知人の店を引き継ぐ形で独立した。
常連客やスタッフからは「シェフ」などと呼ばれて親しまれていたが、経営的にはうまくいっているわけではなかった。
そんな状況が変わったのは6年ほど前。当時、アルバイトとして店に加わった瑠美さん(24)の存在が大きかった。
瑠美さんは店で働く前、別のスーパーマーケットでアルバイトをしていた。そこの常連客の一人が毛塚さんだった。2人はよく話すようになり、それがきっかけで瑠美さんは毛塚さんの店で働くようになった。
瑠美さんはディナーの接客担当として週に数回入っていたが、新規の客は少ないのが心配だった。毛塚さんは早朝の清掃バイトも掛け持ちしていたが、「閉店するしかないかも」と言い出すほど、収益は落ち込んでいた。
「大好きなお店のために力になりたい」。そんな思いから瑠美さんは2017年、Twitterで店のアカウントを開設。次のように投稿した。
「日本人シェフのおじいさんが1人で切り盛りしているロシアレストラン海燕です。わからないことだらけですが、皆様お店の宣伝にご協力ください」
日本シェフの👨🍳おじいさんが
— ロシア料理 🇷🇺🪆海燕(かいえん)7/9-12/26半年間限定でお店継続します! (@Russia__kaien) September 28, 2017
1人で切り盛りしている
ロシアレストラン海燕です
ちなみ私は大学生アルバイトです!
お客さまを1人でも増やすべく
インスタとTwitter作らせて
頂きました😩
わからないことだらけですが
皆様お店の宣伝にご協力ください📣 pic.twitter.com/YeDlrCAZuX
投稿から30分ほど経ったころ、スマホの通知が止まらなくなった。
「とっても美味しそうですね!」「ロシア料理好きなので食べに行きます!」
リツイートと「いいね」は、最終的に3万を超えた。日付が変わるころには、フォロワーは1万を突破した。翌日から予約の電話が鳴りやまず、店に行列ができるようになった。
店は「危機」を乗り越え、連日満席で大忙しになった。看板メニューのボルシチをひっきりなしに仕込むようになったため、ガス料金がはね上がった。「海燕さん、どこかガス漏れしていない?」とガス業者から心配されるほどだった。
一方で、瑠美さんは毛塚さんの接客が少し気がかりだった。客前であまり笑顔を見せず、無言でメニューを渡すなど誤解されそうな態度だった。初めて来店したお客さんの中にはいいイメージを持たない人もいた。
「実際に話したら、とっても素敵で陽気な人なのに」。瑠美さんは毛塚さんの人柄がもっと客に伝わってほしいと思い、キッチンで毛塚さんとの談笑を多めにした。
毛塚さんが忙しくて顔がこわばっていると、「シェフ、無愛想はダメだよ~、笑って~」と冗談っぽく言うこともあった。
瑠美さんの「プロデュース」はさらに続いた。
「料理だけじゃなくて、シェフの人柄、お店の雰囲気含め、海燕の全部を好きになってほしい。どんなに忙しくても、お客さんが帰る前は『ありがとうございました』って言おうよ」
遠慮せずにそう伝えると、毛塚さんは少しずつ変わり始めた。瑠美さんの声に合わせ、キッチンから「ありがとうございました」と言うようになった。「シェフ、笑顔が増えたね」。常連客の評判もよかった。
Twitter上でも毛塚さんの動画や写真は人気を集め、「シェフ可愛い」「アットホームな雰囲気」といったポジティブな感想が増えた。
「お客さんがこんなに喜んでくれているんだよ。ファンが増えて良かったね」。瑠美さんがそう言うと、毛塚さんは照れくさそうに笑った。
毛塚さんは大きく変わった。調理の途中でも包丁を置いて、自ら店外に出て「ダスビダーニャ!(また会いましょう)」と客に手を振るまでになった。
2019年。瑠美さんは就職を機にバイトを卒業した。それでも店には頻繁に顔を出し続けた。
その年の秋。「シェフが倒れた」と連絡が入った。検査で胃がんが発覚し、手術をした。
治療が一段落ついたころ、東京都では新型コロナウイルスの感染が広がり始めた。都の要請で、店は時短営業が続いた。
毛塚さんは声を出すこともままならないほど弱っていたが、「待っているお客さんがいるから」と、休みながらも厨房に立ち続けた。
7月2日夜。毛塚さんは自宅で静かに息を引き取った。73歳だった。
大好きなシェフへ👨🍳💓
— ロシア料理 🇷🇺🪆海燕(かいえん)7/9-12/26半年間限定でお店継続します! (@Russia__kaien) July 3, 2021
ゆっくり休んでね
天国では大好きなウォッカ
浴びるほど飲んでね😉🍾
美味しいご飯も沢山食べてね
シェフのご飯の味絶対わすれないよ
魚の捌き方教えてくれてありがとう
ほかのアルバイトだったら出来ないような素敵な経験を沢山させてくれて
ありがとうございました🙇♀️
るーさん pic.twitter.com/Lx86zKWtXJ
瑠美さんは翌日、仕事を終えて店に駆けつけると、一杯のボルシチが出てきた。前日、毛塚さんが次の日の営業のために作り置きしたものをスタッフが振る舞ってくれた。
スプーンで口に含むと、淡い酸味が広がり、毛塚さんの笑顔が頭に浮かんだ。
「もうシェフはいない」
涙がぽろぽろとこぼれ落ち、止まらなかった。鼻をすすりながら、最後の一滴まで飲みほした。
毛塚さんが亡くなったことをTwitterで報告すると、ユーザーから感謝と追悼のコメントが相次いだ。次の日、店の前には毛塚さんの「最後のボルシチ」を求める客が長蛇の列をつくった。
葬儀は、親族や店のスタッフら少人数で開いた。瑠美さんは「大好きなシェフへ」と書いた手紙とピンク色のガーベラを棺に入れた。花言葉は「感謝」。その2文字に思いの全てを込め、出棺を見送った。
瑠美さんは毛塚さんの変化に感心していた。
「もともと職人気質でシャイな人。『料理人は、料理の味だけで勝負!』っていう考えから、お客さんとのコミュニケーションも大切にする姿勢に変わった。50歳下のバイトから口出しされたら、普通は腹が立つと思うけど、素直に受け止めてくれた。進化するシェフの柔軟さを見て、改めて尊敬しました」
店は7月9日、ランチ限定で営業を再開した。人手が限られるため、瑠美さんも本業の合間に手伝っている。
店内には毛塚さんの遺影が飾られており、その前で思い出話をする常連客が後を絶たない。店のことや毛塚さんが亡くなったことを最近知って来店する人もいる。毛塚さんが亡くなってもなお、愛され、人を引きつけていることを、瑠美さんはほほえましく思っている。
店は12月末、閉店する。