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兄を助けるために生まれた「救世主ベビー」

World Now

英国ロンドンから列車で2時間の農村で電気関係の仕事をするジェイソン(43)と妻ミシェル(42)は「救世主きょうだい」をつくる道を選んだ。長男チャーリー(15)は、生後8週で、赤血球が作れない難病と診断された。命にかかわる重い病気だった。生まれたときから顔色が悪く、弱々しかった。

毎週のように病院に通い、輸血を受けた。毎晩、副作用を抑える注射が必要だった。有効な治療法は、骨髄移植。しかし、両親も、3歳下の妹エミリーも、移植に適した白血球の型ではなかった。

「僕のこと嫌いなの?」

チャーリーは毎晩、注射の時間になるとテーブルの下に隠れ、泣いた。

そんなとき、両親は、米国発の新聞記事を目にする。「米国人夫婦が、難病の娘のために、骨髄移植に適した子どもをつくった」。こう伝えていた。

自分の息子にも普通の生活を送らせてあげたい。主治医に相談したが、「無理。そんなこと、イギリスでできるわけがない」と断られた。

だが、二人はあきらめなかった。インターネットで協力してくれそうな医師を探しあてた。当時、英国では、重い遺伝性の病気を避ける場合に限って、遺伝子を調べる「着床前診断」が認められていた。体外受精卵の一部を採って遺伝子を調べて、異常がない受精卵だけを母親の体に戻す。両親は、この技術を使って、兄に移植できる型の受精卵を選んで妊娠したいと、英国の公的審査機関に申請した。しかし、認められなかった。

医師が提案した。

「イギリスでダメなら、アメリカでやりましょう」

多くの批判も


夫婦は米国行きを決断した。複数の体外受精卵をつくり、米国に送った。幸い、その中に移植に適した型の受精卵が見つかった。2002年秋、母親の体が妊娠に適した状態かチェック。その足で米国へ飛んだ。受精卵を母親の体に戻すとすぐに英国に戻った。無事に妊娠、2003年6月、次男ジェイミーが生まれた。

すぐに、ジェイミーのへその緒から血液を作り出す細胞が取り出され、翌年、チャーリーに移植された。

「チャーリーのほおは、だんだん赤みを増し食欲が出た」と母ミシェルは話す。

いま、思春期のチャーリーの楽しみは、友人たちとバンドを組んでギターを弾くことだ。朝晩、感染症予防の薬を1錠のむ以外は、友人と変わらない生活を送る。

「弟とは普通にけんかもするし、特別なことは感じない。だけど、大きくなったら、『弟にビールをおごらなきゃ』ってお父さんに言われているよ」と笑う。

今月、11歳になるジェイミーは「お兄ちゃんを助けたことは誇りに思っている」。

しかし、家族は多くの批判も浴びてきた。「あれでは、デザイナーベビーではないか」「子どもは部品じゃない」。新聞記事やラジオ番組では批判的な意見が相次ぎ、自宅には手紙も届いた。「デザイナーベビー」という言葉には、親の希望や都合で、商品のように子どもを設計するという批判的なニュアンスが込められている。

両親は強く否定する。「私たちはジェイミーの髪の色も性別も何もデザインしていない。移植という治療のために、白血球の型を選んだだけだ」

欧米では1990年代から着床前の遺伝子診断が本格化した。チャーリーとジェイミーの事例などを受けた激しい議論の末、英国ではその後、母親の年齢や患者の状態などを個別に審査することを条件に、「救世主きょうだい」に着床前診断を行うことが認められた。2009年以降で数人が誕生している。

近年、欧米では、着床前の遺伝子診断の対象が拡大している。英国では300種以上の遺伝性の病気に認められ、毎年、百人以上が生まれている。アルツハイマー病や、原因遺伝子がわかっている乳がんや神経のがんにまで広がる。

日本では、学会の指針により、筋ジストロフィーや習慣性流産など数種類の重い病気に限って、行われている。

一方で、倫理的な課題も突きつけている。この診断では、遺伝子の異常や型を調べて、母体に入れる受精卵と、廃棄する受精卵を選ぶことになる。このため、「生命の選別」「優生思想につながる」との批判も根強い。

ロンドンの遺伝カウンセラー、カレン・セージは言う。「英国の着床前遺伝子診断はすべて公的機関が認めたもの。指針でも若くして亡くなるなど、深刻なものに限っている。医学的、倫理的に十分検討した上で使うべきだ」

(竹石涼子)
(文中敬称略)

「天才遺伝子」を探れ

世界中から天才2000人を集めて知能を左右する遺伝子を探す──。米ニューメキシコ大准教授のジェフリー・ミラー(48)がこんな中国のプロジェクトを知ったのは2012年夏のことだ。

英エディンバラであった行動遺伝学の学会。知り合った大学教授から「協力してくれる『天才』を探している」という話を聞いた。この教授は中国に本社を置く世界最大級の遺伝子解析会社BGI社でプロジェクトを進める中心人物の一人だった。

この会社は1999年、ヒトの全遺伝情報(ゲノム)を解析する国際プロジェクトに中国が参加するに当たって設立された。当初は国の研究機関のメンバーが役員に入っていたが、2007年に民営化された。5000人のスタッフを抱え、遺伝子と病気との関係の分析などで欧米の一流科学誌に論文を次々と発表している。

ミラーの専門は、「進化心理学」。知能と遺伝の関係には関心があった。

プロジェクトのウェブサイトを見ると応募条件があった。米国の大学や大学院に進む適性試験で高得点▽数学や物理学の五輪で好成績▽物理学や数学、コンピューター科学で博士号を取得。具体的な点数も記載されていた。ミラーは条件を満たしていた。

同意書にサインをしてメールを送ると、遺伝子の解析に使う唾液を採るキットが送られてきた。唾液を送り、参加者の一人となった。プロジェクト事務局からは知能指数(IQ)も聞かれた。IQは、9割以上の人が70~130の範囲に入るが、ミラーは150だという。

人の知能は、環境や教育に大きく左右される。だが、一定の割合で遺伝が関与していることは、遺伝情報が同じ一卵性双生児を追跡した調査などで分かっている。ただ、数百以上の遺伝子が複雑に関係していると考えられ、実態はよく分かっていない。これまでも知能遺伝子を探す研究はあったが、「天才2000人」という大規模な研究は、前代未聞だ。

しかし、ミラーは「一人っ子政策」に代表される中国の人口政策や、生殖医療に対する考え方を調べるうちにある疑念を抱いた。「遺伝子に関する研究成果が胎児の知能を意図的に向上させる試みに使われるのではないか」

ノーベル賞受賞者の精子バンクからIQ180の天才児

カップルが体外受精をして、受精卵ごとに遺伝子の特徴を調べて、最も望ましい受精卵を選べる時代だ。将来、「天才」に関連する遺伝子が見つかれば、体外受精卵から最も知能指数が高くなりそうな1個を選ぶこともできる。

「もし数世代にわたって行われれば、中国人の平均IQは飛躍的に高まり、西側諸国の競争力にとって致命的な結果になるだろう」。ミラーは昨年、米オンライン文芸誌「エッジ(Edge)」に「中国の優生学」と題して投稿した。その一文が波紋を呼び、国際ニュース雑誌「バイス(VICE)」が「中国が遺伝子操作で天才赤ちゃん」とするミラーのインタビュー記事を載せた。

真相はどうなのか。

3月、中国BGI社の幹部が、東京大で開かれた遺伝子と医療に関する研究報告会で来日した。取材を申し込むと、研究を統括するディレクターの王俊(ワン・ジュン)は「欧米のメディアの取り上げ方は偏った見方だ」と強い口調で切り出した。「知能指数と遺伝子の関係を調べる研究で、人間の脳の働きや病気を理解するのに役立つ。天才やスーパーマンをつくるためのものじゃない。そもそも天才遺伝子なんて言い方が間違っている」

研究部門の責任者である徐訊(スー・スン)も「遺伝子の働きはそんなに単純ではない。スーパーマンなんて到底無理な話だ」ときっぱりと否定した。

天才児をつくりだす試みは過去にもあった。米国には1980年代から90年代にかけて実業家ロバート・グラハムが設立した「ノーベル賞受賞者の精子バンク」が存在した。その顚末(てんまつ)をつづった『ノーベル賞受賞者の精子バンク 天才の遺伝子は天才を生んだか』(早川書房)によれば、バンクから200人以上が生まれ、中にはIQ180の天才児もいた。

著者で米国のジャーナリストのデイヴィッド・プロッツは「今の親たちは、教育などを通じてより優れた子どもを育てようとしているが、機会が開ければ遺伝子改良に飛びつくだろう。科学の発展はいやおうなく進む」と指摘している。

知能や容姿、運動能力など親の希望をかなえる形で生まれてくる赤ちゃん「デザイナーベビー」。有償の精子バンクでは、身長、目や髪の色はもちろん、IQ、学歴、健康状態から提供者を選ぶことができる。米国では体外受精卵のDNAから性別を調べる「男女産み分け」を行うクリニックもある。

今年5月現在、BGI社の「天才遺伝子プロジェクト」への参加者募集は続いている。成果はまだ発表されていない。

プロジェクトに協力したミラーも解析結果を待っている。そしてこう言う。「中国が国としてやらなくても賢い子が欲しいという親の需要はある。どこかの会社がやるだろう。研究成果が公表されれば米国や日本の会社だってできる」

(行方史郎、竹石涼子)
(文中敬称略)

初の体外受精から36年、「命えらぶ」時代に

生殖医療_デザイナーベビー_4

生殖医療の歴史は、200年以上も前に英国で幕を開けた。女性の体内に器具で精子を注入する人工授精で赤ちゃんが生まれた。さらに世界を驚かせたのが、1978年、体外受精による女児の誕生だ。両親の精子と卵子を体の外に出し、受精させて母体に戻す。当時は「試験管ベビー」ともいわれた。

卵管が詰まったり、ふさがったりして不妊となった女性には朗報だった。一方で、「生殖という神の領域に踏み込むものだ」と強い批判も起き、世界的な論争に発展した。成功させた英ケンブリッジ大のロバート・エドワーズは2010年にノーベル医学生理学賞を受けたが、選考委員長は「不妊治療への貢献を評価した」としつつ、「いまだに倫理的な議論もあり、技術にお墨付きを与えたわけではない」と朝日新聞の取材に答えている。

生殖医療は人工授精と体外受精の技術を柱とし、精子・卵子提供や代理出産なども含む総称だ。不妊治療だけでなく、着床前診断で遺伝性の病気を避けるためにこの技術を使うこともある。

体外受精の成功は「命を選ぶ」時代の到来も意味した。成功率を上げるため、複数の受精卵をつくり、体外で育てて「元気の良さそうなもの」を選んで子宮に戻す。

時を同じくして遺伝子の解析技術が大きく進み、受精卵を染色体や遺伝子のレベルで詳しく調べて、女性の体内に入れる受精卵を選べるようになった。

日本は「生殖医療大国」

いまや体外受精をはじめとする生殖医療は一般的な治療になり、世界で500万人が誕生している。

生殖医療の進歩に伴い、課題も浮かび上がる。まず生まれてくる子どもたちの健康への影響だ。妊婦24万人を対象にした日本の調査では、人工授精や体外受精で生まれた子どもは、早産や超低体重で生まれるリスクが1.2~2.7倍、高くなる傾向があった。成人して生活習慣病になるリスクが高くなるとの研究もある。

倫理的な問題もある。第三者から匿名で精子や卵子の提供を受けた場合、子どもは自分の出自を知ることができない。英国やスウェーデンなど、子どもの福祉の視点から、精子提供に匿名を認めず、子どもの「出自を知る権利」を法律で保障する国もあるが、一部にとどまっている。

日本は、世界有数の「生殖医療大国」だ。2010年には2万8945人が体外受精で生まれた。累計で30万人を超えるとみられる。日本産科婦人科学会によると、体外受精は13年に約35万回(総治療周期数)になるとみられ、過去10年で3倍以上に増えそうだ。米国は約15万回、フランスが約8万回、ドイツが約7万回(いずれも10年)と、日本は突出している。血縁を重視する社会的背景に加え、不妊治療に欧米のような年齢や回数の制限がないことも理由とみられる。

日本には生殖医療を規制する法律がない。日本産科婦人科学会の指針で第三者による代理出産や卵子提供については認めないとしているが、これも法的拘束力がない。代理出産や卵子提供などを求めて海外に渡る日本人も後を絶たない。

自民党は昨年、検討チームを発足させ、法整備に向けて議論を始めた。ただ、代理出産や出自を知る権利をめぐってはチーム内でも賛否が分かれ、国会で成立する見通しはたっていない。

(竹石涼子、後藤絵里)
(文中敬称略)