メディアは彼の苦痛に終止符が打たれるまで1年以上、彼を「マリオ」として報じていた。彼は医師の幇助(ほうじょ)による自死で人生に幕を閉じようとしていた44歳のイタリア人の男性だ。12年前の交通事故で体が麻痺(まひ)し、自死を遂げるまでの過程で法的、官僚的、そして経済的な一連のハードルに直面した。
マリオは6月16日、フェデリコ・カルボーニという本名が初めて明かされ、イタリア中央部の港町セニガリアの自宅で人生を終え、この国初の合法的な幇助(ほうじょ)自死者になった。
未婚でトラック運転手だったカルボーニは家族や友人に見守られての死だった。そこには18カ月にわたって彼を支援した自死の権利擁護団体「ルカ・コシオーニ協会」の役員たちが付き添い、彼の死を発表した。
その日午後の記者会見で、協会の全国事務局長フィロメナ・ガロは、カルボーニが5月に書いた遺書の一部を読み上げた。
「人生を終えることを悔やんでいることは否定できない。そう言わないとすれば、間違っており、ウソをつくことになる。人生はすばらしく、一度きりしかないのだから」と遺書にはあった。「しかし、残念ながら仕方なかった」と続く。
ガロによると、カルボーニは健康状態が悪化しても闘い抜いた。「フェデリコはイタリアにおける自由な選択の権利を行使したいと願っており、自分の抵抗は権利であり、自由であり、すべての人が行使できるべきだと認識していた」と彼女は語った。
カルボーニの事案は、イタリアの法律における一連の矛盾と制約を浮き彫りにした。それは、生命倫理に重要な影響力を及ぼすローマカトリック教会の本拠地がある国で、死ぬ権利を擁護する活動家たちが何十年間にもわたって挑戦してきた問題である。
イタリアの裁判所の判決は、この国では一定の条件の下で幇助自死(安楽死)が許されると宣言しているが、それを明記した法律はない。カルボーニのケースに時間を要したのは、そのためだ。
可能であれば、末期患者のイタリア人はスイスに行って(合法的に)命を絶つことができるが、費用がかかるうえ、多くの場合は(スイスへの)移動が肉体的に難しい。
コシオーニ協会の会計担当マルコ・カッパートによると、2年前、カルボーニが初めて連絡してきた時、彼はスイスに行って人生を終わらせる計画だった。だが、イタリアにとどまることにしたのだ。「2年間の一徹さと決意」によって、カルボーニは「自発的な死のために医療援助を受けた最初のイタリア人」だと誇れるようになった、とカッパートは語った。
イタリア議会は2017年、終末期医療を決定する権利を成人に認める法律を可決した。この法律には、人工栄養、水分補給、人工呼吸などの救命および生命維持治療を拒否できる規定が含まれている。
イタリアの憲法裁判所による19年の画期的な判決で、自死幇助は一定の条件を満たせば犯罪とはみなされないとされた。
カッパートは17年、視覚と四肢に障がいがあり生命維持装置を付けた男性が自死幇助を提供するスイスのクリニックに行くのを手伝ったとして訴えられ、裁判所はその判断を求められた。カッパートはミラノの裁判所に最高12年の刑が科される自死教唆罪で起訴された。
憲法裁判所は、自死の援助を求める人が四つの条件を満たしていれば自死幇助は犯罪にならないケースもあるとの判断を下した。つまり、十分な意思能力があること、重度で耐え難い身体的または精神的な苦痛を生じさせる不治の病であること。また、生命維持治療で生かされていることも条件だ。
カッパートが支援した男性は「DJ Fabo」として知られるファビアノ・アントニアーニだが、彼は上記の条件を満たしていたため、カッパートの支援は罪にならなかった。
憲法裁判所はイタリア議会に対し、こうした原則を盛り込んだ法制化を要請し、議員はこの件を論議しているが、法律ができるまでは裁判所の判決に法的拘束力がある。
こうした前例があったのだが、カルボーニは医師による自死幇助を受けることに苦労した。カルボーニは医師や地域倫理委員会のメンバーの訪問を受けて、自分の身体や精神の状態を確認してもらい、最終的に憲法裁判所の判決に沿った自分の計画を認めてもらうために、居住地の保健当局に繰り返し裁判を起こすことを余儀なくされた。
ローマカトリック教会は、幇助自死や安楽死は「あらゆる事態や状況」において「本質的に悪」だとして強固に反対している。ローマ教皇フランシスコは、この立場を何度も繰り返し表明している。ただし、積極的な医療行為については、より微妙なニュアンスをにじませているが……。
政府や医療機関にさまざまな課題について進言する国家生命倫理委員会でさえ、数年前にこの問題を検討した際、コンセンサスを得られなかった。
憲法裁判所の判決に沿った幇助自死を認める法案は今年3月、下院で(議員630人の半数以上の投票で賛成を得て)可決され、現在は上院で審議されている。
法案は生命維持装置を受けていないがん患者のように幇助自死の前提となる4条件を満たしていない末期患者を差別している、とカッパートは話す。「オランダでは安楽死の60%以上が医療機器につながっていない末期のがん患者によるものだ」と彼は指摘し、「そうしたケースを幇助自死(の要件)から排除すれば3人に1人を差別することになる」と言うのだ。
法案を批判する人は、自死幇助を得るためだけの目的で、末期患者に気管切開などの処置を強いる可能性があると言っている。
そのうえ、法案成立には期限を設けていない。「わかりきったことだが、末期患者には常に待つ時間があるわけではない」。カッパートはこの6月、そう話した。
カルボーニは遺書の中で、家族や友人たちに悲しまないようにと伝えた。コシオーニ協会に対しては、こう書き残した。「私たちは闘うことで自らを防護し、自らを防護することで闘った。私たちは、法律上の道しるべを築き、この国の歴史に一コマを加えたのであり、あなたがたの側に立ったことを誇りに思い、光栄に思っている」
泣くな、とカルボーニは書き添えた。「私はようやく自由になり、好きな場所へ飛んでいける」(抄訳)
(Elisabetta Povoledo)©2022 The New York Times
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