2017年1月3日朝4時半、ワンダ・アーヴィングさん(当時63歳)は、初孫の誕生に胸を躍らせながら、娘のシャロンさん(当時36歳)を連れ、帝王切開が予定されていたジョージア州アトランタの病院へ車を走らせていた。日はまだ昇っておらず辺りは暗闇だったが、喜びに溢れるワンダさんの心はすでにたくさんの光に包まれていた。
「この世にある数少ないサプライズを大切にしたい」というシャロンさんは、お腹にいる子の性別をあえて知ろうとせず、生まれた時点で母親のワンダさんに男の子か女の子かを発表してもらうという大役を任せていた。男の子なら「パーカー」くん、女の子なら「ソレイユ」ちゃんという名前がすでに決まっていた。
「ソレイユに『ハロー』と言いましょう!」
ワンダさんが大声で叫んだのは同日午前7時6分。幼い頃から「夢はママになること」と言い続けたシャロンさんの夢が叶った瞬間だった。ワンダさんは娘と孫が一緒にいる姿を見て、人生で一番幸せな日だと感じた。フランス語で「太陽」を意味する「ソレイユ」ちゃんは、ワンダさんとシャロンさんにとってまさに太陽のようだった。
■退院5日後の異変
無事に出産を終えたシャロンさんが退院し5日ほど経った日のことだった。帝王切開の傷口に、痛みを伴うしこりのようなものができていた。すぐさま予約を取り、担当医の元に駆けつけると、「何でもないから心配の必要はない。しこりもそのうち自然になくなる」と言われ返された。
エレベーターに乗ると、シャロンさんと仲が良かった別の産婦人科医に偶然出会った。事情を話すと、その女医は自分のオフィスにシャロンさんを呼び寄せ、しこりに溜まっていた血塊を絞り出してくれた。
ワンダさんによれば、この時のシャロンさんの血圧が高かったことを心配した女医は、看護婦がシャロンさんの家を訪問しケアするように手配をし、わざわざ担当医にも連絡して状況を伝えた。だが、ワンダさんによれば、担当医は「体を休ませれば治る」と言い、高血圧も「恐らく間違った数値が出ただけだ」と話したという。当時の状況を説明するワンダさんの表情がみるみる険しくなった。「これが全ての始まりだった……」
その後、シャロンさんの体調はみるみる悪化した。傷口には新たなしこりができ、割れるような頭痛を訴えた。両足が膨れ上がり、いくら水を飲んでも排尿ができなくなっていた。
「5回も6回も担当医の元へ足を運んだが、何もしてくれなかった」とワンダさんは当時の様子を語りながら、憤った。「何かが絶対におかしい。自分の体は自分が一番知っているのだから」というシャロンさんのために、医者に問い合わせを続けたが、検査や処置が行われることは一向になかった。
ワンダさんは当時の苛立ちを振り返る。「医者は、『大丈夫だ』『出産したばかりだから様子をみよう』と繰り返すだけで、いくらこちらの状況を説明しても私たちの声が届かないように感じた」。ワンダさんによれば、診療記録には、シャロンさんが「適切に」回復しており、「高血圧は『本人が疼痛処理を怠っている』ことに関連している」と記載されていた。
「米国では、『黒人女性は白人女性よりも痛みに耐えられる』という誤った固定観念がある。高齢の白人男性の担当医はこのようなレンズを通してシャロンを見ていたのではないだろうか?こちらの言うことが全く伝わらず、まるで違う言語を話しているかのようだった」。ワンダさんは当時をこう振り返る。
シャロンさんの友人で、メリーランド州の産婦人科医、「プランド・ペアレントフッド」のチーフ・メディカル・ディレクターも務めるレーガン・マクドナルド・モスリー医師は、シャロンさんの診療記録の全てに目を通した。中でも極めて目立ったのは、担当医療チームがシャロンさんをリスクの高い患者として扱っていなかったという事実だった。
「年齢だけでなく高血圧の傾向を持っていたため、もともと特別な注意が払われるべき存在だったはずだ。基本的なリスク要素を持ち合わせる患者に、産後、高血圧の症状が見られ、自らも『何かがおかしい』と訴えたにも関わらず、断固として無視された様子が記録から伺える。彼女の訴えに誰も耳を傾けようとしなかった」
■「怒る黒人」のレッテル
ワンダさんは娘のシャロンさんの苦しみを目の前で見つつ、どうしてあげればいいのか途方に暮れていた。「もう一度医者のところへ戻るべきだ」と言い続ける一方、「この担当医の対応は明らかに何かがおかしい」と思う気持ちがどんどん強くなっていった。
数日後、シャロンさんとワンダさんは再び担当医のオフィスにいた。検査や処置が行われず、「まるで違う言語」で同じやり取りを繰り返す中、ワンダさんの憤りは頂点に達しようとしていた。そんなワンダさんの様子を察したシャロンさんはなだめるように言った。
「もし今ここで怒りを爆発させれば、単なる『怒った黒人女性』だと見られ、ますます私たちに耳を傾けてもらえなくなる。それどころかママが拘束されてしまう。今、私にはママが必要だから、どうか感情を抑えて」
ワンダさんはいう。「『怒る黒人』というレッテルを貼られ拘束されることは黒人の誰もが抱える『恐怖』だ」
■突然訪れた最期
2017年1月24日午後、体調がさらに悪化したシャロンさんを連れ、ワンダさんはまたもや担当医のオフィスへと足を運んだ。
長時間待たされた後、やっとナース・プラクティショナーが血圧を測りに来た。シャロンさんの血圧は「何かの間違いかもしれない」と、再度測定されたほどに上がっていた。足の腫れや頭痛など、自身の状況を切実に訴えるシャロンさんの足は誰が見てもわかるほどに大きく腫れ上がっていた。特に左足の膝が膨れ上がり、曲げることもできなくなっていた。
足の血栓と妊娠高血圧腎症の検査が行われたが、基準項目の症状の一つがシャロンさんに見られないという根拠に基づき、結果は「陰性」とされた。その後も「医者はとても忙しい」という理由でシャロンさんの前に姿を表すことはなかった。代わりに出てきた看護師は「もうすぐ治るから、少し待って様子を見ましょう」と言い、シャロンさんに高血圧用の処方箋を渡した。
ワンダさんはいう。「一度検査をしただけで全てが『異常なし』と判断されたが、明らかにシャロンの体には異常が起きていた」
これが最後の訪問になろうとは、ましてシャロンさんに残された命があとわずかに迫っていたとは、この時のワンダさんには想像もつかなかった。
帰宅したシャロンさんは自宅で突然心不全を起こし倒れ、同日訪れた病院へ救急車で運ばれた。車で7分先の病院に着く頃にはすでに酸素欠乏により意識不明になっていた。最後の医者の予約を終えてから、わずか6時間後のことだった。
ワンダさんはシャロンさんとの最後の会話を今でも鮮明に覚えている。よく一緒に旅行をしていた二人は、2月に計画していたドバイへの旅の話をしていた。シャロンさんの体調を心配して「行かない方がいいのでは?」というワンダさんに、シャロンさんは返した。「ソレイユに旅の経験をさせるという意味でも絶対に行く。私は大丈夫だから!」。ワンダさんが医師からシャロンさんの脳死宣告を受けたのは、それからわずか2日後だった。
数日後、ワンダさんのいとこが、偶然シャロンさんの机のファイルから一枚の紙を見つけた。「ママ、もし私の身に何かあったら、私は懸命にたたかう。でも希望が見出せない状況であれば、私を自由にして下さい」。それは2015年2月10日にシャロンさんが直筆で書いたメモだった。
これを読んだワンダさんは、2017年1月28日、シャロンさんの生命維持装置を外す決意をした。ソレイユちゃんが生まれて25日後のことだった。
■「あの時怒っていれば」残る後悔
シャロンさんがもともとかかっていた産婦人科の白人女医は、いつも親身にシャロンさんの懸念を聞き入れた。2人は友人に近い親しい関係を築いていた。「LGBTQ(性的少数者)の女医と黒人のシャロンは、お互いにマイノリティーということもあり、話や価値観が合ったのではないか」とワンダさんは推測する。
だが、シャロンさんは36歳という年齢のため、同時にハイリスクの妊婦を診る医者にも通う必要があった(米国では大抵の場合、高齢の妊婦は通常の産婦人科医とさらに専門的な知識や技術を持つハイリスク・ドクターの両方にかかるシステムがある)。さらに出産後のケアはハイリスク・ドクターに任されるため、シャロンさんは高齢の白人男性のハイリスク・ドクターの元へ連絡せざるをえなかった。そこで当初の産婦人科医とは真逆の経験をすることとなった。
ワンダさんは、シャロンさんの死が「不自然なものではない」と担当医から言われただけで、死因や経緯がきちんと説明されることはなく、司法解剖が行われることもなかったという。納得がいかないワンダさんは、他の医療機関に自分で4500ドル(約61万円)を払い、司法解剖を頼むことにした。
3ヶ月後に届いた解剖結果には、ワンダさんが疑った「妊娠高血圧腎症」という明確な文字はなく、「過度の緊張による心臓へのダメージが見られ、これが高血圧の合併症による死につながった」と書かれていた。
マクドナルド・モスリー医師は、「早期に適切な処置が行われていればシャロンさんの命は救われたはずだ」と指摘する。「特に高血圧が続き、本人だけでなく、自宅に訪問した看護婦も状況を担当医に伝えていたのだから。そこで直ちに入院させ精密検査をするチャンスが明らかに逃されている」
ワンダさんは今でも悲しみと罪悪感と後悔の狭間で揺れ動く。「(自分がたとえ拘束されたとしても)大声で怒りをあわらにすべきだったかもしれない。『恐怖』を捨て、『怒る黒人』になっていたら、違う結果になっていたかもしれない……」(つづく)