中国での暮らしにお茶は欠かせない。
外出時に持ち歩き、タクシーやバスの運転席にも備えられている保温瓶の中身は、多くは茶葉入りの熱々のお茶である。最近はペットボトル入りのお茶も普及してきたが、それ以外で冷茶を飲むことはない。
北京に住んで2年。茶は単に飲食だけでなく、文人風の応酬に不可欠な交際の手段でもある。
友人から贈られた新茶の封を開けて馥郁(ふくいく)とした香りを楽しむ。第一煎の渋みや苦みのあと、茶杯を重ねるごとに爽やかな甘みが口腔に広がる。
『喫茶趣』の著者楊多傑は3万人の茶の愛好家が集うサロン「多聊茶」の主宰者で、中華飲食文化の案内役としてテレビ・ラジオ番組のメインキャスターを務める。
中国茶関連では唐の陸羽『茶経』の解説書『茶経新解』、唐代の主な茶詩を解説した『茶の味』、中国茶の品種を考証した『中国名茶譜』などの著書がある。
伝統的な「名物考証」のスタイルで、文献を博捜し物・名・意味を考証し比定していく。
新著『喫茶趣』では物産の観点から茶葉の品種分類に焦点を当てた。
その探求心は茶葉の製法・風味・分類・歴史など多岐にわたり、アプローチも茶樹の実地調査、農学的探究、産業論と複合的だ。とはいえ筆致は読者目線に立ち、自由闊達(かったつ)で平易だ。
茶葉研究開発の実験室や茶摘み現場、製茶工場を訪ねて聴き取り、文献資料と照合して実態に迫る。
銘茶生産地は多くが深山幽谷にあり、出向くにも危険が伴う。とりわけ群生でない「単叢茶樹」、管理栽培できない「野茶」は難度が高い。
正山小種の製茶地は武夷山中の粗末な小屋で、特有な気候と、立ち入り禁止の保護地にあってこその独特な松煙香だと体感する。
最高級の冰島普洱(ピンタオ・プーアル)の産地を求めては、細い山道で海抜1700メートルの雲南の山奥に分け入る。
茶葉の特定には茶樹のDNAなど農学的エビデンスが必須だ。
雲南省の景谷大白茶の古樹が107本あったとの調査報告を現場検証し、鳳凰山で樹齢400年の宋種の古樹が2016年に枯れたとの情報をもとに現地で枯れ木を探し当てる。
農学者を訪ね、製茶の工程と、茶のうまみの化学分析を紹介する。
正山小種は、たまたま駐軍した兵士たちが茶包の上で昼寝をしたところ、兵士の体温と湿気で茶葉が発酵して今の味になったという。
各地の飲茶習慣からは茶の品種・名称・飲茶法の歴史的変遷をたどっていく。
北京で花茶が好まれるのは、清朝で茉莉花(ジャスミン)の香りの嗅ぎたばこが流行し、花を茶に加えるようになったからだという。
産業論では近代以降の緑茶・紅茶・烏龍(ウーロン)茶・白茶の占有率の変化をたどる。
1960年代以降、紅茶から緑茶へ、今世紀は烏龍茶全盛期となった。
茶商は消費者の好みに合わせて茶葉をカスタマイズする。
多彩な品種があった武夷山で1980年代以降、肉桂茶が突出して市場価値を高め、いまや8割を占めるようになったのは、消費者のブランド志向によるものだ。
中国に習慣がなかった普洱のティーバッグを開発し普及させたのは、日本への輸出戦略だったという。
岡倉天心は『茶の本』で茶文化の起源を自由奔放な道教と、潔癖で厳格な禅宗に求め、中国茶芸は前者の、日本茶道は後者の系統が強いとした。
いま、茶道はお点前を競う堅苦しいものになったが、中国の茶館では心静かに閑適を楽しむ道教的境地が堪能できる。
その妙味は日本のわびしげな居酒屋での飲酒に通じる。
憂さ晴らしの刹那(せつな)的な酒ではない。
時空を超えて精神を飛翔(ひしょう)させてくれるカウンターでの独酌だ。
中国のベストセラー
9月期シシフォス書店より
『 』内の書名は邦題(出版社)
1 越過人生的刀鋒:金庸女子図鑑
六神磊磊
人生の刃を越えて:金庸の女子図鑑
武侠小説の名手、金庸の小説に出てくる35人の女子のキャラクターイメージをその人生や性格などから徹底分析。
2 王家衛訪談録
李恵銘 李沛然
ウォン・カーウァイ・インタビュー
数々の香港映画の名作を生んだ名監督への作品論を中心とするインタビュー20選。
3 我愛這残損的世界
海桑
我この損なわれし世界を愛す
詩人海桑の最新詩百余編を収録。
4 孤島上的小旅館
費徳麗卡・布魯尼尼
孤島の小さなホテル フェデリカ・ブルニニ
1日5人の客しか泊まれないホテルで織りなされる人生秘話。
5 喫茶趣:中国名茶録
楊多傑
喫茶の楽しみ:中国名茶録
緑茶・黄白茶・烏龍・紅茶・普洱・黒茶・花茶の7大分類のなかを、さらに茶葉の品種によって細分化した中国茶博物誌。
6 三案始末
温功義
三つの事件のいきさつ
明代末期の三つの事件の真相と裁きを通して、朝廷と人民との間の社会生態を描き出す。
7 元素的盛宴 『スプーンと元素周期表』(早川書房)
山姆・基恩 サム・キーン
元素周期表はいかにできたか。科学者たちの真実追求に隠された物語。
8 文明的両端
何懐宏
文明の両端
西洋文明と中華文明で宇宙・自然・生命と人類の文明はどう思考され記述されてきたのか。
9 人類之旅:財富与不平等的起源
奥戴徳・蓋勒
人類の旅:富と不平等の起源 オデッド・ガロア
社会進化と経済発展からみた人類史。
10 走出心無力
林音
無力感の空洞から飛び出し現実と向き合うための心理学指南。