──2016年3月に韓国にやって来たローパオ(楽宝)、アイパオ(愛宝)から生まれたフーパオは、中国との契約に従って3歳を過ぎて中国に戻ってからも人気が続いています。
韓国でもコロナ禍で2020年初めから外出しづらく、人にも会えない日々が続きました。その夏に生まれたフーパオをSNSを通じて紹介することを社内で提案したところ、採用されました。韓国で初めて生まれたパンダの赤ちゃんの成長過程や生態を多くの人に理解してほしいと思ったんです。
自宅にこもって憂鬱(ゆううつ)な気持ちになっているとき、パンダの動画は気軽に楽しめて、なごめる。かわいい動物としてアップするだけではなく、私は「じいじ」として、ほかの飼育員も家族のような役割で接することでファンもその一員のような気持ちになってもらいたかった。我々飼育員とフーパオとの関係が本物の家族として支え合っているように見えたからこそ、人気が出たのだと思います。
母パンダから独立しなければならないときを迎え、体も大きくなると飼育員との距離も変わってくる。いろんな思いを抱えて並んで座っていたとき、フーパオが私の肩にぽんと手を置いた。驚いて目を見ると、「自分はうまくやれるから、おじいちゃん、心配しなくていいよ」と言っているような気持ちになった瞬間がありました。私はフーパオに話しかけるのが好きでした。もちろん答えてはくれないんですけど、声を聞いたような気分になることがあった。
ファンの方々からもたくさんお手紙をもらいました。不眠症やうつが気にならなくなった、自殺衝動が消えた、フーパオの姿に励まされて勉強が進むようになった、新しい生きる希望を得た……。担当飼育員として、責任感を持ち、もっと多くの人に良い影響を与えることができるように頑張ろうと思いました。
──ファンの方々が、中国へ旅立ったフーパオが元気がないと心配し、中国に対して情報公開を求めてデモをしたり、ニューヨークの電光掲示板に意見広告を出したりした話には驚きました。
ファンの皆さんの気持ちはよくわかります。エバーランドでずっと過ごしていたフーパオにとって初めて続きでした。車に乗って空港に行き、飛行機で四川省へ。検疫もあった。緊張が続き、憂鬱に見えた時期があったかもしれない。ちょうど偽妊娠の兆候があり、食べて寝てばかりの時期でもありました。
日本ではずっと前からパンダが人気で、赤ちゃん誕生も別れも何度も経験しています。韓国はあらゆることが初めてなんです。フーパオのことを、自分の家に生まれた初めての赤ちゃんとして喜び、愛してくれた。
別れるときも非常に悲しく感じ、エバーランドを訪れて涙で見送る方がたくさんいました。「別れは笑顔で」とファンに呼びかけてきた私も、この子の旅立ちはつらくて悲しかった。でも、飼育のプロとして担当が変わったり死んでしまったり、動物と別れる訓練を積み重ねてきたはずです。一緒にいるときに最善を尽くしたと自分に言い聞かせました。フーパオに続いて生まれた双子の姉妹が旅立つときは、ファンも私も、もう少し淡々と見送ることができるかもしれません。
──パンダは人気者のうえ、中国は「国宝」と位置づけています。プレッシャーはありませんでしたか。
正直言ってプレッシャーは強かった。この子に何かあったらどうしよう、と。周囲の期待が大きくなればなるほど、プレッシャーも強くなりましたが、その期待に対してて真心でベストを尽くそうというモチベーションも高まりました。担当する動物をもっとも輝かせるのが仕事だと思っています。
──エバーランドのパンダの名前はすべて「宝」が一文字入るので、宝ファミリーと呼ばれていますね。フーパオと双子の姉妹は「宝家の三姉妹」とも。
人間とペットの関係も変わってきている。家族の一員のようになっている。ただ、擬人化しすぎて、人間に良いことが動物にも良いと勘違いしてしまう方もいる。飼育員として、動物の習性や性向を守ってやることが大事。それを知ってもらうのも役割だと考えています。
──パンダは中国にだけ生息し、所有権も中国。個体数も飛び抜けていて情報も集中しています。飼育や獣舎のガイドラインも中国が作っています。そういう特別な動物でもあり、やりにくくはありませんか。
その考えには同意しません。もちろん、パンダのことを全く知らないときは中国へ行き、動物や飼育技術を学ばなくてはならない。それを下地に、韓国に来たパンダに対しては、それぞれの個体に合った最適な育て方を独自に考える。中国式、日本式、韓国式のどれがいいのか、というよりも、目の前にいるパンダに適した環境を考える。
動物はマニュアル通りにはいかないものです。餌にしても、竹を食べることは変わらないけど、どういう食べ方をするか。大人になるまでにどういう経験や訓練をするか。どんな空間を与えるか。おもちゃひとつとっても、選択肢はたくさんあります。エバーランドにはパンダ担当は3人、その補助が3人います。目の前の個体と直接向き合っている我々チームが決めていく。動物の幸福感を高めるには、飼育員としてどうしたらよいか。これを常に考えることが大事だと後輩にも伝えています。
──エバーランドには1994年から4年間、韓国はじめてのパンダのつがいがいました。アジア通貨危機による外貨不足で期限前に中国に返しました。カンさんは当時も担当でしたね。
悲しかった。別れるとき、似たパンダをいつか連れてくると誓った。2016年に訪中したとき、再会したのです。名前を呼ぶと覚えていてくれていました。うれしかったです。
──カンさんはずっとパンダ担当なのですか。
飼育員になって37年のうち、パンダ担当は12年です。最初は数年やって辞め、牧場でも開こうかなと思っていました。でも、母親とうまくいかないヒョウの赤ちゃんを育てた経験を通じて、やりがいを感じるようになりました。
就職した当初は、飼育員はそれほど尊敬される職業じゃなかった。それがフーパオの存在もあり、貴重な仕事だと理解されるようになりました。自尊感もわきましたし、何より亡き母がよろこんでくれました。生前、私が車イスを押してパンダを見てもらいました。パンダファンが私に応援の声をかけるようすを見て、母はとてもうれしそうだったんです。
──フーパオを中国に返す直前、お母様が亡くなったそうですね。
はい。家族みんな、私は予定通りフーパオに同行したほうがいい、母もその方が喜ぶと言ってくれた。私もそう思いましたので、そのまま任務をやりとげました。
私はもともと内気な性格で、変えたいとずっと思ってきたのです。フーパオが有名になり、話す機会も増えて変わった面があります。フーパオとファンとのつながりを見ながら、飼育員と動物との間に生まれた関係が人を変えることもある、そんな価値ある仕事だとも実感しました。喜びを見つけたり、元気を出したりする人がいらっしゃる。このまま、パンダ担当を続けたいと思います。