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パンダがつないだ国と人 民間交流やビジネスを後押し 日本の聖地・和歌山の期待とは

World Now 更新日: 公開日:
アドベンチャーワールドのユイヒン=2024年12月1日、和歌山県白浜町、荒ちひろ撮影
アドベンチャーワールドのユイヒン=2024年12月1日、和歌山県白浜町、荒ちひろ撮影

1972年に初めてパンダが来日して以来、日本でパンダは広く愛されてきました。上野生まれのシャンシャンが暮らす中国の保護研究センターには、海を越えて日本から訪れるファンが絶えません。中国以外で最も繁殖に成功している和歌山県白浜町のアドベンチャーワールドでは、中国との共同研究が30年の節目を迎えました。パンダがもたらしてきた人や国のつながりとは――。
アドベンチャーワールドの人気者パンダたち、結浜と楓浜=GLOBE編集部作成

「軍政軍民魚水情深(軍と政治、軍と人民は魚と水のように関係が深い)」。中国共産党の赤いスローガンと、パンダのかわいいイラストが山肌に同居してかかれている。深い緑のくねくね道を行くと中国ジャイアントパンダ保護研究センター雅安碧峰峡基地に着く。

同じ四川でも省都・成都の基地とは趣が異なる。成都は大規模な展示施設や産室と呼ばれる最新鋭の繁殖施設に加えて、巨大なタケノコ形の展望台、レストラン街、土産物店や映画館まで新設されて観光の拠点でもある。雅安は静かだ。ひんやりとした峡谷に沿う森の中にパンダのすまいが点在する。

竹が覆う坂道を行くと、人だかりが絶えないパンダがいる。

中国ジャイアントパンダ保護研究センター雅安碧峰峡基地に暮らす日本生まれのシャンシャンの展示施設前。日本からのファンが大勢いた=中国・四川省、吉岡桂子撮影
中国ジャイアントパンダ保護研究センター雅安碧峰峡基地に暮らす日本生まれのシャンシャンの展示施設前。日本からのファンが大勢いた=2024年11月24日、中国・四川省、吉岡桂子撮影

シャンシャン(香香)だ。上野動物園で生まれ、2023年2月に5歳で中国へ来た。私(吉岡)は2024年9月と11月に訪ねた。「5回来た」「来たら1週間以上通う」。シャンシャンの前には日本から来たファンが10人以上いた。女性がほとんど。写真を撮る際、獣舎のガラスに姿が写り込まないように、みんな黒い服を着ている。基地内にある小さな土産物店にはシャンシャンの本や絵はがきが並ぶ。

日本生まれのシャンシャンは現在、中国のパンダ保護研究センターで暮らしている=2024年11月24日、雅安碧峰峡基地、吉岡桂子撮影
日本生まれのシャンシャンは現在、中国のパンダ保護研究センターで暮らしている=2024年11月24日、雅安碧峰峡基地、吉岡桂子撮影

両親のリーリー(中国名ビーリー〈比力〉)、シンシン(同シィエンニュ〈仙女〉)も、雅安にいた。13年に及ぶ上野生活を経て帰国、2024年12月に公開された。リーリーは25年1月、別の基地(中国ジャイアントパンダ保護研究センター臥竜神樹坪基地)へ移ったが、上野一家が四川省へ集い、日本人客はいっそう増えそうだ。

米国ワシントン生まれのペイペイ(貝貝)を見つけた。「愛国者ペイペイ!」。中国のツアー客の男性が叫ぶ。「こっちの竹は、うまいだろう。戻ってきて良かったな」と冷やかしている。ペイペイは知らん顔。バリバリと音を立ててほおばる。シャンシャンの獣舎には音をさえぎるためにガラスがあったが、ペイペイら他のパンダの所にはない。成都のスター、ホワホワにもなかった。騒々しさを嫌うシャンシャンへの特別な配慮だと語られている。

日本とパンダの「特別な関係」

上野動物園のパンダの一般公開を前に、徹夜で待つ人たち=1972年11月、東京都台東区、朝日新聞社
上野動物園のパンダの一般公開を前に、徹夜で待つ人たち=1972年11月、東京都台東区、朝日新聞社

日本とパンダ。特別な関係だ。国交正常化を記念して1972年に中国から日本へやってきたカンカン(康康)、ランラン(蘭蘭)以来、日中関係の風雨をものともせずに人気は続く。国内の複数の動物園にパンダがいるのは、中国を除けば日本と米国だけである。

中国以外で最もパンダの繁殖に成功した施設があるのも、日本だ。紀伊半島の南、和歌山県白浜町にあるアドベンチャーワールド。1994年、パンダのブリーディングローン制度として初めて中国からオスのエイメイ(永明)とメスのヨウヒン(蓉浜)が来園した。これまでに12回の出産と17頭の育成に成功。同園生まれのパンダの名前に浜の字が入ることから「浜家(はまけ)」の愛称で呼ばれている。

竹を食べるエイメイ=2018年6月、和歌山県白浜町のアドベンチャーワールド、朝日新聞社
竹を食べるエイメイ=2018年6月、和歌山県白浜町のアドベンチャーワールド、朝日新聞社

2024年12月には、日本と中国が協力して進めてきたパンダの繁殖研究30周年を記念したシンポジウムが園内で開かれた。会場は、パンダグッズを身につけ、カメラを手にしたファンでいっぱいに。歴代の浜家の映像が流れると、涙ぐむ人もいた。

当初から共同研究に携わってきた獣医師で副園長の中尾建子さんも登壇し、いずれも世界初の、冬の出産や、飼育下での母親による双子の子育てなど、同園での事例を紹介。2018年に生まれたサイヒン(彩浜)は体重が75グラムしかなく、生存が危ぶまれたが、さらに小さく生まれたパンダを育て上げた経験のある中国の研究者らの知見を得ながら、無事命をつないだといい、「中国の経験と彼らとの連携がなかったら成功しなかった」と強調した。

日中の共同研究30周年を記念したシンポジウムに登壇したアドベンチャーワールドの中尾建子副園長=2024年12月1日、和歌山県白浜町、荒ちひろ撮影
日中の共同研究30周年を記念したシンポジウムに登壇したアドベンチャーワールドの中尾建子副園長=2024年12月1日、和歌山県白浜町、荒ちひろ撮影

ちょうど同じ週末には、中国の観光代表処や日本の旅行会社と共同で初めて企画した成都への観光ツアーが出発していた。アドベンチャーワールドのスタッフと一緒に、中国に帰った浜家のパンダたちに会いに行こうという旅程だ。

シンポジウムを前に町内で開かれた記念式典には、中国側から成都のパンダ基地の関係者や動物園協会のトップの姿もあった。日中双方の総領事も駆けつけ、「パンダは人間の外交官も到底かなわない、両国を結ぶ大変優秀な外交使節。2人の総領事が言うのだから間違いない」と、四川省を管轄する在重慶日本総領事の高田真里氏があいさつすると、会場は笑いに包まれた。

日中の共同研究30周年の記念式典には中国からも多くの来賓が参加していた=2024年11月30日、和歌山県白浜町、荒ちひろ撮影
日中の共同研究30周年の記念式典には中国からも多くの来賓が参加していた=2024年11月30日、和歌山県白浜町、荒ちひろ撮影

人口2万人、温泉を筆頭に観光業を主軸とする白浜町に限らず、和歌山全県にとってパンダは特別な存在だ。和歌山を地盤とする自民党元幹事長で日中友好議員連盟会長を務めてきた二階俊博氏も、パンダ交流を後押しする。パンダへの期待は、民間交流とビジネス、そして政治が混然一体としている。

「日本のパンダの聖地は和歌山だと知っていただき、多くの方に和歌山を訪れてほしい」。そう話すのは、知事の岸本周平氏だ。

2024年7月、友好提携を結ぶ四川省を訪問。成都の基地トップと会い、高齢で中国に戻ったエイメイの後任となるオスの派遣を訴えた。中国嫌いが少なくない日本社会で「親中派」とみなされると、政治的にマイナスにならないのだろうか。「隣国ですから。互いに知り合い、安定した関係が重要です。国家間はいろんな問題を抱えていても民間交流を絶やしてはならない。パンダはそのきっかけになる」

和歌山県の岸本周平知事=2024年12月、荒ちひろ撮影
和歌山県の岸本周平知事=2024年12月20日、荒ちひろ撮影

日本各地で続くパンダ誘致

日本各地でパンダ誘致は続く。

「東日本大震災からの復興」を目的に掲げる仙台市のほか、茨城県日立市、秋田市などに加えて、タンタン(旦旦)が2024年3月に死んだ神戸市立王子動物園も、後任の誘致をあきらめていない。

パンダに地元と動物園をつなぐ役割も託す。

16年にわたって担当飼育員だった梅元良次さんは「タンタンの死後、全国から数千の花束が寄せられた。多い日は2万人以上が足を運んでくれた。亡くなってなお愛されていることを感じる」。神戸市長らが出席して追悼式も開かれた。地元のササを軽トラで届けてきたグループの一人、辻井正さん(81)は「天国でもおいしいササを忘れないで」とおくる言葉を述べた。

在大阪中国総領事の薛剣(シュエ・チエン)氏は、タンタンのもとにも足しげく通っていた。追悼式では「神戸のお嬢様」と呼びかけ、「中日交流に力を尽くしてくれた」。在京の中国大使館にも勤務経験があり、滑らかな日本語を操る。大阪に訪ねると、胸に部下がデザインしたパンダのピンバッジをつけ、パンダ柄のネクタイ姿で現れた。

在大阪中国総領事の薛剣(シュエ・チエン)氏
在大阪中国総領事の薛剣(シュエ・チエン)氏=2024年11月19日、大阪市西区の中国在大阪総領事館、滝沢美穂子撮影

SNS上での激しい日本批判から、オオカミ外交官と日本人の一部から指摘されることもあるが、「私はパンダ総領事とも呼ばれています」と語る。「日本のみなさんの純粋で、熱いパンダ愛に触れ、心から感激しています。その愛を、どうか中国や中国人にも向けてほしい。自分の目で中国の姿を見ていただきたい」