今も愛される「神戸のお嬢様」タンタン 飼育員・梅元さんが見たドラマチックな生き様

──タンタンは2000年につがいとして神戸に来て、24年間を過ごしました。世を去って半年過ぎて私が訪ねたときにも、獣舎で手を合わせている方に何人も会いました。死後も動物園が発信するSNSなどにも高い関心が寄せられています。なぜでしょうか。
全国から約6000の献花があり、タンタンをしのんで多い日は1万人以上が足を運んでくれました。年齢層も幼稚園からお年寄りまで幅広い。亡くなってなお、愛されていると感じています。まあ、正直言って見た目がかわいかった。丸い顔と体。手足が短くて、人間がかわいいと思う要素がつまっているパンダでした。世界で一番、かわいいパンダだと思っています。
さらに、ドラマチックな子なんですよ。来たときのペアの相手が性成熟不全で、別の個体と交換となった。2008年に出産したけど、赤ちゃんは3日目に亡くなった。その後も子供を抱くしぐさをするなど、母性を感じさせる個体でした。
──パンダを借りる目的は、中国との間で飼育・繁殖の共同研究をするためです。2010年にオスのコウコウが死んだ後も、タンタンだけ独り身でずっといたのはなぜですか。
タンタンらつがいが神戸に来たのは、共同研究に加えて、1995年に起きた阪神・淡路大震災からの復興のシンボルとしてなのです。地元を少しでも盛り上げようという意味からも誘致しました。タンタンが独り身になった後、オスを誘致していましたが、かないませんでした。
高齢となり、老後を中国の施設で過ごすために2020年に返すことになりました。ところが、コロナ禍で四川への航空便が運休してしまい、動かせなくなった。落ち着くまで延期することになりました。そうこうするうち、心臓疾患が分かり、コロナ禍が終わっても体への負担を考えて飛行機に乗せることができなくなった。ひとつひとつがドラマでした。それをファンも共有してくれていたんだと思います。
──エックス(旧ツィッター)の王子動物園の公式アカウントで、梅元さんたちが「中の人」だった「#きょうのタンタン」は、ファンにとっては必見でした。
タンタンの存在を知ってほしいと思って始めました。2020年1月のことです。当時も北海道や九州からも来てくれるファンがいて、そんな方はたびたびは来られないから一日中、獣舎の前にいらっしゃるんです。そんな姿を見ながら、もっといろんな姿を多くの方に見てほしいな、と思いました。そうしたらコロナ禍が起きました。
──反響はいかがでしたか。
コロナ禍で外出できないとき、スマホでかわいいタンタンを見ることができる。喜んでくれました。神戸にパンダがいることを知らない人もいたんです。「#きょうのタンタン」というハッシュタグ名の通り、日常を見てもらいたいと思いました。ポジティブで見て楽しんでいただけるような発信を心がけました。亡くなる約10日前まで発信していました。
──何か変化があったのですか。
もう一段、容体が悪くなったのです。日中双方の専門家の協力の上で治療に専念するために休止しました。
──動物園は基本的に生き物を見る場所です。動物の闘病生活も普通は伝わらない。動物園にいる動物で、死んでいく過程がタンタンのように一般の人にも共有されたケースは珍しいと思います。
SNSでずっと発信してきて、ファンはタンタンの闘病の様子をとても気にかけて心配して下さっていることを知っていました。病気になったので、もう発信はやめます、と打ち切ってしまうことが果たして良いのか。動物に上下関係はありませんが、パンダは大変人気がある動物だけに扱いがより難しく、考え抜きました。可能な限りは発信し、我々が全力を尽くしている闘病の過程を納得してもらおうと思いました。
──飼育員として闘病生活をどう、支えましたか。
それまで以上に行動を細かく観察していました。大きな問題は薬の投与の方法でした。パンダの心臓疾患は治らないと言ってよい病気です。しんどさを軽減するための薬をどうやって飲んでもらうか。飲まないと、それだけ死が近づく。食べ物にまぜても薬を食べてくれず、とても苦労しました。
いろいろと試して好物のサトウキビジュースにまぜたら飲めるようになった。朝早くに出勤し、薬入りジュースを作り与えることから毎日がスタートしました。毎朝とても緊張しました。元気かな。薬を飲むかな。リラックスした様子で寝ているとほっとしました。
──中国側は?
健康なときでも毎月1回は詳しく様子を報告していました。病気が判明してからはもっと頻繁になり、最後は中国から獣医師や飼育員も神戸に来てくれていました。一緒に泊まり勤務をしたこともあります。心臓疾患を持ちながら、ここまで長生きできたパンダはいない。緊密に協力しながらみとることができたと思います。タンタンはほんとうによく頑張ってくれました。
──現在はどの動物を担当していますか。
今はトラなどを担当しています。当園では数年おきで担当がかわることが多いのですが、タンタンについては、できるだけパンダの専門家を養成してほしいという中国側の意向もあって、長くやらせてもらえた。動物と飼育員にも相性がある。たとえば、私はサルとはあまり合わない。パンダはとても好きだった。タンタンを長く担当できて幸せでした。