――世界中にいるパンダは、メキシコの動物園にいる高齢の1頭をのぞいて、いまは全頭が中国籍でレンタルという形で貸し出されています。上野動物園のシャンシャンも日本生まれではあっても、レンタルされた親から生まれたため、2020年末の返還期限までには中国に帰ることになっています。こういった仕組みはどのようにできていったのでしょうか。
1970年代に上野動物園にやって来たカンカンやランランのように、かつては中国から「贈呈」された例もありました。メキシコの1頭もそうです。その場合、子どもが産まれれば国籍は贈呈された国になるわけですが、カンカンにもランランにも子はできませんでしたし、メキシコの1頭も出産するには高齢になっています。
1980年代にパンダの絶滅の恐れが高まると、ワシントン条約によって商業目的の国際取引が禁止になりました。これ以降、中国はパンダの「贈呈」を停止します。ただ、条約締結後も、お金を払ってでもパンダを誘致したい動物園はありましたので、そのときにだいたい1億円くらいの「レンタル料」を支払っていました。その後は「繁殖のための研究目的」なら国外に長期間貸し出すことができる、ということで、レンタル料は「パンダの保護のための費用」へと名目を変えて続いていくことになりました。
値段についてはこうした経緯からオスとメスのペアで年間1億円程度というのが慣行化していますが、交渉の余地があるといいますか、中国も相手を見て決めているのでしょう。払っていないように見受けられるケースもありますので、中国側のさじ加減一つなのではないかと思います。
――パンダが中国・四川省の山林でフランス人の宣教師に見されたのは1860年代のことですが、中国が外交上の切り札として、パンダに目をつけ始めたのはいつごろなのでしょうか。
少し歴史的な流れを説明しますと、1920年代には、パンダはスポーツハンティングの対象となっていました。米国人が最初なのですが、欧米から中国にパンダを撃ちに来るという小規模な「パンダ狩り」のブームがあったのです。その後、1930年代に生け捕りされたパンダが初めてアメリカにもたらされました。そこからですね。動物園で米国人がパンダを見て、「かわいい!」と。ありがたがってグッズを作ったら売れるようになった。それまで中国政府は全く関心を持っていなかったのですが、アメリカでブームになっているのを見て、「主権の侵害だ」と言うようになりました。外国人の探検隊が勝手に中国に入り、動物を持って帰っていったことはゆゆしき問題である、という認識ができていったのです。
30年代後半にはパンダの禁猟を決めました。当時は日中戦争のさなか。禁猟後ほどなく、米国人がパンダをありがたがっているので、パンダをあえてプレゼントとして贈ろうということになりました。中国側が国際宣伝戦の一環としてパンダを使おうと思いついたのが、この時期になります。
――外国からの評判を知って、初めてパンダの「かわいさ」を認識したということでしょうか。
米国人のパンダに対する「かわいい」という視線を、中国は自分たちのものとして受け入れたのです。その後は、欲しい国があっても、中国政府が「よし」と言わないと出ていけない動物になっている。外交の重要局面、とりわけ、ある国との関係を改善する局面でパンダを出す、ということがそこまで頻繁ではありませんがルーチン化しました。ただ、切り札といえるほどのものではありません。あくまで外交上の交渉材料の一つです。
パンダはこうして人気動物になりましたから、中国もメディアを使ってパンダがありがたいと言い続けるでしょうし、自分たちの都合のいいタイミングで、関係改善したい、演出したい、というタイミングでしかパンダを出さないでしょう。そういう意味では「パンダ外交」を続けることは可能ですし、中国側にとっても続ける動機はまだまだ残ると思われます。
――野生パンダの数は、1980年代には約1100頭ほどまで減りましたが、その後は中国の威信をかけた保護活動の成果もあり、2010年代には1864頭まで増えたと報告されています。さらには、大手通信機器会社「ファーウェイ」の5Gの通信技術を使ってパンダの繁殖予測を始めるといいます。希少さを売りに外交に使ってきた中国にとって、数が増えることに危機感はないのでしょうか。
短期的には、おそらく数が少ない方が外交上は都合がいいかもしれません。でも中国はパンダ外交だけを目的として国家事業をしているわけではありません。むしろ科学の進歩の方が重要でしょう。長期的にはどんどん増やして科学力をアピールすることもあり得ると思います。
現場の飼育員や学者の方々にとっては、パンダにとっていい環境を作ることの方が重要でしょう。中国に行っても、一生懸命に育てている方を見てきましたし、マナーの悪い動物園の来省者に激高していたのも中国の飼育員でした。数を無理に少なくコントロールして外交に使うという考え方がいつまでも続くとは思えません。
――経済発展著しい中国は、米国との覇権争いのただ中にあります。そうしたなかで、「パンダ外交」は実力を発揮できますか。
パンダの影響力は、「外交カード」と言えるほどのものではないです。誰もパンダでアメリカを倒せるとは思っていないと思いますよ。ただ、パンダを誘致できればその国・地域では観光資源になります。近くのお店も繁盛するらしいです。そういう意味では、中国にとってちょっとした手土産、プレゼントになる。こういうことを中国側は現地の政府に提案するんでしょう。パンダを受け取るとこうなりますよ、と。おそらく外交上の他の様々な交渉とセットです。外交交渉というのは妥協する局面もありますから、妥協を迫るような時には相手方にもメリットがあるようにしたいので、そこにパンダをくっつける。大衆はパンダ好きなので、そして地元がもうかるのは悪いことではないですから、「パンダの提供が決まりました」という事柄を様々な交渉と一緒に入れるというのが常套化しています。
――「パンダ外交」の未来はどうなるでしょうか。
もしかしたら長期的には、中国が主導的にパンダの価値を世界に打ち出していって、様々な国の首都くらいの規模の街では、動物園に行けばパンダを見られるようになることもあるかもしれません。そこには中国政府の意向をくんだような中国風建築のパンダ館が建てられ、みんながそこでパンダをありがたがる。近年のパンダ外交を見ていると、そんな将来像も思い浮かびます。
むしろ予測がつかないのは、今これだけ世界が狭くなって、いろいろな娯楽に簡単にアクセスできる時代になったわけですよね。世界の中産階級がいつまでパンダをかわいいと思い続けるのか。パンダをありがたがり続けるのか。そこが一番、予測がつかないですね。パンダの顔つきやフォルムはずっとこのままですから。
パンダをかわいいと思う価値観自体が、80年くらい前から始まったものです。これがいつ終わるかですよね。以前には、ゾウとかキリンのような大きい動物や、ライオンのような猛獣がありがたがられる時代もありました。「かわいい」に対する人間の感情がどう続くのかは、予測がつかないところだと思います。
■家永真幸(いえなが・まさき) 東京女子大学現代教養学部准教授。1981年、東京都生まれ。東京医科歯科大学准教授を経て、現職。著書に「パンダ外交」、「国宝の政治史―『中国』の故宮とパンダ」。
■10月特集「『予測』という名の欲望」連続インタビューを連日配信します。