日々の食卓に上るコメ。その起源は南アジアに自生していた熱帯性植物だとされる。コメだけでなく他の穀類や野菜、果物、肉も元をたどれば野生の生物だ。多くの魚が海や川などから直接捕られている。多様な生物の中から、私たちの食が生まれ、育まれてきた。服などに使われる綿や、住宅の材料となる木材もそう。つまり衣も住も支えられている。
森林や海の中の藻場は、二酸化炭素を吸収して酸素を放出する。干潟や湿原は水を浄化してくれる。サンゴは高潮を受け止め、沿岸の被害を和らげてくれる。観光やレジャーで景色を楽しんだり、釣りや昆虫採集をしたり、芸術に活用したり、生物多様性の恵みは私たちの安全を守り、くらしを快適にしてくれる。
世界経済フォーラムの推計によれば、世界のGDPの半分以上にあたる44兆ドル(約4880兆円)もの経済価値は、生物多様性が支える自然資本に依存している。こうした恵みを生み出すには、単に多くの種類の生物がいることだけでは不十分だ。一つの種の中にも個性の違いがあることが重要になる。例えば、同じコメでも高温に強い性質を持つものがいることで、地球温暖化が進んだ環境でも育つ品種のコメがつくれる。酒や餅など用途に応じて味や特性を改良することで、食文化も豊かになる。
また、様々な生物同士の相互関係や、生物と周囲の環境との関わり「生態系」が豊かであることも必要になる。生物は単体では生きられない。必ず他の生物や環境条件に依存している。多様な生態系があることで、様々な生物が生きていくことができる。生物多様性の保全とは、種内の個性、種の豊かさ、様々な生態系を守っていくことに他ならない。
それは、人間自身のためでもある。世界が2030年までに達成することを目指して掲げる、国連の持続可能な開発目標(SDGs)には、「海の豊かさを守ろう」と「陸の豊かさも守ろう」という、生物多様性の保全に関する目標が二つ盛り込まれている。健全な生物多様性がなければ、安心して暮らすことができず、社会の発展も難しくなる。
ところが、生物多様性は危機的状況だ。研究者の国際機関「生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学・政策プラットフォーム」(IPBES)は19年、動植物約800万種のうち、約100万種が絶滅の危機に瀕しているとする報告書を出した。世界自然保護基金(WWF)によれば、1970年以降の約半世紀で生物多様性は68%も減少した。
ゾウ、トラ、ゴリラ、パンダ、コアラ……。動物園でなじみの深いこれらの動物はどれも絶滅危惧種。ウナギはヨーロッパでは絶滅寸前、国内でも絶滅危惧種だ。ニホンカワウソは12年に絶滅が宣言された。地球上にメス2頭しかいないキタシロサイは滅びるほかなく、ヨウスコウカワイルカなどのように生存がほぼ絶望視されている種もいる。
原因は人間の活動だ。農地や放牧のための焼き畑や森林伐採は今も続く。農地や牧草地への改変が動植物の生息地を奪ってきた。19年時点での、国際自然保護連合(IUCN)の絶滅危惧種約2万8000種を調べたところ、約2万4000種にとって農業が脅威だった。国連食糧農業機関(FAO)によると、17年の時点で資源量に十分余裕のある魚は全体の1割に満たず、3分の1は捕りすぎだった。IPBESは、アジア・太平洋地域で乱獲が続けば、今世紀中頃には漁獲可能な魚はいなくなると警鐘を鳴らした。
生物が消えていくことを飛行機から一つずつねじを外すことに例える見方がある。一つ二つならねじがなくても飛べるかもしれないが、ねじがぽろぽろ落ちてある時突然翼や機体がバラバラになるような大事故につながる。ドミノ倒しのように1種の絶滅が次々に他の生物に波及することを懸念する人もいる。世界銀行の報告書によれば、このまま生物多様性保全の対策をとらなかった場合、30年には漁業や林業などの恵みが年間約2.7兆ドル失われるとされる。特に低所得の国や、サブサハラ、南アジアなどで深刻な影響が避けられないと予測されている。生物多様性はまさにそういう局面にある。(小坪遊)