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自然災害の損害額、世界の3割を占める日本 なのになぜ「気候安全保障」が広がらない

World Now 更新日: 公開日:
Chadian women walk past destroyed homes, in the Lake Chad shore village of  N'Gouboua, Thursday, March 5, 2015. Boko Haram militants arrived in N窶冏ouboua before dawn on Feb. 13, marking the first attack of its kind on Chad. By the time the scorched-earth attack ended, they had burned scores of mud-brick houses by torching them with gasoline and had killed at least eight civilians and two security officers. Some 3,400 Nigerian refugees had been living in te village at the time of the attack, and all have since been relocated further inland. (AP Photo/Jerome Delay)
アフリカ中央部にあるチャド湖。かつては世界有数の巨大湖だったが、気候変動や農地開発などの影響で砂漠化が進み、大半の面積が失われた。水や食料不足などで社会不安が広がる中、イスラム過激派からの攻撃にもさらされている=2015年3月、AP

気候変動の影響を世界で最も強く受けている国の一つが、日本だといわれています。経済的な被害も甚大で、自然災害による保険損害額が2019年、世界全体の3割弱を占めたというデータもあります。気候危機は私たちにとって、まさに「今そこにある危機」。ですが、現状を見ると、「気候安全保障」の議論は欧米ほどには深まっていません。その理由は何なのでしょうか。

近年、移住を迫られる人たちが出るほど日本で豪雨による水害が頻発し、激しさを増している。それは地球温暖化による気候変動の影響といえるのだろうか。

国連気候変動に関する政府間パネル(IPCC)評価報告書の執筆者の一人で、国立環境研究所の江守正多さん(51)は、「地球温暖化で気温が1度上昇すると水蒸気量は7%増えるので、豪雨を強化させているのは明らかだ。ベースが上がっている分、ふつうの大雨を記録的な大雨に押し上げる」と指摘する。

第5次評価報告書によると、極端な高温日(猛暑)はすでに増えている可能性が「非常に高く」(IPCCの用語で90%以上の可能性の意味)、今世紀末に向けてさらに増えるのは「ほぼ確実」(99%以上)としている。江守さんは「地球温暖化を止めない限り、猛暑も豪雨もさらに頻度が上がり続けるだろう」と警鐘を鳴らす。

江守正多氏=本人提供

豪雨などによる影響を定量的に示すのが経済損失の金額だ。

大きな災害などに備え保険会社から保険を引き受けている再保険業界の世界大手、スイス再保険によると、2019年の自然災害による世界の保険損害額は520億ドル(約5兆7000億円)。日本を襲った台風19号が世界最大の損害額(80億ドル)で、それに次ぐのが台風15号(70億ドル)だった。日本の損害が、世界全体の3割弱を占める。西日本豪雨や台風21号、24号による大雨があった18年も世界全体の2割以上にのぼった。

「この30年ほどあまりなかった日本での大規模な洪水被害が18年、19年に相次いだことが衝撃を与えた」と、スイス再保険日本支店代表の百々敦浩さん(47)は説明する。そうした事態を受け、従来は地震と台風しか想定しなかった損害モデルを20年に改定し、大雨や洪水の被害予測シミュレーションをもとにリスク分析するよう21年度の契約更改から変更したという。

スイス再保険は、自然災害を大規模災害の主因となる「地震とハリケーン・台風」と、より小規模のものや大規模災害に付随して起こる「山火事や干ばつ、台風などによる豪雨や高潮が引き起こす洪水など」の二つのカテゴリーに分けている。保険業界の分析では、ハリケーンや台風は「ここ数年、規模は大きく数は多くなっているものの、気候変動の直接的な影響とまではいいきれない」という見方だが、洪水や山火事などは「気候変動の影響がほとんど」とみている。これまでは地震とハリケーン・台風の損害額が大きかったが、最近5年間はその他の災害が世界の自然災害による損害の5割以上を占めるようになり、20年は7割を超えた。

気候危機は、国の政策にも大きな転換をもたらした。

国土交通省の社会資本整備審議会は昨年7月、「気候変動を踏まえた水災害対策のあり方について」という答申を出した。そこでは、気候変動の影響で「今後も水災害が激化」と予測、堤防やダムなど「これまでの対策では限界がある」として、流域治水への転換を打ち出した。

これまでダムや堤防の建設計画は、過去の降雨量などに基づいてつくってきたが、気候変動の影響による降雨量の増大や海面水位上昇などを考慮すると、安全が確保できないおそれがあると指摘している。

気候危機から自分たちの安全を守るためにはどうすればいいのか。今、考えを根本から見直すことが迫られている。

■気候安全保障って? 意識薄い日本

「気候安全保障」は英語の「Climate Security」の訳語だが、日本人にはあまりなじみのない言葉だ。欧米諸国ではよく使われる概念だが、どのような意味なのだろうか。

国立環境研究所社会環境システム研究センター長の亀山康子さん(53)は、過去の論文や政府の報告書などを分析し、気候安全保障という言葉がどのような定義で用いられているかを4分類した。

「気候安全保障という言葉は1990年代から使われ始め、92年にブラジルのリオデジャネイロで開かれた『地球サミット』で広まった。東西冷戦が終結し、軍事面だけでなく環境面でも安全保障の問題が重要視されるようになった。地球温暖化や気候変動を他の国際政治課題と同様のレベルで重視してもらうことをねらい、安全保障という言葉を用い始めた経緯がある」と解説する。

当時は①の概念が中心で、ドイツのコール首相や英国のサッチャー首相、ソ連のゴルバチョフ大統領らが訴えた。国際政治では、2007年に英国政府が国連安全保障理事会で議論するよう提案。京都議定書から離脱してしまった米国を巻き込むため、切迫感のある「安全保障上の問題」と設定したという。

②は、「『人間の安全保障』とも表現される考え方で、必要最低限の水準の生活が脅かされる状況だ」と説明する。台風や洪水、熱波など個人に直接損害を与える影響だけでなく、干ばつによる食料不足、ダムの枯渇による水力発電の電力不足といったものも含まれる。

③は異常気象や海面上昇が原因で、これまで住んでいたところに住めなくなった人が移動し、移動した先でもともと住んでいる人との間で紛争が起きたり、治安が悪化したりする状況だ。「最もイメージしやすい気候安全保障の概念」で、アフリカのチャド湖の枯渇による移住や紛争を典型例にあげる。

④は、軍の施設がハリケーンや海面上昇で被害を受けると防衛力に影響が出るというもので、「主に米国の国防総省の報告書で用いられている。他国からの攻撃だけでなく、気候変動の影響が大きくなっている」と話す。

なぜ、日本で気候安全保障の議論は広がらないのか。亀山さんは「欧州にはアフリカからの移民が、米国にはメキシコ国境の壁を越えて中南米からの移民が流れ込んでくる。海面上昇の影響を受けた島国の人がオーストラリアやニュージーランドに押し寄せ、社会問題となった。②や③にかかわる問題があり、世界では気候安全保障が精力的に議論されているが、『気候難民』が大きな問題となっていない日本では『遠い話』になっている」とみる。

亀山康子氏=本人提供

ただ最近、日本も大型台風や集中豪雨による大きな被害が発生している。「これまでは地震と同様に自然災害にどう備えるかという議論になり、気候変動といえば省エネの話ととらえる人が多く、排出大国の米国と中国が削減しないと解決しないという論調が根強い。これだけの被害を受けているのに、自然災害と排出削減をセットで考える議論にはつながっていない」という。

日本の中だけの問題ではない。11年にはタイで大規模な洪水が発生し、日系の自動車メーカーや電機メーカーの工場が軒並み操業停止に陥った。サプライチェーンが寸断され、影響は世界に広がった。亀山さんはこう指摘する。「気候変動は物理的な被害にとどまらず、社会経済的な影響が大きい。気候安全保障は、気候変動の影響=自然災害という考え方を広げる。日本も気候変動対策に結びつけて検討するべきだ」