夏休み明けの教室に子供たちの歓声が響いた。千葉県いすみ市立夷隅小学校。コロナ禍で食事中の会話はできなくても、友だちと一緒の給食は格別だ。
2015年に「いすみ生物多様性戦略」を策定したいすみ市は、14年から有機稲作に本格的に取り組み、17年には市内のすべての小中学校の給食を有機米に切り替えた。18年には有機野菜も採り入れ、今ではキャベツやニンジンなど8品目に増え、給食に使う野菜の2割が有機野菜になっている。
「長年、有機野菜を学校給食に使ってほしいと思っていましたが、お米で成功したと聞いて、見本を持って市役所に行ったんです」。市内で農業を営む、近藤立子さん(79)は、農薬や化学肥料による子どもの健康への悪影響に不安を感じてから半世紀、有機農業に取り組む草分けだ。1997年に本格的に有機農業に取り組むために神奈川県から移り住み、仲間たちと直売所や学校給食に有機野菜を出している。
国連環境計画(UNEP)が今年2月に公表した報告書によると、安い食品を求めて、肥料、殺虫剤、エネルギー、水などを大量に使うことで、農業は絶滅の恐れのある種の86%にとって脅威になっているという。そして「動物性食品から植物性食品への転換」「自然生態系を破壊しない農業」「肥料や農薬を減らした自然に優しい農業」を提言した。
茨城県東海村。サツマイモ畑の向こうに原子力施設がそびえる。照沼勝浩さん(59)は20代続く農家で、サツマイモの栽培や干しイモの加工販売に奮闘してきた。照沼さんが農薬や化学肥料、除草剤を一切使用しない農業に転換したのは、近くで農薬散布の事故が発生したのがきっかけだ。近隣住民や農薬を扱う従業員の被害、土壌汚染などが心配になった。だが、現実は想像以上に厳しかった。26年前に挑戦した1度目はうまくいかずに挫折。17年前に再挑戦した時も、収穫量は10分の1にまで減った。それでも6年ほど前から収穫量は増え始め、昨年は8割まで回復した。
「土を健康にするには時間がかかる。堆肥はほぼうまくいかない。農家は本当のことを教えてもらっていない」と照沼は言う。現在はタンザニアで自然農法によるサツマイモの栽培と干しイモの普及にも奔走している。
農林水産省は5月に策定した「みどりの食料システム戦略」の中で、50年までに農薬のリスクを50%、化学肥料の使用を30%減らし、耕地面積に占める有機農業の面積を25%に拡大する目標を掲げた。現在の日本の有機農地の割合は自己申告で0.5%、有機JAS認証を取得しているのは0.2%だ。
欧州は日本のはるか先を行っている。スイスの有機農業研究機関がまとめた報告書によると、19年時点の世界の有機農地は7200万ヘクタールで20年前の6倍以上で、市場規模は1064億ユーロ(約14兆円)となっている。有機農地の割合が高いのはリヒテンシュタイン(41%)、オーストリア(26%)などで、スイス、イタリア、デンマークなど16カ国が10%を超えている。「生物多様性戦略」と「農場から食卓まで戦略」を両輪とする欧州連合(EU)は、日本より20年早い30年に有機農業の比率を25%にする目標を掲げる。EUでも学校給食で有機農産品を使うのは重要な手段だ。
名古屋大の香坂玲教授は「オーストリアでは有機農産物を買うことと原風景や自然を守ることを結びつけた戦略が奏功した。有機は欧米だけでなく、韓国や中国の都市部、タイなどのアジア各国でも普通になりつつある。日本でも普通にするためには、生産者と消費者、流通がつながることと、日常品として値段を下げる工夫がいる」と話す。(石井徹)