中国でも空前の人気者
スマホの波の先に、彼女はいた。
「ホワホワ(花花)」
緑の谷間に組んだ丸太の上で横たわっている。右手で右目を隠し、眠っている。
1時間半並んだ。見学は3分だけ。「大きな声で騒ぐな 食べ物を投げるな」と書いた板を持つ警備員が時間を計っている。立ちこめる竹の葉の香りに深呼吸しながら見渡すと、中国企業ハイクビジョン製の白い監視カメラが7個はある。「ライブ配信するな」「押しあうな」──。看板が並ぶ。ルールを破ると終身出入り禁止という罰も待つ。
本名はホーホワ(和花)だが、愛称のホワホワで呼ばれる。野生と飼育をあわせて2500頭以上いる中国パンダ界の「頂流明星(トップスター)」。アイドルだ。
コロナ禍に揺れる2020年7月4日、四川省・成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地で双子の妹ホーイエ(和葉)とともに生まれた。偶然ながら米国の独立記念日と同じ日だ。母親は同じ基地出身、父親は米アトランタ動物園生まれである。何かと米国に縁がある。
双子が暮らす「第6号パンダ別荘」は、中国のパンダファンの聖地と化している。隣の陝西省から息子と来た母親は言う。「特別かわいいか、と言えば、そうでもない気もするが、話題になっているから並んでみた」。3平方キロメートルの広さで、200頭以上を抱える世界最大の飼育・繁殖施設で、大行列も時間制限も、ここだけ。人間の視線が続くとストレスになるから、月曜日は非公開だ。国慶節など連休中は待ち時間が5時間を超えることもある。
人気のエンジンは、ファンが投稿する動画だ。
耳が小さく顔の丸さが目立つ。同世代のパンダに比べて、手足が短めで歩くのが遅い。座ると首がなくなり、おにぎりのように見える。仲間に餌を奪われてもきょとんとしている。木登りに悪戦苦闘する姿に「励まされる」とファンはコメント。動画1本が何百万もビューを集めることも珍しくない。
担当飼育員として「パンダじいじ」と呼ばれる譚金淘(タン・チンタオ)さんは2024年2月、旧正月前日の国民的人気テレビ番組で、中国の紅白歌合戦とも言われる「春節聯歓晩会(春晩)」の舞台に、彼女のぬいぐるみを抱えて登場した。広東省の民営企業が生涯にわたる双子の生活費の寄付を約束している。
成都で長く観光ガイドを務める女性は話す。「コロナ禍で自由に動けず鬱々(うつうつ)としていた人々の癒やしになったのではないか。ゆったりのんびりした生き様も、せわしない競争社会の中国では魅力的です」。中国誌は、基地を撮影してきた写真家の発言として「1992年に来たときは(お客の)95%が外国人だったが、現在は中国人ばかり」と伝える。
世界のパンダの大半がすむ中国。所有権も、メキシコの1頭を除いて中国が握る。アジア大会や五輪、国際博覧会など対外的にはマスコット役を務めてきた。なのに、ホワホワの登場に代表されるパンダ人気が「空前」と呼ばれるのには理由がある。中国の人々に再発見されたのだ。
発端は欧米での珍獣ブーム
19世紀にさかのぼる。パンダの存在を世に知らしめたのは、布教活動をしていたフランス人宣教師。珍獣と評判になり、各国の探検隊が入る。米国人探検家が生きたまま連れ出すと、欧米でパンダブームが巻き起こる。それに目をつけた中華民国政府(当時)が1941年、日本との戦争で米国の人々から共感を得るために国際宣伝戦の武器としてパンダを贈った。「パンダ外交」の始まりだ。
第2次世界大戦後、担い手は変わる。中国共産党率いる中華人民共和国も「国宝」と位置付け、外交に使った。貧しい時代の中国は見せ物として外国に短期で派遣し、外貨を稼がせた。国内外の舞台で曲芸をさせていた時代だ。私も1980年代に上海だったか、ラッパを持つパンダを見た記憶がある。
環境や動物保護を担う役割が強まったのは1980年代後半。餌となる竹が大量に枯れてしまい、1970年代の2459頭から、1980年代半ばには1114頭まで激減。中国も国際社会も絶滅の危機に騒然となる。中国政府と各国が話し合い、希少動物の繁殖研究の一環として長期間にわたって外国に有料で貸し出す仕組みを導入。「ブリーディングローン(長期国際共同繁殖研究)」と呼ばれる現行の制度である。
成都のベテランガイドが振り返る。「『パンダちゃん、明日の朝ごはんは心配しないでね 私たちが用意してあげるよ』って教室で歌った」。よろよろと人里に現れた一頭はパースー(巴斯)と名付けられ、回復後は巡業先の米国でも人気を博した。2017年にパンダとして当時、世界最高齢の37歳で死んだとき、波瀾(はらん)万丈な一生は話題を集めた。
「萌経済」で景気浮揚効果
ホワホワはもっと身近だ。政府による教育目的からも離れてファンを得ている。国宝のアイドル化は、SNSや動画配信という技術革新に加えて、旅行や「推し活」を楽しむ時間やお金がある中間層が増えたことが大きい。北京のモンラン(萌蘭)など各地で人気者が誕生。高成長が去って景気低迷に直面する今、消費を喚起する稼ぎ頭の役割も担う。スターパンダは、かわいさにお金を払う意味で使われる新語「萌経済」の旗手なのだ。
四川省の1人あたりの経済規模や可処分所得は北京市や上海市の半分で、全国平均を下回る。成都市にはパンダグッズを併売する熊猫郵便局が次々に開業、パンダ本専門の熊猫書店もできた。同市政府は2024年4月、ホワホワを「名誉観光局長」に任命。彼女の経済効果は毎日1.3億元(約28億円)という情報もある。
2024年11月末には、人間と自然との共生に向けた国際連携を狙いとしたグローバル・パンダ・パートナーズ大会が初めて開かれた。スポンサーは地元白酒メーカー、五糧液。開幕式では省トップの共産党書記があいさつし、果物など特産品や観光案内が会場に並んだ。日欧、ロシアなどの動物園幹部も姿を見せたが、コロナ禍前まで成都の基地の主催で開いていた世界のパンダ専門家による集いとは様子が違う。
日本パンダ保護協会長で、前上野動物園長の土居利光さんは言う。「町おこし色が強まった。パンダを旗印に外交、動物や環境保護に加えて、経済も振興する戦略だろう」。国宝は習近平(シー・チンピン)政権が消費を奨励する「国貨」(中国産品)にもなった。